限りなき知の探訪

45年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

智嚢聚銘:(第60回目)『中国四千年の策略大全(その60 )・最終回』

2024-07-14 10:16:54 | 日記
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馮夢龍『智嚢』の最後は、『雑智』というタイトルで、《狡黠》《小慧》という2巻がある。馮夢龍は智恵のランキングは不要と考えていたようで、この『雑智』も別に智恵が劣るというカテゴリーではなく、素晴らしい智恵だが、分類しにくいものというだけの意味で、「人は小賢しい策略をバカにするが、それによって苦しめられることも多い。どんな些細な智恵も取り柄はあるものだ」と評している。

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 馮夢龍『智嚢』【巻27 / 999 / 郭純王燧】(私訳・原文)

東海に郭純という大変孝行な息子がいた。母が亡くなったが、泣く都度、鳥や大がたくさん集まってくるという。役所から人を出して調査させたところ本当だったので、その家と村の入り口に旗を立てて顕彰した。ところがその後調べてみると、その息子は泣く都度、地面に餅を撒いたので、鳥が争って集まってくることが分かった。たびたびそういう事をしたので、鳥は息子の泣き声を聞くだけで競って舞い降りてくるようになった。何も霊験のある話ではなかった。

東海孝子郭純喪母、毎哭則群鳥大集。使検有実、旌表門閭。復訊、乃是毎哭即撒餅於地、群鳥争来食之。其後数数如此、鳥聞哭声、莫不競湊、非有霊也。
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この、親孝行を騙って世評を高めた狡賢い息子の話に対して馮夢龍は次のようなコメントを残している。

戦国時代の昔、田単が考えだしたトリックをちょっと利用しただけだ。餅を撒くのは、多少の善事になるのは確かだが、それを孝というのはどうかと思う。(田単妙計、可惜小用。然撒餅亦資冥福、称孝可矣!)

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 馮夢龍『智嚢』【巻28 / 1047 / 黠豎子】(私訳・原文)

西嶺のおばさんの家の李(すもも)は非常に甘いのでよく盗まれる。それに腹を立てたおばさんが、李の囲いの下に穴を掘り、その中に糞尿を溜めておいた。いたずら小僧が3人で李を盗みに来て、一人が垣をよじ登って入ったが、糞尿の穴にぽとりと落ちてしまった。かろうじて首だけは糞尿に浸かっていないので、残りの二人に「おお~い、この李はうまいぞ~」と呼びかけた。また一人が垣を越えたが同じように糞尿の穴に落ちてしまった。「わあ~」と泣きそうになったので、始めの小僧が慌ててその口を押えて黙らせ、残りの一人に「早く来いよ~」と何度も呼びかけたので、最後の一人も垣を越えたがこれも穴に落ちた。二人の小僧は最初の小僧をなじると「もし、3人の内、だれか一人でも穴に落ちなかったら、一生笑い者にされてしまうじゃないか」と反論した。

西嶺母有好李、苦窺園者、設穽牆下、置糞穢其中。黠豎子呼類窃李、登垣、陥穽間、穢及其衣領、猶仰首於其曹、曰:「来、此有佳李。」其一人復墜、方発口、黠豎子遽掩其両唇、呼「来!来!」不已。俄一人又墜、二子相与詬病、黠豎子曰:「仮令三子者有一人不墜穽中、其笑我終無已時。」
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これは西嶺のおばさんの落とし穴にはまった3人の悪ガキの話で、サブタイトルがズバリ「黠豎子」とついている。

この話に対して馮夢龍は次のようなコメントを残す。

悪者が「拖人下渾水」(人を水にひきずりこむ)というのはこういうことを言うのだろう。相手にも共通の弱みがあるから裏切れないという仕掛けだ。(小人拖人下渾水、使開口不得、皆用此術、或伝此為唐伯虎事、恐未然。)

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 馮夢龍『智嚢』【巻28 / 1054 / 敖陶孫】(私訳・原文)

南宋では、派閥争いが熾烈で、韓侂冑と趙汝愚が対立していた。

しかし、とうとう韓侂冑が趙汝愚を死に追いやった。太学生の敖陶孫は酒楼の三元楼に登り、趙汝愚の死を悼んで詩を作り襖に書いた。書き終わって筆をおいてからまだ酒を一、二杯も飲んでいないのに、襖は誰かに盗まれてなくなっていた。敖陶孫は韓侂冑の仕業と気づき、急いで服を替えると徳利をもって下に降りていった。その時ちょうど敖陶孫を捕縛しにきた者たちと鉢合わせになった。捕縛者たちが「敖陶孫はまだ上にいるか?」と聞いたので、敖陶孫は素知らぬ顔をして「ああ、まだ飲んでいるよ」と答えた。捕縛者たちが二階へ駆け上がると、敖陶孫は外に逃げ出し、南方へ逃亡した。韓侂冑が殺害されると、敖陶孫は都に戻ってきて科挙を受験し、トップ合格した。

韓侂冑既逐趙汝愚至死、太学生敖陶孫賦詩於三元楼壁弔之。方投筆、飲未一二行、壁已舁去矣。敖知必為韓所廉、急更衣持酒具下楼、正逢捕者、問:「敖上舎在否?」対曰:「方酣飲。」亟亡命走閩。韓敗、乃登第一。

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敖陶孫は科挙をトップ合格するぐらいであるから、文人中の文人と言えるであろう。しかるに、ここで見られるような武人にも劣らない機敏さを備えている。1989年の天安門事件のあと、何人もの学生運動家が機敏に国外逃亡したが、それを彷彿させるようなエピソードだ。



さて、60回にわたり、馮夢龍『智嚢』の話を連載したが、今回で最終回となる。ここに掲載した話は、2022年の初旬にビジネス社から上梓した『中国四千年の策略大全』の原稿として書いたものの、出版社の意向による枚数制限のため、出版できなかった話である。本とこのWeb連載を合わせると、『智嚢』(正式名称:『智嚢補』あるいは『智嚢全集』)の短い話の(ほぼ)全てを訳したし、『智嚢』全体としても、7割程度は訳した。『智嚢』にはかなりの長文の話もあるが、律儀に訳すと、Web連載では10本ほどの分量にもなるが、ほとんどた明時代の政争関連で、とりたててきらりと光る智恵が発揮されているわけでもない話が多い。それで、本でもこのWebでも長文を除いた。

今から400年ほどにかかれた『智嚢』を読むと、いかに中国人の言動が策略的であるか、また、それとの対比で、日本人の言動がいかに策略に乏しいものであるかが痛烈に思い知らされる。この点から、手前みそにはなるが『中国四千年の策略大全』は現代日本人、とりわけ中国人と関係をもたざるを得ない人々にとって必読書だと確信している。

(了)
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