【国際人のグローバル・リテラシー 8.イスラム イスラムの社会・文化、イスラムの科学】
日本は歴史的に見て、中東やイスラム圏というのにはなじみが低い。私自身もイスラム圏には残念ながら足を踏み入れたことはわずかにパキスタンに2日ほどであるので、イスラムについて知っているとはとても言えない。しかし、日本が消費する原油の大部分をこの地域に依存していることや、国際情勢におけるイスラム圏の影響力を考えると、イスラムについて無知であることは危険極まりない。とりわけ、9・11事件以降西欧社会とイスラムとの関係はネガティブな要素が多く、我々日本および日本人もこの対立から局外者であるという訳にはいかない。
その意味で、私はイスラムについてはブッキッシュ(bookish)な知識しかないが、イスラム社会について考える必要性を認識してもらうために今回のテーマ、『8.イスラム イスラムの社会・文化、イスラムの科学』を設定した。
イスラムの科学について考えるとき、とりわけ西欧への影響を考える時に後ウマイヤ朝のスペインと、そこに住んでいたユダヤ人の果たした役割は看過することはできない。 10世紀当時、50万人もの世界最大級の人口を擁したコルドバは文化、科学、技術のいずれの面においても、西欧を圧倒していた。その輝かしい繁栄を西欧人が羨望のまなざしで見ていたことは想像に難くない。今でもコルドバの観光資産と言えばイスラム様式のものだけである。
ただ、イスラムを正しく理解するには外面的な華やかさだけに注目するではなく、社会の内面、および彼らの生活風俗についても知る必要があることは言うまでもない。
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本稿は今回の講義のまとめである。一部、語句を修正したところがある。またところどころ筆者(本稿をまとめた学生)の意見が入っている。
モデレーター:セネカ3世(SA)
【旅人のもてなし(Philo-xenos)について】
まず、セネカ3世から次のような話しがあった。それはドイツからダマスカスに立ち寄った日本人の話だった。ある日本人がダマスカスに立ち寄った時に荷物を盗まれてしまい困っていたところ、現地の人が親切にも自宅に泊めてくれ、その上、ご馳走でもてなし、助けてくれた。その日本人は「お礼に」と言って、お金を渡そうとしたが主人はお金をもらおうとせず、結局無理やり渡そうとした結果主人は怒り、その日本人を締め出し二度と顔を会せなかった。これのわけにはphilo-xenosと言うダマスカスの人々の異邦人に対するもてなし方における宗教の考え方があるらしい。
筆者が調べた結果この言葉の意味は「外国人好き」という意味である。外国に行くときにはその国の宗教を少しでも知っておかないと価値観の違いで争いが起きてしまうので気を付けるべきだと思った。
【復讐について】
次はイスラムの復讐についてであった。コーランでは殺人は認めていないが、イスラムの世界では伝統的に仲間が殺された場合、村全体で復讐の義務を負っていた。一方、日本では「曽我物語」で見られるように、家族間内で復讐の意識が生まれている。そもそも血の意識の違いがある。
筆者がここで思ったのイスラムの過激派のように他の国ではあまり見られないほどに大規模なのは、村全体で復讐するため、大人数になるためだと思う。砂漠で、旅の商人を襲う盗賊などはこのイスラムの血の意識のために、500km遠い所からやってくるらしい。近くから襲いに行くと村の身内でバレる恐れがあるからだ。京都ー東京間の距離を襲いに走って、実際に襲えたのか?不思議に思った。おそらく行き当たりばったりで襲っていたと思う。
【イスラムの科学技術について】
ヨーロッパは紀元後2,3世紀から約千年間、科学技術があまり発達しなかった。イスラムと唐との戦争で8世紀に製紙技術がイスラムに入り、その後数百年経ってヨーロッパに伝わった。スペインは当時、イスラム圏に属していたが、中核都市のコルドバには50万人という当時最大級の人口が住み、この高度な技術を支え続けた。
筆者が調べた西洋のこの時代の医学は低レベルなもので、殺人と変わらないものであった。西洋は十字軍などでも言えるように戦争で技術を発達させて、結果的に考えると、戦争は人類の発展に寄与したとも言える。
