周知のように、先日(8/23日)ロシアのロシアの民間軍事会社「ワグネル」の創設者・プリゴジン氏のビジネスジェット機が墜落し、搭乗者全員が死亡した。墜落原因は不明だが、巷間ではプーチン大統領の暗殺説が有望だ。多分その推測が正しいだろう。この事件は、『本当に残酷な中国史 大著「資治通鑑」を読み解く』(P.194からP.197)に書いた、かつて唐の末期に王珂が陥った悲劇を彷彿とさせる。猜疑心の強い中国人でも、役者顔負けの見事な演技に見事に嵌められてしまった事件だ。
朱全忠は唐末に黄巣の乱で大混乱に陥った天下を平定するのに貢献し、後梁を建てた一代の英雄である。しかし朱全忠(朱温)はそもそも黄巣に従って唐政府の節度使である王重栄と戦って敗れ投降した人物である。王重栄の部下は朱全忠を殺せと言ったが、王重栄は朱全忠には見所があると言って殺さなかった。この処置に恩義を感じた朱全忠は王重栄と義理の甥舅(甥と伯父)という関係を結んだ。その上、『自分が高位に就いたら王氏みんなに恩返しをする』(我得志,凡氏王者皆事之)と、太陽と月に誓った。さて、王重栄には子供が無かったので、兄の子である王珂を養子とした。王珂は李克用の娘を妻とした。さて、時は移り、李克用が朱全忠と天敵の間柄になるに至って、王珂は朱全忠に攻められた。
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資治通鑑(中華書局):巻262・唐紀78・AD901年(P.8548)
朱全忠の部下の張存敬は軍隊を率いて晋州を出発し、河中に着き、王珂の軍を取り囲んだ。王珂は乏しい兵力では持ちこたえられないと考え、抜け出して都に向おうと考えたが、部下に説得され、城にとどまり、朝になると、城の四隅に白旗を立て、印章を持たせて、降伏の交渉をする使いを張存敬のもとに送った。張存敬はこの申し入れを受けて、開城するよう命じた。王珂は「私は昔から朱公(朱全忠)に我が家の事を相談してきた。貴卿(あなた)ではなく、朱公の到着をまって城を引き渡したい。」と答えた。張存敬はこの言い分を聞き入れて、朱全忠に使いを出した。
暫くして、朱全忠が洛陽に到着し、王珂が降伏したいとの意向を聞いて喜び、河中に向かった。朱全忠は虞郷に着くとまっさきに王重栄の墓に詣で、哭礼の儀式に則って哀悼した。籠城していた人達はこれを聞いて、ほっと安心した。朱全忠が城の前に到着したので、王珂は降伏の儀式どおり、手を縛り、羊を引いて城から出てきたが、朱全忠はその姿をみるや慌ててかけより「私の命を救ってくれた舅(王重栄)の恩をどうして忘れましょうか。若君にこのような恰好をさせたら、あの世で舅に会った時に会わせる顔がないではありませんか!」。こう言って、今まで通り、親しい間柄で王珂を出迎え、手を握って声をあげて泣いた。そして二人して馬に乗って並んで城の中に入った。
暫くして、朱全忠は王珂に、都に上り天子に面会するよう勧めた。その一方でこっそりと人を遣わして華州で王珂の一行を待ち伏せさせて殺した。
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朱全忠は腹の底では、既に王重栄の恩など忘れ、王珂を殺す予定であった。しかし、そういった悪だくみは露ほども見せずに、王重栄の墓に参り哭礼をし涙を見せた。それを聞いて王珂は疑いつつも、ほっと安心して投降した。朱全忠は王珂の手をとるやまたもや涙にくれた。こういった態度を見て王珂は完全に朱全忠に赦されたものだと安心した。それで上京するようにとの指示に何らの疑いも持たなかった。しかし、朱全忠は当初の予定通り、道中で王珂を暗殺させた。
以上の話を今回の配役で表現すると次のようになる:
