限りなき知の探訪

45年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

【2011年度授業】『ベンチャー魂の系譜 1.命懸け、古代の東西交流』

2011-10-17 13:29:47 | 日記
今年も『ベンチャー魂の系譜』の授業を行う。

この授業では、どのような環境下においても挑戦する心、チャレンジ精神が必要だという
ことを学生に理解してもらうために行っている。チャレンジ精神とニュアンスには、がむ
しゃらに挑戦する、というような無謀な意味も含まれているようにも解釈される。従って
、チャレンジ精神のポジティブな面を捉え、かつそれにしたたかさやしなやかさを加えた
のが、ここでいう『ベンチャー魂』と私は定義している。

授業では、次の14個のテーマから成り立つ。前半の7つ(1.~7.)は、冒険や知的分野で新
たな分野へ挑戦した人たちを取り上げている。後半の6つ (8.~13.)は、文字通りベンチ
ャー魂に溢れた起業家・事業家を取り上げている。私は起業することだけにしかベンチャ
ー魂が存在するとは考えていない。困難な状況を克服して事業を継続・発展させて行く人
の中にも確実にベンチャー魂を感じさせてくれる人がいる。

最後の『14.【ディベート】ベンチャー精神について』は、今年新たに導入した試みで、学
生諸君を2つ、乃至、3つのグループに分けて、ベンチャー精神についてディベートをす
る。ここでは、客観性より、主観的な意見を重視する。それは実社会では、とくにグロー
バル的な環境では、たとえ客観的に正しい情報をもっていても相手を上手に説得できなけ
れば、意味がないことを体感してもらいたいからだ。

テーマ
 1.命懸け、古代の東西交流(張騫、班超、クセノポン、アレクサンドロス)
 2.世界中、至らざる所なしの探検家(アムンゼン、クック)
 3.自由、それはベンチャー魂の源泉(Livius、ローマ建国史、ヨセフス)
 4.死と隣り合わせの求道(法顕、玄奘、空海、河口慧海)
 5.鎖国時代、開かれた世界への情熱(前野良沢、杉田玄白、平賀源内)
 6.限りなき知の探検(Plinius、南方熊楠)
 7.言語に魅せられた辞書作り(James Murray、諸橋轍次、大槻文彦)
 8.江戸のベンチャー(住友、三井)
 9.明治のベンチャー(三菱、安田、大倉、渋沢)
 10.昭和のベンチャー(小林一三、和田一夫、盛田昭夫)
 11.伝説をつくったベンチャー(電子立国日本の自叙伝、孫正義)
 12.アメリカ活力の源泉、ベンチャー魂(カーネギー、ビル・ゲイツ)
 13.急成長する中国・インドのベンチャー(ハイアール、アリババ、インフォシス、ウィプロ)
 14.【ディベート】ベンチャー精神について

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【ベンチャー魂の系譜 1.命懸け、古代の東西交流】

本項の対象者:張騫、班超、クセノポン、アレクサンドロス

モデレーター:セネカ3世(SA)

【図書の紹介】

○司馬遷『史記』(平凡社、中国古典文学大系10)
 (SA)張騫の業績が詳しい。人生の見方が変わる、私にとって生涯にわたるインパクト
を与えてくれた読み物であった。

○班固『後漢書』(岩波文庫)
 (SA)班超(班固の弟)が登場。文化背景が全くことなる異邦人をも心服させた強靭な
精神力と行動力をもった人だ。

○イヴン・バットゥータ『大旅行記』(平凡社、東洋文庫)
(SA)この人物を知っている人は?
(受講者挙手:以下 A)
(SA)どうして知っているのか?
(A)世界史で習った。
(SA)『大旅行記』を読んだことは?
(A)ない。
(SA)たしか10年程前、初めて日本語訳された。英訳はずっと早いだろう。半分はコメン
ト。字も大きく、読みやすい。



○ヴァーンベーリ『ペルシア放浪記』(平凡社、東洋文庫)
(SA)この本はアラビア語がペラペラのハンガリー人が書いている。彼はペルシャなどを
放浪して、様々な経験をした。
これらの本は世界史でも出てきただろうが、名前だけ。中身を知らないはず。この講義
ではその中身に注目する。

