MAYURI SHOJI
体当たりリポーターの取材日記
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庄司麻由里のカッパすいすい

ブログ プロフィール インタビュー
日記?/?2007年03月02日 10時04分39秒
ご報告

2月22日、母が旅立ちました。72歳でした。

母は長女の私には、しつけに厳しい人でした。幼いとき、よそ様のお家に母と遊びに行った帰り道には「あの時あなたはこんなふうにお行儀が悪かった、ママは恥ずかしかった」と反省会が必ずあり、私はよく泣きました。
親戚やお客様の集まる時などは特に「まわりに気を配りなさい、自分が今何をすべきか、常に考えて動きなさい」と何度も何度も言われました。
つい最近までも、私の出演しているテレビ番組を見ては「今日の言葉遣いは下品でよくなかった」 「今日、試食する場面があったけど、あの食べ方はお行儀が悪かった」と叱られました。

物を作るのが非常に好きで、しかも天才的に上手でした。
本を見ただけで、子供服から、父のシャツや自分のスーツなどもミシンであっという間に縫い上げました。私も、数え切れないほどのバービーちゃんの洋服から、大人なってからも友達の結婚式に着ていくドレスまで縫ってもらいました。
編み物も得意で、家族の分はもちろん、友達や親戚の子供たちにもかわいい編みこみの入ったセーターをせっせと編んではプレゼントしていました。
趣味は彫金で、狭い自宅に専用の作業代まで買いこんで、自分のや人から頼まれたアクセサリーを作っていました。
とってもおしゃれな人でもありました。私が子供の頃、まだだれも髪など染めていない時代から、髪の毛を栗色に染めていて、ちょっと派手めの柄のスーツ(大阪人ですから)を着て参観日に来たりするものだから、何人もの同級生から「まゆりちゃんのママは外国人なの?」と真顔で聞かれ、私はきれいな母が自慢でした。

 主人と付き合い出した頃、私が彼に「どうして私のことを好きになったの?」と聞いたら「番組スタッフとの宴会のときに、いつもまわりに気を配っていてグラスが空になった人にお酒をついだり、さりげなくお料理をとってあげたり、灰皿をかたづけたりしていて、ものすごく気がつくひとだなって思ったから・・・・」と言われました。夏休みの工作や家庭科の宿題は全部「母の作品」を提出していた私は、残念ながら、裁縫や物を作る技術はからきし受けつがなかったのですが、料理の腕だけは母譲りで上手だとよく言われます。

子供の時、食事を残すのは許されませんでした。あのとききらいだったたまねぎやきのこを残すと、「全部食べるまで、食卓を立ってはいけない」と言われました。あんなに厳しかった母が、実はあまり野菜は好きではなく、たまねぎを残すことを入院中に知りました。

入院中は、夢と現実の境目がなくなり「昨日は○○ちゃんといっしょに横浜に行って、上海蟹を食べた」 「昨日、箱根にドライブに行ったら、箱根駅伝の準備中だった」 「明日は山中湖に行こうね」と、家族で行った楽しかった思い出の場所に遊びに行っているようで、苦しんだり痛がったり怖がったりをまったくしなかったのが、家族にとって救いでした。

通夜、告別式には私たちが予想していた以上の多くの方々にご参列いただきました。
本当に本当にありがとうございました。
この場で、謹んでお礼申し上げます。

 


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