(前回)
【164.衰弱 】P.3460、AD397年
辞海(1978年版)には『衰』とは『およそ、盛(さかり)より、漸く微弱になるものを皆、衰という』(凡由盛而漸微弱者、皆曰衰)と説明する。これから判断すると『衰弱』の『弱』はあたかも『馬から落ちて落馬する』のように不要な字のように思える。ただ、『衰』には、いくつか別の意味がある(例: 1.ちがい(差)、2.くだる(降)、3.喪服)ので『衰』が weaken の意味であることを明示するために『弱』を付けたのであろう。
現代の日本語で『衰弱』というと生物(人間や動物)の力がなくなっていくことを表わすが、資治通鑑(だけでなく漢文の世界)では生物だけでなく、国家や政体のおとろえにも使う。現代の日本語の『衰退』に相当する用法だ。
さて、資治通鑑の中で『衰弱』が使われているのは12ヶ所ある。
その中で、人の肉体に関しては次の2ヶ所しかない。
A. 燕人有自中山至龍城者,言拓跋渉珪衰弱。(巻109、P.3460、AD397年)
中山から龍城にやって来た燕の人が、拓跋渉珪が衰弱していると言った。
B. 李彦韜知岐王衰弱。(巻269)
李彦韜が岐王が衰弱しているとの情報を得た。
残りの10ヶ所は「国家、政体、部族」の衰えを示す。時代順に並べると:
1.上与後将軍趙充国等議,欲因匈奴衰弱。(巻
天子は趙充国らと、いかにして匈奴を衰弱させるかについて議論した。
2.方今宗室衰弱 (巻36)
まさに今、王室は衰弱している。
3.自是匈奴衰弱,辺無寇警(巻44)
これ以降、匈奴が衰弱したので、国境警備が不要となった。
4.今王室衰弱,無扶翼之意(巻61)
今、王室が衰弱しているというのに、(袁紹は)助けようともしない。
5.呉潘濬討武陵蛮,数年,斬獲数万。自是群蛮衰弱,一方寧静。(巻72)
呉の潘濬が武陵蛮を征伐すること、数年の間におよそ数万人もの蛮族を斬り殺したり、捕虜とした。これ以降、諸蛮は衰弱し、ようやく平和になった。
6.晋室衰弱,温専制其国。(巻102)
晋の王室が衰弱して、桓温が国を牛耳っている。
7.(劉裕)討孫恩於郁洲,累戦,大破之。恩由是衰弱。(巻109)
劉裕に命じて、郁洲にいる孫恩を討たせた。数度の戦いで、敵を大破した。これ以降、孫恩は衰弱した。
8.略陽王羯児収柔然民畜凡百余万。自是柔然衰弱,屏跡不敢犯魏塞。(巻112)
略陽王の羯児が柔然の人民と家畜、合わせて約100万頭を手にいれた。これ以降、柔然が衰弱した。陣地を引き払って、魏の国境の砦を襲おうとはしなくなった。。
9.稽胡酋長劉仚成帥衆降梁師都,師都信讒,殺之,由是所部猜懼,多来降者。師都浸衰弱(巻125)
稽胡の酋長である劉仚成が部族全員を率いて梁師都に投降した。ところが、梁師都が根も葉もない讒言を信用して、劉仚成を殺した。それで、周りの部族たちは恐れて続々と唐に投降してきた。それで、師都はだんだんと衰弱していった。
10.朱全忠留魏半歳,羅紹威供億...蓄積為之一空。紹威雖去其逼,而魏兵自是衰弱。(巻191)
朱全忠が軍を率いて魏に半年滞在した。羅紹威は目いっぱい饗応したので、蓄えていた財産がからっぽになった。これによって、羅紹威は朱全忠からの圧迫はなくなったとはいうものの、魏の兵力はこれ以降衰弱した。
このように、同じ熟語でありながら、日中で用法が微妙に異なることが分かる。
(続く。。。)
