限りなき知の探訪

45年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

沂風詠録:(第269回目)『科挙の試験問題(補遺)』

2016-02-21 09:49:33 | 日記
前回『科挙の試験問題』について書いたが、調べてみると宮崎市定氏の『科挙 中国の試験地獄』(中公文庫)より科挙の試験問題について、ずっと深掘りしている本を見つけた。
 『科挙の話 ― 試験制度と文人官僚』(講談社現代新書)、村上哲見

早速、Amazon で購入して読んだが、私が求めているテーマにずばりの記事があったので、それを参考にして再度、『科挙の試験問題』について論じてみたい。

村上氏が対象としている科挙は、宮崎氏と異なり、隋から始め唐と宋の時代のことが詳しく書かれている。前回のブログで紹介した、欧陽脩や蘇軾も登場するが、今回は日本でも人気の大詩人・白居易(白楽天)を取り上げたい。

この本のP.124に「白氏文集に問題と白居易の答案がどちらも載せられている」との記述が見える。手元にある『白居易集』(中華書局)版を見ると、第47巻に載せられている『試策問制誥 凡十六首』がそれに該当するようだ。

白楽天は科挙に合格し進士という資格を得たあと、元和元年( 806年)四月に実施された「才識兼茂明於体用科」という任官試験を受験し第四位という高成績で合格した。(科挙と任官試験の関係は、同書、P.59-60参照)

設問の全文を下に掲げるが、500文字程度あり、かなり難しい。(私は少なくとも数回読み返さないと理解できなかった。)全文訳は正直なところ、私の手には余るので、部分訳で大意をつかみつつ、設問の意図を探ってみることにしよう。

尚、以下の原文は、中国版Wikisourceのサイトで見ることができる。(白氏長慶集/卷047)ただし、現在では文に句読点や「?、;」などが挿入されているので、読みやすいが、試験時には、全く句読点のない形式で次のような表示になっていたはずだ。



このような文を読まされるのであるから、なまじっかの勉強ではとても設問すら読めないことが分かるであろう。

 +++++++++++++++++++++++++++

皇帝若曰:朕観古之王者,受命君人,兢兢業業,承天順地,靡不思賢能以済其理,求説直以聞其過。故禹拝昌言而嘉猷罔伏,漢征極諌而文学稍 進,匡時済俗,罔不率由。厥後相循,有名無実。而又設以科条,求茂異,舎斥己之至言,進無用之虚文,指切著明,罕称於代。

まず、皇帝の憲宗が尋ねる、という体裁で始まる。

「帝王というのは、いつも自分の政策に対して、過ちがあれば直言してくれる賢臣を求めるものだ。かつての伝説的な聖人の禹は耳の痛い話もよく聞きいれたから立派な政治ができた。同様に、漢王朝でも諫言を受けいれたので隆盛した。しかし、その後の王朝は、諫言の有名無実になった。言葉は立派だが中身のない虚文が尊ばれた。」

 +++++++++++++++++++++++++++

茲朕所以嘆息郁悼,思索其真;是用発懇惻之誠,咨体用之要,庶乎言之可行,行之不倦,上獲其益,下輸其情,君臣之間,確然相与。子大夫得不勉思朕言而茂明之?

「朕は、こういう事態を憂えている。口先だけでなく実行を伴うことを提言してほしい。そうすれば、君臣ともに利益を享受し、信頼関係が築かれるはずだ。朕のこの気持ちを酌んで欲しい。」

かなり懇願モードだ。

 +++++++++++++++++++++++++++

我国家光宅四海,年将二百,十聖弘化,万邦懐仁;三王之礼靡不講,六代之楽罔不挙,浸沢於下,升中於天,周漢以還,莫斯為盛。

「さて、我が唐室は創建から200年経ち、十代の皇帝が位についた。世界各国から国交をもとめて使節が唐にやってくるが、これは前代未聞の盛況ぶりだ。」

と、述べて、唐が立派な国であることを自慢している。

 +++++++++++++++++++++++++++

自禍階漏壌,兵宿中原,生人困竭,耗其太半,農戦非古,衣食罕儲,念茲疲甿,遠乖富庶。督耕植之業,而人無恋本之心:峻榷酤之科,而下有重斂之困。挙何方而可 以復其盛?用何道而可以済其艱?既往之失,何者宜懲?将来之虞,何者当戒?

一転して、現状の悲惨な状態を述べる。

「安史の乱(禍階漏壌)以降、兵士が至る所に駐屯し、そのため、庶民は塗炭の苦しみを味わい、誰もが疲れ切っている。それなのに、重税が課されて、取り立ても厳しい。どうすれば、かつての盛世を取り戻せるのであろうか?明るい未来を招来するには、どういう政策をうてばいいのだろうか?」

と、苦しい世の中をどうやって立ち直られるか、皇帝も策がないと、さじをなげたような状態だ。

 +++++++++++++++++++++++++++

昔主父懲患於晁錯,而用推恩;夷吾致霸於斉桓,而行寓令。精求古人之意,啓迪来哲之懐。眷茲洽聞,固所詳究。又,執契之道,垂衣不言:委之於下,則人用其私;専之於上,則下無其効。

ここで、いつもの中国人のパターンであるが、過去の事例をもちだしてくる。

「晁錯が地方の領主を厳しく取り締まったために反乱が起きたのに懲りた主父偃は寛大な政策を実施した。そうかと思えば、管仲(管夷吾)が斉の桓公を援けて覇者にした時は、軍政を敷いたものだった。この2人の政策は全くの逆だ。」

ここに登場する、主父偃や晁錯は前漢の景帝や武帝の時の人で、この試験が実施された唐の時代からいうと、既に1000年も前の話だ。それだけでなく、管仲(管夷吾)や斉の桓公と言えば、1500年も前の人だ。日本に置き換えれば、平成から1500年前といえば、ちょうど聖徳太子の時代となる。そのような時のことを例にとって説明するのが『中国流』である。

 +++++++++++++++++++++++++++

漢元優遊於儒学,盛業竟衰;光武責課於公卿,峻政非美。二途取捨,未獲所従。余心浩然,益所疑惑。子大夫熟究其旨,属之於篇;興自朕躬,無悼後害。

さらに、過去に対立する政策があったことを述べる。

「前漢の元帝は儒学に耽溺し、優柔不断であったので、漢王朝は衰えてしまった。一方、後漢の創建者・光武帝は公卿を厳しく統御したが、そのやり方は褒められたものではない。さて、このどちらの方策を採ればいいのだろうか?単に一時しのぎの政策でなく、この先長く有効な提案を期待する。」

 +++++++++++++++++++++++++++

これはなかなかの難問だ。実際の政治の担当者自らが困っている課題の解決を求めている訳だ。この設問に対して、白居易は3000字で回答している。その回答については、また機会があれば紹介したい。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 想溢筆翔:(第243回目)『資... | トップ | 想溢筆翔:(第244回目)『資... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事