MAYURI SHOJI
体当たりリポーターの取材日記
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庄司麻由里のカッパすいすい

ブログ プロフィール インタビュー
Weblog?/?2015年09月16日 01時49分55秒
ご報告

本日、父 庄司永建が旅立ちました。92歳でした。

この4月に体調を崩し1回目の入院。
5月14日に2回目の入院をしたときには、お医者様から「末期の膵臓がんです。高齢ということもありますし、とても6月の末までは持たないでしょう」と 言われたのですが、その後 お医者様も驚く驚異の回復力で退院し、7月にはNHKのラジオドラマの仕事もやりました。
ちょうど本番の日が 父の92歳の誕生日で、「本番が終わったところでスタジオにバースデーケーキが用意されて、ディレクター始めスタッフの方々や ほかの出演者がお祝いしてくれた!皆が『92歳とは信じられないくらいお元気ですね~』と感心していた!!それにしても、やっぱり仕事は楽しいな~」と大変嬉しそうに帰ってまいりました。

7月18日に3回目の入院をしたときにも、「8月17日18日に、秋田の角館で行われる『戸澤サミット』に、ご招待を受けているんだ。それまでには何としても治して、行く!」と言い張り、実際に8月7日には退院して、私たちが止めるのも聞かずに秋田・角館には弟が付き添って一泊二日の旅を満喫してまいりました。

しかしやはり遠出が響いたのか、秋田から帰った翌日 4回目の入院をいたしました。
自分の体調が思わしくないことにいら立ち、「どうしてこんなに点滴をして薬を飲んでいるのによくならないんだ!」と機嫌の悪い『頑固じじい』に、手を焼く日々が続いたのですが、9月に入るとだんだん文句を言うこともなくなり、読売新聞で連載されている「時代の証言者・泣くなジェシー・高見山大五郎」の記事を読んで聞かせると、嬉しそうに手を叩いて喜ぶ『かわいいおじいさん』になりました。父は「3度の飯より相撲好き」でしたので、この連載記事を読んで聞かせるのが私の日課となりました。

ずっと頭ははっきりしていたのですが、9月11日突然 タイムスリップがはじまり、私が昼前に行くと、「まゆ、急な依頼が来て午前中、撮影をしたんだ。こんな役は初めてだな~・・・・看護婦さんたちから『見ましたよ、テレビに出ていましたね』なんて言われちゃった。午後もこの後 撮影があるんだよ・・・」と言い出し、この日は30分おきに酸素マスクを外してふらふら立ち上がり「衣装に着替えなくちゃ」とか「もうセットに入る」「小道具の腕時計、どこへやった?」などと言い出すので、そのたびに「まだ出番じゃないよ!」とか、「前が押してるみたいで『もう少しそのままお待ちください』って監督が言ってた!!」とか、「その時計は無くすといけないから、預かってるよ」などと、なだめすかすのに苦労しました。

その日を境に、「今日は山形の新庄で、熱いうどんを食べた」とか「同級生みんなで集まって話をした」など夢の世界に入ったままでしたが、ハァハァと苦しそうにしているより、何やら楽しそうにブツブツ宙に向かって話をしている方が、私にしてみればおしゃべりだった父らしいと思えました。

最期は容体が急変して、あまり苦しまずに逝きました。

生前、父と親しくしてくださった方々に、心よりお礼を申し上げます・・・・・

                                                   平成27年9月15日                                                                                                                                                                                 庄司麻由里



 


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