【164.衰弱 】P.3460、AD397年
辞海(1978年版)には『衰』とは『およそ、盛(さかり)より、漸く微弱になるものを皆、衰という』(凡由盛而漸微弱者、皆曰衰)と説明する。これから判断すると『衰弱』の『弱』はあたかも『馬から落ちて落馬する』のように不要な字のように思える。ただ、『衰』には、いくつか別の意味がある(例: 1.ちがい(差)、2.くだる(降)、3.喪服)ので『衰』が weaken の意味であることを明示するために『弱』を付けたのであろう。
現代の日本語で『衰弱』というと生物(人間や動物)の力がなくなっていくことを表わすが、資治通鑑(だけでなく漢文の世界)では生物だけでなく、国家や政体のおとろえにも使う。現代の日本語の『衰退』に相当する用法だ。
さて、資治通鑑の中で『衰弱』が使われているのは12ヶ所ある。
その中で、人の肉体に関しては次の2ヶ所しかない。
A. 燕人有自中山至龍城者,言拓跋渉珪衰弱。(巻109、P.3460、AD397年)
中山から龍城にやって来た燕の人が、拓跋渉珪が衰弱していると言った。
B. 李彦韜知岐王衰弱。(巻269)
李彦韜が岐王が衰弱しているとの情報を得た。
残りの10ヶ所は「国家、政体、部族」の衰えを示す。時代順に並べると:
1.上与後将軍趙充国等議,欲因匈奴衰弱。(巻
天子は趙充国らと、いかにして匈奴を衰弱させるかについて議論した。
2.方今宗室衰弱 (巻36)
まさに今、王室は衰弱している。
3.自是匈奴衰弱,辺無寇警(巻44)
これ以降、匈奴が衰弱したので、国境警備が不要となった。
4.今王室衰弱,無扶翼之意(巻61)
今、王室が衰弱しているというのに、(袁紹は)助けようともしない。
5.呉潘濬討武陵蛮,数年,斬獲数万。自是群蛮衰弱,一方寧静。(巻72)
呉の潘濬が武陵蛮を征伐すること、数年の間におよそ数万人もの蛮族を斬り殺したり、捕虜とした。これ以降、諸蛮は衰弱し、ようやく平和になった。
6.晋室衰弱,温専制其国。(巻102)
晋の王室が衰弱して、桓温が国を牛耳っている。
7.(劉裕)討孫恩於郁洲,累戦,大破之。恩由是衰弱。(巻109)
劉裕に命じて、郁洲にいる孫恩を討たせた。数度の戦いで、敵を大破した。これ以降、孫恩は衰弱した。
8.略陽王羯児収柔然民畜凡百余万。自是柔然衰弱,屏跡不敢犯魏塞。(巻112)
略陽王の羯児が柔然の人民と家畜、合わせて約100万頭を手にいれた。これ以降、柔然が衰弱した。陣地を引き払って、魏の国境の砦を襲おうとはしなくなった。。
9.稽胡酋長劉仚成帥衆降梁師都,師都信讒,殺之,由是所部猜懼,多来降者。師都浸衰弱(巻125)
稽胡の酋長である劉仚成が部族全員を率いて梁師都に投降した。ところが、梁師都が根も葉もない讒言を信用して、劉仚成を殺した。それで、周りの部族たちは恐れて続々と唐に投降してきた。それで、師都はだんだんと衰弱していった。
10.朱全忠留魏半歳,羅紹威供億...蓄積為之一空。紹威雖去其逼,而魏兵自是衰弱。(巻191)
朱全忠が軍を率いて魏に半年滞在した。羅紹威は目いっぱい饗応したので、蓄えていた財産がからっぽになった。これによって、羅紹威は朱全忠からの圧迫はなくなったとはいうものの、魏の兵力はこれ以降衰弱した。
このように、同じ熟語でありながら、日中で用法が微妙に異なることが分かる。
(続く。。。)