日本は歴史的に見て、中東やイスラム圏というのにはなじみが低い。私自身もイスラム圏には残念ながら足を踏み入れたことはわずかにパキスタンに2日ほどであるので、イスラムについて知っているとはとても言えない。しかし、日本が消費する原油の大部分をこの地域に依存していることや、国際情勢におけるイスラム圏の影響力を考えると、イスラムについて無知であることは危険極まりない。とりわけ、9・11事件以降西欧社会とイスラムとの関係はネガティブな要素が多く、我々日本および日本人もこの対立から局外者であるという訳にはいかない。
その意味で、私はイスラムについてはブッキッシュ(bookish)な知識しかないが、イスラム社会について考える必要性を認識してもらうために今回のテーマ、『8.イスラム イスラムの社会・文化、イスラムの科学』を設定した。
イスラムの科学について考えるとき、とりわけ西欧への影響を考える時に後ウマイヤ朝のスペインと、そこに住んでいたユダヤ人の果たした役割は看過することはできない。 10世紀当時、50万人もの世界最大級の人口を擁したコルドバは文化、科学、技術のいずれの面においても、西欧を圧倒していた。その輝かしい繁栄を西欧人が羨望のまなざしで見ていたことは想像に難くない。今でもコルドバの観光資産と言えばイスラム様式のものだけである。
ただ、イスラムを正しく理解するには外面的な華やかさだけに注目するではなく、社会の内面、および彼らの生活風俗についても知る必要があることは言うまでもない。
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本稿は今回の講義のまとめである。一部、語句を修正したところがある。またところどころ筆者(本稿をまとめた学生)の意見が入っている。
モデレーター:セネカ3世(SA)
【旅人のもてなし(Philo-xenos)について】
まず、セネカ3世から次のような話しがあった。それはドイツからダマスカスに立ち寄った日本人の話だった。ある日本人がダマスカスに立ち寄った時に荷物を盗まれてしまい困っていたところ、現地の人が親切にも自宅に泊めてくれ、その上、ご馳走でもてなし、助けてくれた。その日本人は「お礼に」と言って、お金を渡そうとしたが主人はお金をもらおうとせず、結局無理やり渡そうとした結果主人は怒り、その日本人を締め出し二度と顔を会せなかった。これのわけにはphilo-xenosと言うダマスカスの人々の異邦人に対するもてなし方における宗教の考え方があるらしい。
筆者が調べた結果この言葉の意味は「外国人好き」という意味である。外国に行くときにはその国の宗教を少しでも知っておかないと価値観の違いで争いが起きてしまうので気を付けるべきだと思った。
【復讐について】
次はイスラムの復讐についてであった。コーランでは殺人は認めていないが、イスラムの世界では伝統的に仲間が殺された場合、村全体で復讐の義務を負っていた。一方、日本では「曽我物語」で見られるように、家族間内で復讐の意識が生まれている。そもそも血の意識の違いがある。
筆者がここで思ったのイスラムの過激派のように他の国ではあまり見られないほどに大規模なのは、村全体で復讐するため、大人数になるためだと思う。砂漠で、旅の商人を襲う盗賊などはこのイスラムの血の意識のために、500km遠い所からやってくるらしい。近くから襲いに行くと村の身内でバレる恐れがあるからだ。京都ー東京間の距離を襲いに走って、実際に襲えたのか?不思議に思った。おそらく行き当たりばったりで襲っていたと思う。
【イスラムの科学技術について】
ヨーロッパは紀元後2,3世紀から約千年間、科学技術があまり発達しなかった。イスラムと唐との戦争で8世紀に製紙技術がイスラムに入り、その後数百年経ってヨーロッパに伝わった。スペインは当時、イスラム圏に属していたが、中核都市のコルドバには50万人という当時最大級の人口が住み、この高度な技術を支え続けた。
筆者が調べた西洋のこの時代の医学は低レベルなもので、殺人と変わらないものであった。西洋は十字軍などでも言えるように戦争で技術を発達させて、結果的に考えると、戦争は人類の発展に寄与したとも言える。