 『大旅行記』や『ペルシア放浪記』は、法治国家ではない国々で体験した出来事を書い
たものだ。我々は今、法治国家に住んでいる。そこでは様々な制約があるが、それが正し
いと思い込んでいる。だが現代でも、例えば、「災害時にはこうすべき」とされている
教訓とは異なる判断が、多くの人間の命を救う事になったり、日本の法秩序とは全く異
なるイスラム諸国などに行けば、我々の常識では起こり得ないこと(武装勢力の異邦人
拉致・殺害をネットで実況中継、等)が起こったりする。
これらの作品に触れることを、法治国家であることが本当に正しいのか、法治国家でな
ければ本当にダメなのか等について、改めて考えるきっかけとして欲しい。

○クセノポン『アナバシス』(岩波文庫)
(SA)古典ギリシャ語を学ぶ人は必ず読む作品。非常に簡単。日本で言えば、我々が日本
の古典を学ぶ時に『徒然草』を読むような位置づけ。

この本は、リーダーシップについて語っている。その手の本に書かれている、「こういう
事をしなさい、ああいうことをしなさい」という項目を覚えて、それでリーダーシップが
身に付いたような気になってはいけない。こういう本の「エピソード」を読んで欲しい。
それでこそ、リーダーシップの「本質」が分かるだろう。

【「句読点のある話し方」で】

(SA)NHK「白熱教室」などを見ていて気になるのは、「句読点のある話し方」ができて
いないということ。生徒も、教師も。息継ぐひまもないから、何を言っているのか分から
ない。間を置けば聞いている側も、自分の考えに追いついくことができる。(理解されたく
なければ逆に、「句読点のない話し方」をすればいい。)

 ローマの有名な雄弁家・キケロによれば、「レトリック上達の秘訣は、とにかく書くこと
だ」と。基礎体力もつけないで野球だけして、それでうまくなるかというのと同じで、ど
んどん話をすれば話し方が上達すると考えるのは間違い。とにかく、自分の考えをまとめ
て、書くこと。そうして初めて、話し方が上達する。だがみんな、書くのは辛いからやら
ない。これでは、話す力を上げる可能性をみすみす棄てている事になる。
 この授業ではこのことを一つの目標とするため、度々話し方を指摘することとなるだろ
うが、そこに個人攻撃の意味はない。

【ディスカッション】
モデレーター:セネカ三世(SA)
パネリスト:Hata(農・生物資源1)
      Seto(農・生物資源1)
受講者:A

(SA)なぜこの回のパネラーを選んだのか、誰を選び、どの本を読んできたのか?
(Hata)高校時代は地理を選択していたから、あまり勉強したことのなかった世界史の古
代について学びたくて。『アレクサンドロス大王物語』(国文社)を読んできた。
(SA)未経験だからこそ選んだ、というのはいい。どんな本だった?
(Hata)かなりフィクションが多かった。
(SA)日本のもので言えば、『平家物語』の義経みたいなものだろう。アッリアノス『アレ
クサンドロス大王東征記』の方が、史実に近い。
(Seto)(授業において)一番目に「ベンチャー」しようと思って。アレクサンドロスにつ
いて調べてきた。


(SA)アレクサンドロスはどんな人物?
(Hata)紀元前356から323年まで生きた。(つまり)33歳で亡くなり…。
(SA)何歳で王になった?
(Hata)18歳。
(SA)最終的に、彼のしたことは後世において、どのように評価された?
    …
(SA)自分がその時持っている知識でもって考えて答えるように。社会に出ると、知って
いるか否かに関わらず、その場に応じて対応しなければならない。
(Seto)後世の…ナポレオン達に尊敬されていた。
(SA)よくできるじゃない。
 ナポレオン以前に、一番影響を受けていたのはシーザー。アレクサンドロスが20歳の時
に世界制覇を成し遂げたと。世界征服を終えてから、33歳で死んだ。シーザーはというと?
(Hata)(Seto)わかりません。
(A)ガリアに遠征したりした。
(SA)それを成し遂げたのは、何歳くらいの時?

