限りなき知の探訪

45年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

『ベンチャー魂の系譜(7)』

2009-12-16 13:15:08 | 日記
【ベンチャー魂の系譜 7.言語に魅せられた辞書作り】

以前、このブログでも書いたように(『1円OED(Oxford English Dicitionary)顛末記』)私は辞書が好きである。とりわけ大部の辞書を作った人たちにはその作成の苦労を思うと、無条件で尊敬の念を抱いてしまう。

かつて、言語に魅せられ生涯をかけて辞書作りに取り組んだ人たちがいた。順不同に挙げると:
 グリム兄弟(Grimm)
 サミュエル・ジョンソン(Samuel Johnson)
 ジェームズ・マレー(James Murray)
 ノア・ウェブスター(Noah Webster)
 大槻文彦
 諸橋轍次・鈴木一平
 下中弥三郎
など。

今回は、このなかから英語の辞書の金字塔を打ち立てた、サミュエル・ジョンソンとジェームズ・マレーの二人について議論した。

時間の都合で、議論できなかったが、私は個人的には、『諸橋轍次・鈴木一平』の不屈の闘志により完成した大修館の『大漢和辞典』には本当に感謝している。この大漢和辞典は通常、『諸橋の大漢和』と称されているが、私は常々に、この呼称は片手落ちだと思っている。

この辞書は元来、大修館の鈴木一平氏が発案したものである以上に、鈴木氏は、長年にわたり、大修館の全利益を注ぎ、また一家を挙げて、特に息子たちの大いなる犠牲を強いてまで完成に熱意を燃やしたのであった。この経緯については、大漢和の第1巻の序(諸橋轍次)や第13巻(索引)の出版後記(鈴木一平)に詳しい。

私の個人的推計では、鈴木氏が投下した累計金額は、現在価値になおすと300億円を軽く越える。本来は、国家的事業であるこのような大部の漢和辞典の編纂を公的資金の援助を受けず、戦争の混乱の中、一時は絶望的な状況に追い込まれたにもかかわらず、個人の財産だけで成し遂げたその苦労話(出版後記)は涙なしには読まれない。

ただ、現在この大漢和辞典は大型版しか販売せず、それも紙ベースのものに限定している。一時、縮刷版を発行し、これが非常に売れたので、大修館にとっては、収益的観点からマイナスとなったと思われ、その反省から設定した販売戦略であろう。しかし、それでは良質な図書の販売を自分の一生の仕事にすると宣言していた先代の鈴木一平社長の遺志を無にするだけでなく、諸橋轍次博士にも失礼だと私は内心憤慨している。

OED(Oxford English Dictionary)に範をとり、積極的かつ速やかに、大漢和の電子版を作成し、廉価に販売するよう、現在の大修館の経営陣の猛省を求めたい。

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モデレーター:セネカ3世(SA)

パネラー
 みうらさん(以下みうら)
 陸さん(以下陸)

Q.このテーマを選んだ理由は?
  (みうら)言葉に興味があった
  (陸)言葉、文字、記号が好きだから。



1、サミュエル・ジョンソン 1709~1784
英国リッチフィールド出身 文学者、聖職者、批評家 シェイクスピアを研究、ジョンソン辞書(48000語)を作成

Q.当時の辞書事情は?
(みうら)当時の英国には辞書が存在していたが実用的でなかった。貴族の尊厳を示すためもあって、難しい言葉ばかり収録されていた。死語が多く、語数も 2,800程度だった。ジョンソンは英国にも自由で客観的な辞書が必要だと思ったのでは。

Q.当時の英語はどんな感じだったか。
(陸)英語はスペルも統一されておらず文法も明確でなかった。それに対して、フランスでは30人で15年くらいかけてしっかり辞書を作っていたので、ある程度表記などが統一されていた。イタリアにも辞書があった。乱れた英語を秩序立てるためにも、辞書が必要だった。
(聴衆)辞書を作ることで英語の権威を示したかったのでは?

Q.実際英語はどんなふうだったの?
(聴衆)乱れていた、など抽象的表現での発言あり
(SA)当時、orthography(正書法)が確立されていなかった。例えばkingはkyng、kyngeとも書かれていた。

Q.サミュエル・ジョンソンは辞書作りのほかに何をやったか?
 (聴衆)詩人?
 (SA)詩を書いていたの?
 (みうら)シェイクスピアの校了をやっていた。
 (SA)そう。詩人というよりは批評家だった。
 (陸)雑誌への投稿で有名になった。
 (SA)何故、雑誌に投稿したの?
 (陸)妻のテティーが病気で、その治療費を稼ぎたかった。
 (SA)奥さんの治療費のためにやっていたのか?
 (陸)依頼があって、それを受けたのは治療費を稼ぐためもあった。

Q.辞書つくりのパッションは?
(みうら)英国にも客観的で自由な実用的辞書をつくりたかった。キリスト教を普及させるために言葉の定義をしたかった。聖書を読むために辞書が必要。
(SA)聖書読むのに辞書がいるのか?
(みうら)単語の意味ひとつひとつが正確に分かっていないと聖書の意味が伝わらない。布教には辞書が必要。
(SA)他にはパッションはなかったのか?
(陸)英国の言葉が崩れているため、言葉を正しく定義したかった。また、風紀の乱れも改善したかった。
(聴衆)時代的にはそろそろ産業革命?科学が進歩するに当たっては、正確さが必要。つまり言葉の定義が必要。
(SA)非常に論理的な意見だね。ただし、結論があっているとすればだが。
(聴衆)うーん、結論があっているかは分からない。
(SA)結局辞書を作ることで、文明自体が発展する。辞書をつくることにはそういう意味もある。

結論:ジョンソンが辞書を作った理由は、国力の向上とorthographyの確立の向上のためではなかったか。


2、ジェイムズ・マレー 1837~1915
 スコットランド出身 言語学者 OED(Oxford English Dictionary)を作成

Q.辞書作りのパッションは?
(SA)この人はどうして単なる意味だけでなく語源も調べたの?なんでそんなに手間のかかることをやったのか?
(みうら)せっかく苦労して辞書を作っても、後世では役に立たなかったり、内容を批判される辞書も多い。後世になって批判されないような辞書を作りたかった。
(聴衆)言語の変化を調べるのが重要だったのでは。
(SA)英語がまともな言語であるための権威を示すには、ラテン語・ギリシャ語との関連を正確に示すことが必要と考えた。そのためには、語源を調べなければならなかった。

Q.どんな人物だったか?
(みうら)貧しい家庭に育ち、大学には行けなかったが、独学で学び、30歳前にすでに20ヶ国語程マスターする。一度目の結婚では、妻に先立たれ絶望し、先生になった。しかし、再婚を機に、再度自分の知識拡大を志、最終的には辞書を作るに至る

この説明の時、(みうら)の発言内容が冗長であったので、注意した。つまり、発言の当事者は分かっていても、聞いている聴衆には全体像が分からない。まず大筋を話してから、細部を説明するように指導した。

Q.辞書を作るに必要なのは語学の才能だけでいいのか?辞書つくりには他にどんな要素が必要?例えば、協力者はどうやって集めたの?
(聴衆)本屋でしおりを配り、ボランティアを募集した。
(SA)パッションだけではこのような大部の辞書を作ることはできない。多くの人を巻き込みまた鼓舞するマネジメント能力、金銭に関する数々の交渉を粘り抜く力、危機を乗り越える不屈の精神、など高い事業遂行能力も必要とされる。この点で、ジェイムズ・マレーは優秀な学者であると同時に非常に有能なオーガナイザーだった。

【辞書作りのベンチャー的要素】
一般に辞書づくりとは膨大な時間、労力、資金が必要であるが、完成したとしても世間で相応の評価を得られるか分からない。困難を乗り越える強烈なパッションが必要。
コメント (1)
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