
間もなく軍隊に入る。戦争に行く、そして山とは永久にお別れになる――。こうした残り少ない山生活が、なおどれだけの情熱に値するか?
大東亜戦争の始まる頃から、この懐疑は不断にまつわりついて、山へ出かける時にも、山を歩く時にも私を離れなかった。自分の幸福、他の者の幸福――他の者の幸福に基づく自分の幸福……。[…]
稲の青い穂が波打って、秋が近づいていた。田園の果に、筑波、加波の山波が夕陽を浴びて黄ばんでいた。その上に、山の高さの数倍の高さに、巨大な積乱雲が盛り上っていた。紅みがかった円い頭は、なおも高く湧き返っているようだった。その姿は突然、私にかつての日の夏の穂高を思い起こさせた。それは烈しい、自分自身でどうにも抑えられぬほどの山への思慕であった。静かな夏の夕暮、人気の絶えた奥穂高の頂きに腰を下している時、ジャンダルムの上に高く高く聳えていた雲は、この雲ではなかったか。そし今もまた、この雲があの穂高の上でひっそりと黙って湧き上っているのではないだろうか。
――松濤明「再び山へ」
のび太の声優がお亡くなりになったと聞いて、のび太が好きだったことに気付いた。というかむしろドロンジョが好きである。わたくしの世代にとって大人達はみんな戦前の生まれで、とくに貫禄ある大人達は日中戦争前に生まれていた。ドロンジョ様もそうであった。
六十代以降が主流のいわゆる老人大学みたいなもので話をしたことの経験からいうと、――端的に申し上げて、ほんと戦後生まれってだめだよな、向上心がない、という印象である。いまの大学生がそうなのは当たり前だ、もうやる気なしの3代目だぜ。思うに、戦前生まれはいろんな事情で学校に行けなくて、ゆえにまだ学校が勉強するところだと思っていたのだが、戦後生まれは学校が友達と遊ぶ楽しい場であるみたいな感じになっていたのだ(からだめなんだよ)。「二十四の瞳」の子どもを労働の桎梏から救おうみたいなものが実現されたらこんどは、学校が遊びという桎梏の場になった。自由も苦もない桎梏だ。
仕事とは、岩の全体性や岩を何処におくかを考えることだ。しかし労働とは、岩を砕いたり切ったりすることだ。おもしろいことに、遊びが労働にちかい「感覚」をもつことは自明の理だ。それが善とか進歩とみなされている世の中が今の世の中で、岩の代わりに人間がそこにあったりするのは当然である。労働は遊びの感覚をもって人を殺すのである。ワークライフバランスなど、そのことを隠蔽してすべてを労働=遊びにすることにほかならなぬ。「君が代」の巌の、その苔の方をありがたがっている我々は加速的に没落する。しかし、一方で苔になってしまえばいいとおもう。
苔人形は
つくられた、
吹雪の音を
ききながら。
――新美南吉「苔人形」