(SA)40歳くらい。暗殺されたのは?だいたい50代半ばくらいだね。シーザーを知っているか?
(Hata)名前だけしか知らない。
(SA)高校では地理を選択したと言っていたね。中学までは、世界史も日本史も地理も、
一通り勉強しただろうが、高校では、そのうちの一つか二つしか学習しない。そういう意
味で、京大生の知識は中卒並み。かなり足りない。
 今は、自分が何を知らないかという事を知ること。自覚すること。そして、答えられな
かったことを完全に答えられるようになってから大学を卒業して欲しい。それが一つの使
命だと思っている。
 シーザーはこうして嘆いたわけだが、とにかく「アレクサンドロス」という歴史上の一
つの大きな、具体的なモデルを目指して努力した、というのが大事。自己啓発本の項目を
覚えたり、歴史の教科書を読んだり…ではダメだということ。
 では、何がアレクサンドロスを冒険に駆り立てたのだろうか?
(Hata)父王・フィリッポス2世の跡を継いだことによって。
(SA)なぜ、「父の跡を継いだことによって」冒険に駆り立てられたのか?
(Hata)父のことを尊敬していたから。父が成し遂げられなかったことを、自分が成し遂
げようとした。
(SA)それなら、ギリシャを征服しただけでも充分ではないか?最終的にはペルシャを経
てインド、インダス川まで行った。なぜそこまで行く必要があった?
 さらには、なぜ西・南・北でなく、東に向かったのか?
(A)南は海があって(SA・エーゲ海だね)、侵攻が難しいから。
(SA)アレクサンダーは南に行った。エジプトを攻めた。朝飯前とばかりに蹴散らした。
それから、本命の東を目指した。
 問題は、「なぜ東に行ったか」。エジプトの西にはさらに領土があるし、同じく西のマル
セイユやバルセロナなどには、ギリシャ人は元々入植していた。ということは、西の方の
ことはもう分かっていたわけ。何故そこに行かず、ペルシャに行ったのか?

(SA)人間をこれだけの行動に駆り立てるには、目的というものがあったはず。何だと思
う?
(A)野心があった。
(SA)その野心が、西ではなく東に向かったのは、なぜ?
(A)中国に行きたかった。
(SA)アメリカ人が好む答えだ(笑)
(Hata)ナポレオンがエジプト遠征をした時に、研究員をつれていったのと同じく、東の
ことがよくわからなかったので、探究心をくすぐられたのでは?
(SA)当時のギリシャ人には、東のことは知られていなかったのだろうか? ペルシャ戦争
があったはずだ。そのときペルシャはアテネまで攻め入り、パルテノン神殿を燃やしたり
している。それ以前に、メソポタミアは紀元前400年辺りには拓けていた。ギリシャはそ
れに比べれば後発国であった。東には既に大帝国があって、「金ぴか」の世界だった。『旧
約聖書』には(実在かどうかは分からないが)ソロモン王(紀元前961-922?)が金箔の大
神殿を造ったなどという話も登場する。秀吉の金箔の茶室など、比較にならない。
 とにかく、そういうペルシャに戦争でやられて、ギリシャ人の精神は壊滅的打撃を受け
た。そういう巨大な壁のペルシャに立ち向かっていったのがアレクサンドロス大王だ。
 彼は誰に一番大きな感化を受けて、そのような遠征を行ったのだろうか?
(Seto)父親では。

(SA)彼は父王と仲が悪かった。(ペルシャに攻め入ったのは)父親から影響を受けたとい
うよりも、そういう時代の雰囲気であったということ。ペルシャ戦争の物語と、アリスト
テレス。アリストテレスはどんな人?
(Seto)アレクサンダーの教育係。
(SA)どんなことを教えたのだろうか?
(Seto)ギリシャ人だから、ギリシャの事を色々と教えたのでは。
(SA)それに対して、アレクサンドロスはどう感じたのだろうか?
(Hata)反発した。
(SA)なるほど。ではアレクサンドロスは、アリストテレスから得るものは何もなかった
のだろうか?
(Seto)政治学等はちゃんと学んでいたのでは?

(SA)噛み砕いて言えば、アリストテレスはアレクサンドロスに、「世界はギリシャだけで
なく、もっと広い。そこに行けば自分達の知らないものがいろいろある。ギリシャ人はそ
れをを知る義務がある」と教えた。アレクサンドロスがペルシャにとどまらず、インドま
で向かったのはそのためだ。
 当時、インドとペルシャはどういう関係だったのか?全く交流がなかったのだろうか?
日本で言えば、奈良時代にはペルシャの瑠璃椀などが入ってきて、正倉院に残されている。
 実はギリシャ人にとって、インドは憧れの地だった。なぜ憧れだったのか?
(Hata)文化に憧れた。
(SA)もっと即物的なものではないか。例えば、金が欲しいだとかいうように…。何が欲
しかったのか。
(A)金。象に乗りたかった。 etc.
(SA)お葬式に行くと、焼香するでしょ。あの抹香は、インドからギリシャに持って来た
時には相当高価になるものだったにもかかわらず、アレクサンドロスはある時、片手にい
っぱい掴んで燃やしたものだから、先生に怒られた。だから、アレクサンドロスはいつか、
その先生を見返してやろうと思った。バケツ一杯の抹香を燃やしてもいいようにしてやろ
うと。そして結局、船いっぱいに積んでギリシャに送り付けた。
 昔の冒険家の願望はこのように、即物的なものだった。


