限りなき知の探訪

45年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

【2011年度・英語授業】『日本の情報文化と社会(9)』

2011-06-28 06:26:31 | 日記
【日本の情報文化と社会 9: Picture Scroll, Diary, Publication and Buddhistm】

絵巻物というのは不思議な存在だ。絵画であると同時に文学でもある。有名な絵巻物は絵画の観点から評価されている。しかし、私が見た限り、大抵の絵巻物は、絵画として見るとそれほどでもないものが多い。つまり、絵巻物の本来の趣旨は絵画として評価されるべきでないと考える。それでは、絵巻物はどういう目的で作られているのだろうか?私なりの私見を述べると、通常文だけでは読むと、億劫になるものでも、ちょっとした挿絵があるとそれに引きずられて読み進むものだ。古代の日本人はすでにこの人間心理をよく理解していたので、上手/下手に関係なく、絵を添えていたように思う。

この手法は、連綿と引き継がれている。とりわけ江戸時代に木版技術レベルが向上し、多色刷りも可能となってきて一段と精彩を放つようになった。その成果は、名所図会や黄表紙などの大量出版に見ることができる。現在日本がマンガ大国だといわれる淵源は絵巻物にあるのではないかと想像する。

仏教は6世紀に百済から日本に伝わった。伝来から200年も経たない内に奈良の大仏のような巨大な仏像を作り挙げた程、人々の熱狂的な支持を受けた。これは、何も仏教の教理(四諦、不殺生、輪廻転生など)が日本人が理解し、受け入れた訳ではないと私は考えている。

宗教は何れもそうだが、それが誕生した地域の文化背景を色濃く反映している。日本と環境が全く異なるインドを発祥とし、ヒンズー教やジャイナ教との激しい論争を経て思想的に成熟した仏教を、素朴な古代日本人が等しく受け入れることができたとはとうてい思えない。第一、印刷術のない時代に経典を手書きしていたのでは、地方にまで経典が流布するはずがない。さらに文字(漢文、サンスクリット語)が読める人がほとんどいない状況では、あの浩瀚な仏典から教義を正しく読み取った人がたくさん居たとは思えない。(言うまでもなく、奈良の都には仏典も備わり、それぞれの仏典を正しく読める僧がいたのは事実ではある。しかし、そのような状態は日本の極く極く一部であったというのが私の主張である。)

そうすると、常識的に考えて、仏教が広まったのは教理以外の部分、いわば仏教本来の宗教としての役割ではなく高度な先進土木・建築技術、あるいはきらびやかな仏像や仏具などに古代日本人が目を奪われたためだと考えざるを得ない。言ってみれば、現代において、地味な民謡歌手ではなく、派手派手しいロック歌手に若者が熱中するようなものだ。空海や行基のような僧というより中国技術の粋を日本に伝えたマルチタレントが民衆の切実な願いであった、ため池や橋作りを全国規模で行ったため、それに随伴して仏教も広まっていったと私には思える。



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・絵巻物
国宝の4絵巻物 
○源氏物語絵巻 -- 特徴的な絵画技法として吹抜屋台と引目鉤鼻がある。 
○伴大納言絵詞 -- 特徴的な絵画技法として異時同図法がある。 
○信貴山縁起絵巻
○鳥獣人物戯画。

仏教
・仏教の教義
四諦 -- 基本的にはこの世は苦に満ちている。欲を断ち切れば苦は消滅する。その境地に至るには、この世についての正しい理解と正しい行いをすればよい。
八正道 -- 正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定。

・仏典の結集
仏陀寂滅のあと、弟子達が集まり仏陀の言行を再確認した。しかしそれらは参集者の記憶に留められ、書き物として書き記されたのは寂滅後500年近く経っていた。

・大乗と小乗(省略)

・仏教の日本伝来
紀元552年(欽明天皇時)に百済から仏教が儒教と共に伝来したと言われている。
○奈良六宗 -- 律、法相、華厳、倶舎、成実、三論
○平安密教 -- 天台(最澄)と真言(空海)
○鎌倉時代の仏教ルネサンス -- 日蓮宗(日蓮)、浄土宗(法然)、浄土真宗(親鸞)
○禅宗 -- 曹洞宗(道元)、臨済宗(栄西)、黄檗宗(隠元)

・大蔵経(一切経) 
漢訳仏典の総称、三蔵(経蔵、律蔵、論蔵)から成り立つ。

・仏典の翻訳者
鳩摩羅什(350 - 409)、玄奘(602 - 664)真諦(499 - 569)、不空金剛(705 - 774)
この4人の中で玄奘だけが中国人で他は中央アジア、北インド人。

・大正新脩大蔵経(1924 - 1934)-- 現在、漢訳仏典の定番。 1000ページで100巻で、1億5千万文字ある。この文字数は大体、聖書の100倍だが、四庫全書の1/5。

・日記
御堂関白記(藤原道長, 年代 998 - 1021)、小右記(藤原実資, 年代 978 - 1032)、権記(藤原行成、年代 991 - 1011)、明月記(藤原定家、年代 1180 - 1235)

・日記文学
伊勢物語(9世紀)、土佐日記(紀貫之、 935年ごろ)更級日記(菅原孝標の娘、1060年頃)とはずがたり(二条、1307年)海道記(?, 1223)東関紀行(?, 1242)十六夜日記(阿仏尼, 1277)

・女流日記
蜻蛉日記(藤原道綱の母、974年ごろ)紫式部日記(紫式部、1010年ごろ)和泉式部日記(和泉式部、1008年ごろ)

・江戸時代の日記
慊堂日暦(松崎慊堂、 1823年から1844年まで)、蒹葭堂日記(木村蒹葭堂, 1779年から1802年まで、合計4万人の著名人が訪問した。)

・旅行日記
奥の細道(松尾芭蕉, 1694)菅江真澄遊覧記(菅江真澄、?)東海道中膝栗毛(十返舎一九、1802 - 1814に出版)西洋道中膝栗毛(仮名垣魯文、1870 - 1876))

・名所図絵
都名所図会(京都、1780年)摂津名所図会(大阪、1798年)江戸名所図会(江戸、1834 - 1836) 尾張名所図会(名古屋、1844 - 1880)

・武鑑(大名と旗本の年鑑)
江戸時代の隠れたベストセラー

・黄表紙
江戸生艶気樺焼(山東京伝、1761 - 1816)偐紫田舎源氏(柳亭種彦、 1783 - 1842)南総里見八犬伝(滝沢馬琴, 1767 - 1848)

・新聞 "Acta Diurna"(ローマ、AD1世紀)
Gazette (イタリア、16世紀)、邸報(中国、7世紀)、瓦版(あるいは読売とも。日本、19世紀)
コメント
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