★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

「心ときめきするもの」の価値

2019-12-21 23:10:47 | 文学


心ときめきするもの 雀の子飼ひ。ちご遊ばする所の前わたる。よき薫き物たきて一人臥したる。唐鏡の少し暗き見たる。よき男の車とどめて案内し、問はせたる。頭洗ひ、化粧じて、かうばしうしみたる衣など着たる。ことに見る人なき所にても、心のうちは、なほいとをかし。待つ人などのある夜、雨の音、風の吹きゆるがすも、ふとおどろかる。

「心ときめきするもの」は好きな箇所である。ときめきは不安の裡にあり。これは一般論じゃなく、「よき薫き物」以下の、男を待つ、あるいは待たないときでもその情況に似たもののあるときのことであり、それを雀の子飼いや子どもの前を通るときの、小さな可愛らしさを傷つけないようにそっと動く感じから連想しているところがすばらしく的確だと思うのである。そのような場合――不安は不安ではなくなり、可愛らしさのシーンを壊すかもしれない要素をすくい取ることに過ぎない。雨や風の音が男との逢瀬に流れてゆく。胸騒ぎである。

今日、学生との忘年会で、学生が「胸熱」「胸熱」と繰り返していたので、それなに?と聞いたところ、「エモい」みたいな、ときた。ちょっと違うような気がするのであるが、いまの学生は育ちがよいのか、ちょっと随想的なところがあって、枕草子的であると思った。

わたくしはその点、彼らに必要なのは「源氏物語」の方であるような気がする。「源氏物語」が見ているのは、「心ときめきする」心理をひっくりかえしてしまうような欲望の世界である。紫式部は実際、武家の時代を予期していたに違いない。欲望を無常観で暴力的に統制するような方向性を予感していたと思うのである。学生たちはいまにそういう欲望に直面することになるであろう。

謙譲を、作家にのみ要求し、作家は大いに恐縮し、卑屈なほどへりくだって、そうして読者は旦那である。作家の私生活、底の底まで剥ごうとする。失敬である。安売りしているのは作品である。作家の人間までを売ってはいない。謙譲は、読者にこそ之を要求したい。
 作家と読者は、もういちど全然あたらしく地割りの協定をやり直す必要がある。
 いちばん高級な読書の仕方は、鴎外でもジッドでも尾崎一雄でも、素直に読んで、そうして分相応にたのしみ、読み終えたら涼しげに古本屋へ持って行き、こんどは涙香の死美人と交換して来て、また、心ときめかせて読みふける。何を読むかは、読者の権利である。義務ではない。それは、自由にやって然るべきである。


――太宰治「一歩前進二歩退却」


太宰は、「心ときめかす」ことの意味をよく分かっていた。近代が猖獗を極めてくると、作品ではなく、作者が問題となり、心ときめくことはなくなる。学生たち、――いや我々が直面しようとしているのは、言説の嵐ではなく、言説の使い手である人間のどうしようもない欲望の姿である。それは、無頼派たちが、人間の概念を晴れやかに解体しようとした戦略を以てしても防ぎようのない実在である。まだ人権とか命という言葉を借りてはいるが、暴力そのものような人間がこれからやってくる。