ついでに言っておくと、ジジェクは、この作用がどこかで壊れているのが精神病であると見た。精神病では、「負」が引き取ったはずのものが、さまざまな理由と原因によって「正」の対象になってしまっている。ジジェクはとっくにそのことに気がついていたのだ。多くの精神医学はそこに「負の大きさ」が関与していて、そのことに精神病患者が気づいていないということを、気づかない。ようするに精神病とはテレビでさかんに特集されるNG集が、何かを完遂させるためのNGであることがわからない症状なのである。
このような見方をもって、さらにジジェクはどんな社会的な相互作用にも心理的な相互作用にも、何らかの「負」が介在しているはずだということを見抜いていた。しかもこの「負」は、ときに「割り切れない残余」にもなれば、別の場での発現にもなるし、また、ある者には過活動にも見えるものであり、それでいてそれはすでに必ずや「負への引きこみ」を遂行しているがゆえに、どんな正の主張や成果よりも、さらに奥にあるものとして、さらに本来的な響きをさまざまな場面で奏でつづけるとも喝破した。
――松岡正剛「 幻想の感染 スラヴォイ・ジジェク」https://1000ya.isis.ne.jp/0654.html
松岡正剛氏が亡くなったという情報がネット上にきたが、情報工学して、あれだ、――かつて属していたと聞く革マルとして地下に潜ったと考えるべきかもしれない。松岡正剛の文章にたいして、人は案外、所謂「オタクのオタク批判」的な姿勢になることがあるが、なんというか、氏のようにあんなにたくさん書かんだろうふつう。感想文みたいなものをたくさん書くトリックスター的なひとでも松岡正剛に比べれるとまだ文人じみていたんだと思わせる。たぶん松岡正剛氏の文章を更に編集する作業が必要で、これは散逸した和歌集を再現するみたいな作業になると思う。
松岡正剛氏は都会人だと思う。一人で地下鉄を掘っていた。そこで人が地下へ降り坑道に群がって正しい地下茎のありかたを論じる。文化は地下茎である。氏の行ったのは地下鉄の為の掘鑿なので、みんなそれは単純だといいはる。しかし誰かが掘らないといけない。
今日は、全国ニュースで東京の大雨のニュースがながれていた。四国の人民に関係あるかよと思っていたが、けっこうまずいらしいのでびっくりしたが、東京は設計しなおしたほうがいいかもしれない。あんな多孔はちょっと変なわけである。しかし、正剛氏みたいな都会人はかなりこういうユートピアとしての多孔が好きだと思う。
多孔は水によって浸水して全滅することがある。
今日、近くの高校にある仕事で行ったのだが、――わたくし、が高校生の時の歩く速度で廊下をあるいててびっくりした。大学生のような老人達が、いや大学がおれを老いに追いやっていたのである。廊下もトンネルの一種である。わたくしはもしかしたら学校が好きなのであろうか。いつでも足早に出て行ける学校よりも社会のほうが厄介だ。
学校ではなく社会でいつまでも労働させられるのだったら、浮かばれない。わたくしはときどき、自分たちと違う社会環境で同じように成熟してゆく若い人間にたいして、後生畏るべしと言って寝た方がいいことあるかもしれないと思う。しかし彼らは学校にいるからまだ無駄な成熟から逃れている面もある。
先日亡くなった声優さんが演じていた草薙素子(「攻殻機動隊」)がこれほど人気があるとは知らなかった。もっとも、「攻殻機動隊」が、口パクすらしてない静止画で良い声の命令が聞こえてくる作品だったというのもあると思う。いまどき維持しがたい内面の声というやつで、しかも超優秀な女性の命令の声で、という抗しがたい状況があったのである。この命令の声は社会のなかで聞こえることになっている。しかし、わたくし自身は、学校にいるときの方が聞こえた気がする。