★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

文化戦争――オリンピア

2024-07-27 23:19:31 | 文学


フランスについては、損失額は上に述べたとおりである。しかるに、パリーはフランス全人口の二十五分の一を有し、パリー市の糞は最上とされているので、パリーの損失高は、フランスが年々失ってる五億のうちの二千五百万フランに当たるとしても、あえて過当の計算ではない。この二千五百万フランを、救済や娯楽の事業に用いたならば、パリーの光輝は倍加するはずである。しかるに市はそれを汚水に投じ去っている。それでかく言うこともできる、パリーの一大浪費、その驚くべき華美、ボージョン(訳者注 十八世紀の大富豪)式の乱行、遊興、両手で蒔き散らすような金使い、豪奢、贅沢、華麗、それは実に下水道であると。
 かくて誤った盲目な社会経済学のために、万人の幸福は水に溺れ、水に流れ、深淵のうちに失われている。社会の富をすくい取るためにサン・クルーの辺に網でも張るべきであろう。


――ユーゴー「レ・ミゼラブル」(豊島与志雄訳)


こんなに暑いのに学会はあり、――しかし、オンライン学会なのでとにかくエアコンを全力にして麦茶のみながら頑張って参加した。たしかにオンラインになってから、遠い会場にいかなくてもよく、――しかもキャンパスに入ったはいいが迷ったりトイレを探しに行ったら迷ったり、トイレから出たら迷ったりということは回避される。

普通の生活ではそんなことはないのだが、学会の時は脳内で議論が始まったりしているので普通にまよったりするのである。日本哲学会の帰りに、新幹線、逆方向に乗ったのはいい思い出である。哲学に向いてないと思った。

オリンピックが始まった。この二・三年、急激にスポーツに対する興味が亡くなりつつあり、もはや興味は開会式ぐらいしかない。おそらくわたくしだけの現象ではない。多くの人が、国別対抗戦の機能していた段階がなくなった事態にある種の愛想を尽かしており、唯一国別の対抗意識が顕著な開会式などの「文化戦争」に注目せざるをえないのである。今回は、マリーアントワネットが抱えられた首で登場、人民を虐殺せよみたいな歌を歌っていた。――フランス革命があれなのは、マーリーアントワネットの首が魯迅の眉間尺みたいにセーヌ川上を飛んだりしないことであるが、どうせフランスでも東洋世界と同様、そういう伝説があるんだろう。知らんけど。

フランスは、むかしからの文化機能に忠実なだけだ。革命を文化として消費した誇りである。開会式がベルリオーズの幻想交響曲風だとして閉会式では例のプーランクの首落ちオペラをやって頂きたいくらいだ。

これに対して、我が国は――、イチローが5打数6安打でしたなおマリナーズは6対0で敗れました、このクリシェになれすぎて、オリンピックでも、圧倒的勝利みたいな映像の後に、「なお惜しくも(ないが)負けました」みたいな報道が多い。「負けたら切腹だ」と同等に妙な亜空間を漂っている。しかしこれがわれわれの文化であって、平家物語や大東亜戦争となってあらわれる。文化が政治になって顕れるのである。