★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

ヤクザ映画と料理

2019-12-12 23:19:40 | 映画
仁義なき戦い(予告編)


「仁義なき戦い」は何回も見たが、山守組組長の金子信雄がなかなかの演技で好きであった。今日は、その「仁義なき戦い」にも出ていた梅宮辰夫氏が亡くなったが、この人は料理研究家みたいな人であって、すっかり忘れていたが、金子信雄氏もそうであった。

わたくしは食べ物にはあまり興味がないが、料理はオーケストラと似ていて、要素が揃ったときに一気に化ける。そして観客や食べた人の反応が素直である。

映画は非常に面倒な業界で、文学と一緒である。頑張ってよい作品をつくっても、創造した者が無事で済むことはあまりない。それを知らずに才能を発揮してしまう人は若いうちから傷つく。梅宮氏なんかも若い頃から結構上手だったので、いろいろ言われたであろう。

そんな人は料理みたいなものに惹かれるのかもしれない。そういえば、挫折したプロ野球選手なんかがうどん屋になったりするのは、人からの素直な感想に飢えているのではなかろうか。プロ野球の世界も、素人が極めて勝手なご託を並べている世界である。

以前、岡田斗司夫氏が「シンゴジラ」を評して、日本人の役者は下手なので早口で喋らせるほかはないんだと言っていた。たしか他の人も、日本の役者は下手の時はヤクザか不良をやらせるほかはないと言っていた。確かに、我々の文化ではそのような下品なこけおどしはなんとなく容易な気はするのである。が、――例えばヤクザ映画なんかをみても、やはり上手い人と下手な人はいるようである。