(SA)イブン・バットゥータに行ってみよう。どんな人物か?
(Seto)モロッコに生まれ、メッカに巡礼した。その後、中国まで足を伸ばした。
(SA)何年くらいのこと?
(Seto)1300年くらい。(生年:1304年、巡礼に出たのは1325年)その後、イランから
中央アジア、インド、スマトラなどを経て中国まで到達し、一旦故郷に帰ってからまたイ
ベリア半島やアフリカ北部等を旅した。
(SA)(バットゥータが巡った土地を地図で描き、示しながら、)このインドの西にパキス
タン、東にバングラデシュがあるが、昔は「西パキスタン」、「東パキスタン」と呼んでい
た。私も子供の頃は不思議に思っていた。何故インドを中にして二つのパキスタンがある
のか(イスラム教徒が分かれて住んでいるのか)と。何故だろうか?
(A)インドが南から出て来た。
(A)東のバングラデシュの方が土地も肥沃で耕作がしやすい。
(SA)では何故、西のイスラム教徒が移り住まないのかということになる。
(A)その二ヶ所にはそれぞれ、インダス河とガンジス河という大河があり、その港から入
植していったのでは?

(SA)何故、大河のほとりの港から入植していったのか?海に面したインドにも港は沢山
あるが?マホメッドが出てきて、イスラム教が起ったのは?
(Hata)7世紀。
(SA)そう。だからその前はヒンズー教徒か仏教徒しかいなかった。後から来たイスラム
教徒が、何故東西に分かれて住んだのか?これは、イスラムの特性を考えると分かる。
 モルディブはほとんどイスラム教徒。東南アジアのこのあたり、マレーシアなんかもイ
スラム教国。こういったところにイスラム教徒が多く住んでいるのは、何をするためか?
(Hata)みんなで礼拝するため。
(SA)もっと即物的に考えて。食べていかないといけないでしょ?
(A)交易をするため。
(SA)そう。イスラムという種族は、交易をしていないときは強盗をしている。それが彼
らが職業としているもの。だから、交易の拠点となるようなところにしか住めない。
 それでは何故、交易か強盗しかしないのか?なぜ耕作をしないのか?
(A)耕作に適した土地ではないから。
(A)穀物を食べないから。
(SA)みんな誤解しているようだが、彼らの主食は穀物だ。
 それなのに、何故耕さないかというと?
(A)交易の方が儲かるから。
(SA)うん。それもあるし…。
(A)面倒くさい。

(SA)彼らは交易や強盗をすることを高貴な所業だと思っている。耕作をする人々を下賤
な者どもだと軽蔑している。だから、そういう下賎な行為をする者どもから物を強奪する
のは、自分達の権利だと、そういう理論になる。
 先ほどの『ペルシャ放浪記』の二箇所を読んで欲しい。

(要約)「ある時、二人の男が、市場ですれちがおうとしたが、一人の男はどちらによけて
いいか分からなかったのでまごつくと、もう一人の貴族らしい男がいきなり剣をぬいて一刀
両断にした。」
(SA)二人の男がすれ違った時に、一人がどっちにいこうか迷っていたのを、もう一人が
殺した。気が短い、そして殺すのは自分の権利だと思っている。

(要約)「村を襲って捕まえた男のうち、40代の使えそうな男たちは、奴隷として売り飛ば
したが、使い物にならない白髪の鬚を生やした老人はその両目をくりぬいて、解放した。」
(SA)だから今、法治国家云々と言っていたが、街中で人をこんなことで殺すか?ここは、
強者の論理で成り立っている。奴隷もそうだ。殺そうがどうしようが、従わせた方の権利
となる。現代でもこれに近いものが行われた。
 だから今日対象とした人物達が行ったのは、「世界ウルルン滞在記」など計画されたもの
のように、安全に行けるものではなかった。簡単に考えてはいけない。つまり、それを承
知で、それでも敢えて向かおうとの情熱、ベンチャー魂がなければできるものではなかっ
たと、私はそう言いたい。

※受講者の一人から、「先ほどから『法治国家』という言葉が出てきて(そしてイスラム諸
国は法治国家ではないとの前提で話が進んで)いるが、イスラムにもイスラム法がある。」
との指摘があったが、ここでいう「法治国家」とは、近代のヨーロッパの市民社会思想に基
く法律により統治される国家のことを指す。
コメント (2)
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