ベラルーシの大統領のルカシェンコの説得でプリゴジンはプーチンの表面ばかりの言葉を真に受けてしまい、心の奥底を読めなかった。自家用ジェットであれば安心だと考えたプリゴジンは浅はかにも、信頼する部下もろともに、王珂の悲劇の二番煎じを演じてしまった。
朱全忠は唐末に黄巣の乱で大混乱に陥った天下を平定するのに貢献し、後梁を建てた一代の英雄である。しかし朱全忠(朱温)はそもそも黄巣に従って唐政府の節度使である王重栄と戦って敗れ投降した人物である。王重栄の部下は朱全忠を殺せと言ったが、王重栄は朱全忠には見所があると言って殺さなかった。この処置に恩義を感じた朱全忠は王重栄と義理の甥舅(甥と伯父)という関係を結んだ。その上、『自分が高位に就いたら王氏みんなに恩返しをする』(我得志,凡氏王者皆事之)と、太陽と月に誓った。さて、王重栄には子供が無かったので、兄の子である王珂を養子とした。王珂は李克用の娘を妻とした。さて、時は移り、李克用が朱全忠と天敵の間柄になるに至って、王珂は朱全忠に攻められた。
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資治通鑑(中華書局):巻262・唐紀78・AD901年(P.8548)
朱全忠の部下の張存敬は軍隊を率いて晋州を出発し、河中に着き、王珂の軍を取り囲んだ。王珂は乏しい兵力では持ちこたえられないと考え、抜け出して都に向おうと考えたが、部下に説得され、城にとどまり、朝になると、城の四隅に白旗を立て、印章を持たせて、降伏の交渉をする使いを張存敬のもとに送った。張存敬はこの申し入れを受けて、開城するよう命じた。王珂は「私は昔から朱公(朱全忠)に我が家の事を相談してきた。貴卿(あなた)ではなく、朱公の到着をまって城を引き渡したい。」と答えた。張存敬はこの言い分を聞き入れて、朱全忠に使いを出した。
暫くして、朱全忠が洛陽に到着し、王珂が降伏したいとの意向を聞いて喜び、河中に向かった。朱全忠は虞郷に着くとまっさきに王重栄の墓に詣で、哭礼の儀式に則って哀悼した。籠城していた人達はこれを聞いて、ほっと安心した。朱全忠が城の前に到着したので、王珂は降伏の儀式どおり、手を縛り、羊を引いて城から出てきたが、朱全忠はその姿をみるや慌ててかけより「私の命を救ってくれた舅(王重栄)の恩をどうして忘れましょうか。若君にこのような恰好をさせたら、あの世で舅に会った時に会わせる顔がないではありませんか!」。こう言って、今まで通り、親しい間柄で王珂を出迎え、手を握って声をあげて泣いた。そして二人して馬に乗って並んで城の中に入った。
暫くして、朱全忠は王珂に、都に上り天子に面会するよう勧めた。その一方でこっそりと人を遣わして華州で王珂の一行を待ち伏せさせて殺した。
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朱全忠は腹の底では、既に王重栄の恩など忘れ、王珂を殺す予定であった。しかし、そういった悪だくみは露ほども見せずに、王重栄の墓に参り哭礼をし涙を見せた。それを聞いて王珂は疑いつつも、ほっと安心して投降した。朱全忠は王珂の手をとるやまたもや涙にくれた。こういった態度を見て王珂は完全に朱全忠に赦されたものだと安心した。それで上京するようにとの指示に何らの疑いも持たなかった。しかし、朱全忠は当初の予定通り、道中で王珂を暗殺させた。
以上の話を今回の配役で表現すると次のようになる:
ベラルーシの大統領のルカシェンコの説得でプリゴジンはプーチンの表面ばかりの言葉を真に受けてしまい、心の奥底を読めなかった。自家用ジェットであれば安心だと考えたプリゴジンは浅はかにも、信頼する部下もろともに、王珂の悲劇の二番煎じを演じてしまった。
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