★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

「せめて見れば」以降の梨の花

2019-12-24 23:21:44 | 文学


梨の花、世にすさまじきものにして、近うもてなさず、はかなき文付けなどだにせず。愛敬おくれたる人の顔などを見ては、たとひに言ふも、げに、葉の色よりはじめて、あいなく見ゆるを、唐土には限りなき物にて、文にも作る、なほさりとも、やうあらむと、せめて見れば、花びらの端に、をかしきにほひこそ、心もとなうつきためれ。

梨の花綺麗だと思うんだけどなあ……。わたしの感覚だと、葉の色からはじめて釣り合いが悪いなどと、――これはなんとなく言いがかりに見えるのである。とはいっても、清少納言、中国では評価高いらしいので、とくる。で、よく見てみると、花びらの端にじれったい程少し艶があるそうだ。――よく分からんが、花びらの端に艶ややさがある花はたくさんある気がするんだがな、雑草の葉っぱにだってけっこうつややかさはあるし……。わたくしには、清少納言の言い様は、褒めていても言いがかりみたいにみえるのであった。

――まあそれはともかく、清少納言は長恨歌を思い出したようだ。

楊貴妃の、帝の御使に会ひて泣きける顔に似せて、「梨花一枝、春、雨を帯びたり。」など言ひたるは、おぼろけならじと思ふに、なほいみじうめでたきことは、たぐひあらじとおぼえたり。

別にここまで無理して「たぐひあらじ」とか思わないでもよかろうに……。

有名な「木の花は」の段であるが、本当に清少納言は木の花に興味があるのかわたくしは疑問を持つ。彼女の文章は、お題に無理矢理網羅的に答えようとしているところがあり、結局は、漢詩・和歌の教養を復習するためのものにみえます。

わたくしは昔、復活祭のころ、イタリア、パドワの古い宿舎にとまって、ステンドグラスの窓をあけたら、梨の花が夜目にもほの白かったことを思い出す。「町ふるきパドワに入れば梨の花」。わたくしは卓上の鈴をならして数杯のうまいキャンチをたのしみ味わった。この山の中にもいつかは、あの古都に感じるような文化のなつかしさが生れるだろうか。この山はまず何をおいても二十世紀後半の文化中核をつかもうとすることから始まるだろう。その上でこの山はこの山なりの文化がゆっくり育つだろう。

――高村光太郎「山の春」


考えてみると、清少納言は無理矢理何かを見出そうと、梨の花に顔をくっつけていたに違いないが――、高村光太郎は「あ白いね」で終わりである。清少納言の方が本当は芸術家と言えるのではなかろうか。

『日本少年』のは絵に、「梨の花」という題の油絵がはいっていた。色のなかに細いすじのようなものが一ぱいに詰まっている絵、あれは油絵というものだと良平はもう知っていたが、その絵は、梨の木の花が咲いているというだけの絵だったが、見るからに美しかった。絵がうつくしい……「梨の花ア……」と良平はへんに思った。梨の花がこんなに美しいことがあるもんか。梨の木は、おじさんが癖で植えたものが灰小舎の傍にあった。毎年花が咲く。そして食べられぬほどのがじがじ梨が成った。あの梨の花が、美しかったもんか。良平には、梨の花を美しいと思ったことは一ぺんもなかった。一郎でも誰でも、梨の花が美しいなんといったものは一人もなかった。大人にもない。

――中野重治「梨の花」


否定の「ない」が繰り返されて、恰も「梨」という響きに沿うかのように、否定そのもののなかに美が感じられてくる。もっともこういう美は、否定されるべき対象を失うと、無へと転落する。もう一回、清少納言より前、文化のない状態に戻ってしまうのである。