一九三四年のブルジョア文学の上に現れたさまざまの意味ふかい動揺、不安定な模索およびある推量について理解するために、私たちはまず、去年の終りからひきつづいてその背景となったいわゆる文芸復興の翹望に目を向けなければなるまいと思う。
知られているとおり、この文芸復興という声は、最初、林房雄などを中心として広い意味でのプロレタリア文学の領域に属する一部の作家たちの間から起った呼び声であった。それらの人たちの云い分を平明に翻訳してみると、これまで誤った指導によって文学的創造活動は窒息させられていた、さあ、今こそ、作家よ、何者をもおそれる必要はない、諸君の好きなように書け、書いて不運な目にあっていた文芸を復興せしめよ、という意味に叫ばれたと考えられる。
――宮本百合子「一九三四年度におけるブルジョア文学の動向」
この二日間あまり眠れなかったので、ブルクハルトでも再読してみたが、よけい眠れなくなった。睡眠も起きていることと一緒で習慣化しないと続かない。ブルクハルトは、例の文芸復興の論文をかいてから、あとは大学教師として綿密な講義を続けて一生を終えた。学問との二刀流みたいなかっこつけなかったのはえらい。デリダやらフーコーやらは講義緑を出版する道に突入しかっこをつけている。
大リーグで最多安打を打って賭博で追放されたピート・ローズが亡くなった。思うに、彼はイチローと一平氏の二刀流だったのである。
我々は覚醒と睡眠の二刀流をすでにやっている。