限りなき知の探訪

45年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

沂風詠録:(第300回目)『良質の情報源を手にいれるには?(その5)』

2018-03-25 16:53:33 | 日記
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A-1.ギリシャ語辞書

A-1-4 LSJ, A Greek-English Lexicon

いよいよギリシャ語の辞書の真打登場だ。現在、数あるギリシャ語の辞書の中でも今回紹介するこの辞書が一番大きい。筆者は Liddell と Scott なので LSJと称す。最後のJは日本語で「辞書」を表すと思われるかもしれないが、そうではなく改訂者である Jones の頭文字だ。

この辞書は、前回紹介した、Papeの競争相手として名前が挙げられていた Franz Passow の辞書をベースに1843年に初版が出版された。つまり、現事典で最高峰のギリシャ語の辞書はいづれも(Papeと LSJ)ドイツ人の業績であるのだ。このLSJは第一版の出版後、何度か改定された。一回の改定では分からなくとも、何度もの改定(現在のバージョンは1940年の第9版)の積み重ねにより、他の同僚辞書たちを大きく引き離して、どっしり王者の位置を占めるようになった。現在のバージョンは、縦横が30cm x 25 で分厚さも10cm近くあり、重さも4Kgもある。想像するに、これで頭を殴られたら、脳震盪程度では済まないだろうと思われる程、ある意味、凶器とも成りうる代物(しろもの)である。

さて、このLSJには、3つのバージョンがある。月並みに言えば、大型、中型、小型だ。私が1999年にギリシャ語の独習を始めた当初は、7000円程度の中型(Intermediate Greek-English Lexicon)で充分間に合っていた。大型版は 2万円以上もしたので、高くて買えないし、当分は必要ないだろうと高をくくっていた。しかしその後、ギリシャ語の本を読んでいくうちに、中型には載っていない単語に何度か出くわすことがあった。(はっきりとは記憶していないが、プルタークの作品に多かったように思う。)それで、やはり大型を買わないといけないなあ、と思っていたところ、たまたま神田の三省堂でバーゲンセールとして大型が1万円で売っていたので、神の恵みと、(十字を切って)喜んで買って帰った。もっとも、帰り道、結構重かったので手が疲れたが。。。

ところが、この大型を実際に使ってみると、中型とは違い、なかなか使いづらい辞書だと感じた。たしかに語彙は豊富ではあるのだが、小さい字がぎしぎしと詰まったレイアウトや見出し語の配列などに難があり、探している単語をみつけるのに、いささか苦労する。さらに重さもネックだった。そういったことや語源に関する説明が全くないこともあり、結局、この辞書を引く機会は激減した。その後は、語源の説明が詳しい Menge を専ら使うようになった。

ところが、ふとしたきっかけで、再度この LSJ のシリーズを使う機会が増えた。それは、数年前、アメリカへ出張した時のことだ。バークレー大学の近くに宿泊したが、近くに大きな本屋があったので入ってみていると、古本コーナーがあり、背表紙が革のすこし汚らしい辞書が何冊か並んでいた。その一つを手にとってみると、何と、1845年に出版された、LSJの第2版であった。150年近くも前の本なので、扉がすこし外れかかっていたが、紙と印刷は数ページを除いて、全くしっかりしていた。値段は、と見ると、何と、わずか15ドル(1500円)程度であった。「これは奇蹟か?」と思った。

サイズは、今の LSJ より小さく、中型の大きさであるが、幅は倍近くはある。意図的なのか、うっかりなのか知らないが、ページ数が打っていない。それ以外は、収録語数も現在の LSJ には当然のことながら及ばないが、現在中型よりは多く、またレイアウトも中型と同じで見やすい。ページや扉の外れかかった部分はボンドで補修し、薄いベールのブックカバーを作ってかけて使っている。重さも、許容範囲なのだが、頻出語の見出しが大文字であるのは、たまには見難く感じることもある、といったところだ。同辞書の syrigma, syrinx, syrizo の部分を下に示す。



これらの辞書を見ていると、先ず感じるのは、ギリシャ語に関する辞書は、すでに150年前にほぼ完璧にできあがっていて、もはやすべきことは残っていないように思われることだ。実際、LSJ にしろ1940年の第9版の出版以降、70年以上経過しているし、Papeに至っては、140年も経過している。ただ、近代になってギリシャ・ローマの遺跡発掘などで石碑文が数多く発見された。それによって語例が増加したのは事実ではあるが、辞書の大枠を変える所にまでは至っていない。

次に感じるのは、ドイツ人の徹底主義のすごさだ。今から 150年ほどまえのレベルで、ギリシャ語の例文を徹底的に収集分類して、意味づけをしていることだ。当時、これらの作業をすべてコンピュータの助けを借りずに手作業で成し遂げたことに対して頭が下がる。その一方で、それほどまでに情熱をギリシャ語に傾けることが出来たということから、彼らのギリシャ愛の深さを思い知らされる。

いずれにせよ、そういった先人の努力の結晶が、いまやコンピュータと印刷術の発展で、事実上、無料(に近い値段)で手に入れることができるこの時代に感謝したい気持ちでいっぱいだ。

続く。。。
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