限りなき知の探訪

45年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

通鑑聚銘:(第22回目)『虎穴に入らずんば虎子を得ず』

2009-12-29 00:11:29 | 日記
『不入虎穴、不得虎子』

班超のこの言葉は、あまりにも有名であるが、今からさかのぼること約2000年前、この言葉が発せられた状況は、班超にとって、まさに死ぬか生きるかの大博打であった。

その班超の家はというと、父は班彪といい後漢の歴史家であった。父だけでなく、兄・班固や妹・班昭も同じく歴史家・文人として名を残している。一家総出で作ったのが、史記と並ぶ名著といわれている漢書である。そういう文人一家にあって、班超だけは毛色が変わっていた。ある時、とうとう筆を放りだして、叫んだ。『男と生まれたからには、是非とも傅介子や張騫のように西域で、功をたてて王侯になりたいものだ。こんな書き物ばかりの生活はもううんざりだ!』(大丈夫無它志略,猶當效傅介子、張騫立功異域,以取封侯,安能久事筆研乎?)



竇固が匈奴に出撃した時に従軍し、功をたて名を知られた。そして、ついに郭恂に従って、念願の西域に行くことになった。善善(初めの善は、善+おおざと)国に着いた当初は、歓待されたのだが、匈奴の使いが来るに及んで、逆に邪魔者扱いにされ、命が危なくなったことに気がついた。そこで班超は、仲間を集め状況を説明した。

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資治通鑑(中華書局):巻45・漢紀37(P.1461)

仲間たちは驚いて、『この危機を救えるのは、お前だけだ。』と言った。班超はそこで『虎穴に入らずんば虎子を得ずというが、まさに今その時だ。匈奴のやつらは、こちらの人数を知らない。闇夜に乗じて火を放って攻めれば、殲滅できる。善善の度肝を抜けば、あとはたやすいことだ。』仲間たちは、『この件は、我々だけでなく、政府の文官も交えて議論したい。』これを聞いて、班超は怒鳴った。『あの腰抜けの文官と議論して決めるだと!奴らに話せば必ずや計画が洩れ、皆殺しにあうこと必定だ。名を挙げることなく死んでいいのか?』これを聞いて、仲間たちは、みな承服した。

官屬皆曰:「今在危亡之地,死生從司馬!」超曰:「不入虎穴,不得虎子。當今之計,獨有因夜以火攻虜,使彼不知我多少,必大震怖,可殄盡也。滅此虜,則善善破膽,功成事立矣。」衆曰:「當與從事議之。」超怒曰:「吉兇決於今日!從事文俗吏,聞此必恐而謀洩,死無所名,非壯士也。」衆曰:「善!」

官属、みな曰く:「今、危亡の地にあり,死生、司馬に従わん!」超曰く:「不入虎穴,不得虎子。当今の計,ひとり夜によりて、火をもって虜を攻めるにあり。彼をして我が多少を知らざらしめば、必ず大いに震怖せん。殄尽すべし。この虜を滅せば,則ち、善善、胆を破り、功は成り、事は立たん。」衆曰く:「まさに従事と議せん。」超、怒りて曰く:「吉兇、今日、決せん!従事は、文俗吏のみ,これを聞かば必ず恐れ、謀は洩れん。死して名する所なくんば,壮士にあらざるなり。」衆曰く:「善し!」

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そこで、班超は闇夜に仲間の十人と共に、匈奴の150人ほどの使節団を火攻めにして皆殺しにした。戦略家であると同時に、肝がすわっていた班超であったからこそこの危地を脱出できたのであった。

この後、班超はほぼ全生涯をこの西域で暮らすことになるのだった。彼の生涯を見ると、まさにベンチャー魂の権化であると同時に、人類愛に満ち、民族関係なく人心を掌握する術を心得ていたリーダーシップの鑑のような人物だった、と私には思える。
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