限りなき知の探訪

45年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

智嚢聚銘:(第37回目)『中国四千年の策略大全(その 37)』

2023-08-27 10:01:10 | 日記
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日本人にとって漢字はいわば「修得言語」である。つまり、生れながらにして漢字Nativeの人は存在せず、誰もが子供の頃に(そしてその後も!)苦労して漢字を修得するのである。修得言語という意味は、日本人にとって本来的に漢字は発音だけでは意味をなさないためである。比較の為に、和語(やまとことば)を考えてみよう。日本の民謡などの歌詞はほとんど全ての場合、和語で綴られているために、耳で聞くだけでも意味がとれる。この点からいえば、日本人の魂に響くことばは和語で、それは肌に直接触れるが、漢字はガーゼ一枚はさんで肌に触れているような他人行儀のような感覚がする。

中国人にとっては漢字の字自体は修得言語であるものの、日本人と異なり、生れた時から漢字の発音を聞いているため、漢字の音韻は耳の奥底にまで到達しているため、漢字は肌に同化しているといえる。今回紹介する話を読むとこのあたりの事情がよく分かる。

以下の話を理解するための、前知識として中国人の子供の名前の付け方について知っておこう。兄弟が同じ偏旁を使う習慣があり、これを輩行という。劉表の2人の子(劉琦・劉琮)が輩行の最も早い例として挙げられている。

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 馮夢龍『智嚢』【巻20 / 768 / 裴楷王份王景文崔光】(私訳・原文)

北魏の孝文帝(高祖・元宏)は息子をそれぞれ、恂、愉、悦、懌、と名付けた。臣下の崔光は劭、勗、勉と名付けた。孝文帝がいうには「私の息子の名前の旁は全部「心」だ。貴卿のは全部「力」がついている」。崔光が答えていうには「これが、所謂『君子は心を労し、小人は力を労す』ということです。」

元魏高祖名子恂、愉、悦、懌、崔光名子劭、勗、勉。高祖曰:「我児名旁皆有心、卿児名旁皆有力。」対曰:「所謂君子労心、小人労力。」
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崔光の言葉は、『春秋左氏伝』の襄公9年(BC 563)に載せられている、「君子労心、小人労力、先王之制也」の引用だ。古典の文句を適切に引用して自分の論点を補強したり明確化できることが、中国人の考える「教養人」である。



偏差値重視による、最近の日本の知識偏重の風潮に行き過ぎを感じる。「出刃包丁で人殺しもできれば、魚を捌くこともできる」という言葉があるように、単に古典の文句を知っているだけでは、教養人の資格があるわけでない。つまり知識は無条件に知恵に転換できる訳ではないのだ。次の話はそれがよく分かる好例といえよう。

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 馮夢龍『智嚢』【巻20 / 768 / 裴楷王份王景文崔光】(私訳・原文)

梁・武帝が即位した年、虎が都・建康の城郭に侵入しただけでなく、象も江陵の城内に入ってきたことが起きた。武帝は不吉なことが起こると思い、臣下たちにどう思うかと尋ねた。誰も答える者がいないなか、王瑩が答えた。「昔の本に『撃石拊石、百獣率舞』(石を撃ち、石を拊てば、百獣、率い舞う)とあります。陛下が帝位に就かれたのを祝って、虎や象もやってきたのです」。言辞は極めてりっぱであるが、あまりに度のすぎた媚び、諂いに聞く者はヘドを催した。

武帝即位、有猛虎入建康郭、象入江陵、上意不悦、以問群臣、無敢対者。王瑩曰:「昔『撃石拊石、百獣率舞。』陛下膺籙御図、虎象来格。」縦極贍辞、不能不令人嘔穢。楊廷和顧鼎臣
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王瑩は儒教の聖典である『書経』(尚書) の次の句を引用した。

《虞書・舜典》夔(き)曰く「ああ、予(われ)石を撃ち石を拊(て)ば、百獣、率い舞う」
(夔曰「於予撃石拊石、百獸率舞」)

帝・舜の部下である夔が「石琴を私が叩いて演奏すれば、ありとあらゆる動物が踊りだす」と述べたが、動物たちが集ってきたのは楽器演奏の名手である夔が石琴をみごとに奏でたからである。その句を踏まえ、王瑩は野獣が街中に現れたのを武帝の徳を慕ったからわざと捻じ曲げてへつらった。

続く。。。
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