★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

36度になると過去が走馬燈

2024-07-21 19:56:37 | 文学


【発見】むかし塾や予備校で教えてた頃、すごく高校入試も大学入試も解けるようになっていたが、――つまり、高校卒業したら予備校に就職し、問題が解けるようになったら受験すればいいのではっ。

大学入試は七割解けりゃいいねみたいなこと言われるし実際そんな側面はあるが、はじめから解かない問題をつくってしまうことで重要なものを認識できないこともある。後半の問題はとくに気合いを入れて適当に作られていないことがあるから。そもそも七割狙うと四割ぐらいしかできないぐらいのことはいえる。

――36度にもなると、採点くらいしか出来ないが、しかしすぐ疲れるので、この際エアコンつけずに子犬のワルツを轢くことにし、カルピス飲んでリフレッシュする。

だいたい勉強よりも、木彫りとか絵とかピアノとかのほうがすきであるわたくしであって、試験とか受験にはほとんど良い思い出がないわたくしがこの後に及んで採点なんかしているのか、考えてみると、わたくしが下手に木曽高校ではなく遠くの進学校なんかに進んでいたら、大江健三郎の「セヴンティーン」みたいな主人公になっていた可能性すらあるのだ。たしかに、やつには趣味というものがないからだめだと思うが、社会に馴致する良心とコンプレックスを強制する受験体制は怖ろしいものだ。

いまの若者は立派で、「セブンティーン」の主人公みたいなことにならないし、言わないのかもしれない。しかし、かわりに中高年が言っている。ありんこの群れでさぼる奴が一定数いるように、機能が移っただけなのであろう。してみれば、若者にやたらこびる中高年はあれなんだろうな、親に媚びる思春期みたいなかんじだろう。実際、隠蔽されているが思春期ってそういう現象もある。

谷口一平氏編の『新紀要』2に載っていた、川田まりね氏の「誰かぶっ殺してくれねえかな」を読んだ。いまどきの若者は、天皇陛下万歳の代わりに、山奥で陰毛を燃やしたりするようである。

だいたい、こういう病的文系インテリがおかしなことになってゆくのは、――ノーベル賞のせいでもあるのだ。だいたい爆発物作ったやつの賞なんか日用実用の輩にくれつづけていればよいので、文学賞は、紫式部賞とかダンテ賞にすりゃいい。NHKなんか、理系の学者には「博士」をつけてるのに、ときどき文系学者には「さん」になっている。ふざけてる。

だいたい理系の人というのは、地球は平面か球体かとかいう争いをしているような人たちで、――木曽で育った私をして言わしめれば、普通にすっごくでこぼこであり、平らなのは校庭だけだし、球体なのは蛙の卵ぐらいだ。「まったく、陰毛というものは不思議とどこにでも落ちているものである」(川田氏)こんな普通の事が分からないから、地球は球体だとか言いだし、山奥で陰毛を燃やす人がでるのである。