限りなき知の探訪

45年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

想溢筆翔:(第220回目)『資治通鑑に見られる現代用語(その63)』

2015-09-03 20:59:31 | 日記
前回

【162.恐愒(恐喝) 】P.3519、AD401年

『恐喝』とは言うまでもなく現在も使うが『おどすこと』である。

『きょうかつ』は資治通鑑においては次の3通りの表記が見つかる。
 恐愒:計5回(巻2、112、191、211、245)
 恐猲:計2回(巻2、111)、
 恐喝:計1回(巻207)

いづれも、旁の部分が共通している、つまり旁の部分が字音(発音記号)を表わしている。確かに、この3つの意味は少しずつ異なるのだが、日本語でいえば「おどす」という共通の概念を表わす。このように中国古典では、発音が共通であれば他の字で代用する仮借というやり方がある。現代的に言えば、当て字なのだが極めて一般的だったようだ。

さて、恐喝が出現する個所を見てみよう。

 +++++++++++++++++++++++++++
後涼の王である呂纂は酒と狩猟が大好きであった。儀典長(太常)の楊穎が諫めていうには、「陛下は天命を受けて天子になられたのですから、常に身を慎まないといけません。とりわけ、現在の状況では、我が国が日に日に領土が侵食され、わずかに洪池嶺と丹嶺の間の領土を保有するだけです。陛下は、政治に過ちがないかと細心の注意もせず、また先祖の偉業を引き継いで領土を広げようともせず、日々、酒と狩猟に溺れ国事を顧みようともしていません。私は、国が滅びないかと心配でなりません。」呂纂は申し訳ない次第だと口先で謝っただけで行いは相変わらずであった。

さて、番禾の太守である呂超が独断で鮮卑族の思盤を攻めた。思盤は弟の乞珍を呂纂のもとに派遣して呂超の不法行為を訴えた。呂纂は調停のため、呂超と思盤の両方に入朝するよう命じた。呂超は自分の非を咎められるを懼れた。都の姑臧に入ると、ひそかに殿中監(宮内長官)の杜尚と結託した。呂纂は呂超を呼び出して責めた。「お前たち兄弟は武力に優れているのを笠にきて、よくもオレの顔に泥を塗ってくれたな。見せしめに腰切りの刑にしてくれん!」呂超は恐れて何度も地面に頭を打ちつけて謝った。呂纂はもともとちょっと呂超を「恐喝」してやろうと思っただけで、殺すつもりなど全くなかった。

それで、呂超や思盤、その他大勢の群臣を宮殿に引き連れて宴会を始めた。呂超の兄で、中領軍の呂隆はたびたび呂纂に酒を勧めたので、呂纂はぐでんぐでんに酔っぱらってしまい、歩くことができなくなった。それで車に乗り、呂超らを引き連れて禁中(宮廷の奥)を遊覧した。琨華堂の東殿で車が動けなくなった。呂纂の親衛隊の竇川と駱騰は剣を外して壁に立てかけて車を推して、東殿を過ぎようとした。呂超はこの時と、その剣を取って呂纂に殴りかかった。呂纂はあわてて車から降りて呂超を捕まえようとしたが、逆に呂超に腹部をぐさりと刺されてしまった。竇川と駱騰は呂超と組打ちしたが、呂超に殺されてしまった。その場にいた、呂纂の皇后・楊氏は近衛兵に呂超をやっつけろと命令したが、杜尚がストップをかけた。それで、近衛兵は全員、刀をすてて戦う意志のないことをしめした。将軍の魏益多がやってきて呂纂の首を切り落とした。

涼王纂嗜酒好猟,太常楊穎諌曰:「陛下応天受命,当以道守之。今疆宇日蹙,崎嶇二嶺之間,陛下不兢兢夕以恢弘先業,而沈湎遊畋,不以国家為事,臣窃危之。」纂遜辞謝之,然猶不悛。

番禾太守呂超擅撃鮮卑思盤,思盤遣其弟乞珍訴於纂,纂命超及思盤皆入朝。超懼,至姑臧,深自結於殿中監杜尚。纂見超,責之曰:「卿恃兄弟桓桓,乃敢欺吾,要当斬卿,天下乃定!」超頓首謝。纂本以恐愒超,実無意殺之。

因引超、思盤及群臣同宴於内殿。超兄中領軍隆数勧纂酒,纂酔,乗歩輓車,将超等游禁中。至琨華堂東閤,車不得過,纂親将竇川、駱騰倚剣於壁,推車過閤。超取剣撃纂,纂下車禽超,超刺纂洞胸;川、騰与超格戦,超殺之。纂后楊氏命禁兵討超;杜尚止之,皆捨仗不戦。将軍魏益多入,取纂首。
 +++++++++++++++++++++++++++

全権を握っているはずの呂纂と雖も、臣下が数人結託することでいともたやすく殺されてしまった。つまり、臣下に見放された王というのはいかに危いかということが分かる。



ところで、ローマの雄弁家キケロに『トゥクルム荘対談集』(Tusculanae disputationes)という本がある。彼の博識がそこかしこにちりばめられている本だが、その巻5・61節に『ダモクレスの剣』という話が見える。

時は、紀元前4世紀、場所はシケリア島。当時、シラクサの僭主(タイラント)であったディオニュシオス一世は豪勢な生活をしていた。その富と権力に憧れた臣下のダモクレスが、あまりにも羨ましがったので、ディオニュシオス一世は、お前にも一度この玉座の坐り心地を味わせてやろうと言った。まばゆいばかりの装飾が施された玉座の前には山海の珍味が満載の食卓が用意され、数多くの美女が取り巻いた。玉座に座ったダモクレスは幸福の絶頂を味わい、すばらしい、を連発した。さて、そうしている時にディオニュシオス一世は家来に命じて、玉座の上に一本の馬の尾の毛で剣を吊るさせた。それを見たあと、ダモクレスは恐怖でいたたまれなくなり、ディオニュシオス一世に、玉座から下ろしてくれと泣き付いた。

玉座の危うさは、東も西も変わらないということだ。

続く。。。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする