日本時代に唯一あったテニアン島の新聞社「ラジオ新聞」の敷地に来ました。
終戦後は、リノさんの家の敷地になっているのだそうです。
天水のタンクも、防空壕かトーチカに変わって残っていました。
「ラジオ新聞社」は途中で閉店してしまったため、敷地内は白爺たち小学生の遊び場所になっていました。
夕方まで遊んで別れるときに歌った「マンゴウの木の下で あした又会いましょう」のマンゴウの木も残っています。
近くに大きな井戸と釣瓶があったと記憶していたので、リノさんに聞いてみたら、「そこはコンクリートで蓋をして便所をつくった」と答えてくれました。
この建物が井戸の名残だそうです。
日本から運ばれたと思われる煉瓦が庭の花壇に並べられていました。
隣は庭の綺麗な、妹の家の敷地です。
白爺は、70年前の遊びを瞬時に思い出させてくれたこの場所に「あした また会いましょう」と心で歌いながら別れてきました。
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