★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

伝播と台風

2024-08-26 23:10:26 | 音楽


昨日は雷雨が来たからハイドンのソナタを弾いた。雷雨の音楽と言えば、田園やアルプス交響曲やグランド・キャニオンであろうが、わたくしは子供の頃、雨の降る中でソナタの練習をしたことを覚えているのでそうなっているだけである。木曽の谷の中での雷雨の中でハイドンである。

ハイドンも日本のことなんか知らなかっただろうが、京都の人もたいがいは木曽のことなんか、木曽の猿がせめこんでくるまで知らなかったであろう。今日、安倍晴明が大河ドラマでなくなっていたが、――やつは死んだふりして木曽町の黒川あたりで死んでいるはずなのである。星も黒川のほうがきれいにみえるはずだ。たぶん、わたくしのような想像をする人が黒川に「晴博士」の墓でも建てたのであろう。いまはバス停になっている。音や思想のほうが人よりやはく伝播するのは、昔も今もおなじなのである。

そういえば、映画なんかだとロケを田舎でやりフィルムを東京にもってゆくことがあり、どうやら上映されたぞという噂がロケ地に伝播されると言うことがある。「台風クラブ」がそうだ。長野県のどこかでロケをしたらしいが、内容が――台風が来たので、生徒が校庭で裸踊りをしたり、台風一過、沼のようになった敷地に二階から真っ逆さまに飛び降りて死ぬ?哲学志向の野球部員などが描かれているため、ロケをした中学でも上映されず、地元でも上映されなかったらしいのだ。そこに描かれていた中学生どもがわたくしと同世代で、たしか主演女優が私と同年であった。こんな鬱屈した連中が同世代かと、大学生になってからテレビでやってたのをみて思ったものである。

台風ってだいたい左傾し勢力を弱めながら右に旋回していく。ぬるい政治少年達の末路ににている。だいたい、進路を変えることは台風以外においてはあまりよく言われないのだ。受験生なんか、進路を変えるときには文転とか言われて蔑まれる。


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