限りなき知の探訪

45年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

智嚢聚銘:(第4回目)『中国四千年の策略大全(その4)』

2022-04-03 16:27:18 | 日記
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本書『中国四千年の策略大全』は明の文人の馮夢龍が書いた『智嚢』の抄訳である。私がなぜ、この本の名前を知り、興味をもったのは増井経夫氏の抄訳本『智嚢 ― 中国人の知恵』がきっかけだった。(その後の経緯などについては本書のP.37からP.39に書いたので、ご参照頂きたい。)増井氏の本は『智嚢』の1/7程度の抄訳であるので元の構成がどうなっているのか分からなかった。本文にも書いたように、それから40年近く経過して、ようやく漢文の全文をウェブ上で発見して、ダウンロードしてようやく全貌を掴むことができた。

ちなみに全文はWeb上で幾つかのサイトでみることができる。たとえば、中国版 Wikisource の https://zh.wikisource.org/wiki/智嚢 にある。困ったことに、サイト間で多少の食い違いがある。例えば、複数の話が一つのタイトルの下にまとめられている場合、それぞれを別の話と見るか同じ範疇の話と見るかによって、番号付けが異なる。いづれにせよ、概略 1060条の話が『智嚢』には載せられている。

原文がデータとして入手できると、紙媒体では得られない情報を得ることができる。一つの例は語数の統計分布だ。馮夢龍が『智嚢』を書いた主目的は策略のバリエーションを網羅的に記すことであったので、歴史書では重要な人物の思想・経歴や事件の背景の説明は極力簡略化して、ツボにはまった策略が際立つようにしている。それで、基本的には文章は星新一流のショートショートになっている。
語数をカウントした表を下に示す。(語数のカウントには句読点や括弧などは含めず。)



この図から分かるように、語数が400語以下の話が全体の8割にもなり、500語以下で9割となる。500語は、簡単なメール文程度の極めて短い文章となる。この中に話の起承転結が詰まっているということは、いかに馮夢龍の文章編纂が優れていたかという証拠となる。

さて、この本には1000条にものぼる中国人の策略が紹介されている。本書『中国四千年の策略大全』ではその内、1/5ほど紹介してある。増井氏の本とのダブりは極力避けるようにした。それは、『智嚢』という本の幅広さと中国人の策略の凄さを知ってもらいたいと思ったからあった。ところで、これは私の勝手な推測だが、中国文学者の増井氏は中国人のいや~な面を如実に示すような薄汚い話をあまり選んでいない。私が『智嚢』を読んで一番感心したのは、第 5章の《雑智》策略に「賢い」も「ずる賢い」もない、の部分だ。この章を読めば、本書の帯に書いてあるように:
「詐」の中国、「誠」の日本。両国の文化の差を表わすのにこれほど適切なことばはない。詐の根源を辿れば春秋時代の孫子が力説する策略に行きつく。もっとも、詐と誠というのは必ずしも善/悪の対比ではなく、策略のあり/なしと理解すべきだ。

という文句が十分納得できるであろう。私が《雑智》(本書第5章)でとりわけ感心したのは、《孫三 真赤な猫で大儲けした老人の策略》(P.270)、《京邸の仮宦官 大金を借りようとして手土産をかすめ取られる》(P.272)、《京師の騙子 都の一流の詐欺師の腕前》( P.274)のような中国の策略の粋が詰まっている話だ。もっとも、増井氏も流石にこの中からは《狡訟師 依頼人の耳を噛みちぎって無罪を勝ち取る》(P.265)を取り上げているのは、日本人には到底考えつくことすらできない策略に思わず膝を打ったからであろう。

ところで、世間で有名な識者のいうことは真理だと考える人は多いが、私の今までの読書体験からいうと、中には「トンでも論」も間々見受けられる。たとえば、近代資本主義の勃興に関しても、元来商売が盛んであった中国ではなく、ヨーロッパだけに近代資本主義が発達した理由をキリスト教の教義に関連づける識者は多い。一例として小室直樹氏は『イスラム原論』(P.395)で「利益を得るのが悪いというキリスト教があったから、それにカルヴァン派が猛反発し、それが資本主義の発展につながった」との趣旨を述べている。しかしこれは、一面の真理でしかないと思う。というのは、資本主義の発展のためには、「見知らぬ人から資本を集め、利益が出れば適切に配分する」ということが正しく履行されないといけない。つまり、見知らぬ人の間で、公正な倫理観が共有され、信頼関係が構築されないといけない。この点から資本主義を見てみると、資本を集めた人は出資者から信頼されていなければいけない。英語の単語でいうと、sincerety、integrity、trust が見知らぬ人達の間で確立されている社会の存在が資本主義発展の大前提となる。本書『中国四千年の策略大全』を読むとそういった社会は中国にはかつては(そして、多分現在も?)存在していない。これが結局、世界中の富を多く集めた宋以降の中国に近代資本主義が成立しなかった根本原因であることが分かる。

続く。。。
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