南洋興発のテニアン製糖工場跡に来ました。
戦前この製糖工場は、日本でも有数の砂糖を産出していた工場です。
南洋群島協会会長を務めていた栗林さんが、自費で建立した記念碑の上には「カマチリ」の枝が覆っていました。
碑を覆っている枝には赤い実がなっていました。
この実は子供たちが競って食べていたものですが、白爺は母親が「虫が入っているから」とうるさく言うので食べたことがありません。
弟たちは隠れてよく食べていましたが。
なぜ枝が覆いかぶさっているのかと調べると、大きなカマチリの木は根元を半分土に残して木全体が横倒しに倒れていました。
台風の影響でしょうか?
帰国したらすぐに栗林さんに報告しようと思っています。
製糖工場事務所の一部は、100年近く前に建てられたにも拘らず戦火を潜り抜けて残っていました。
この建物の前にも、栗林さんは製糖工場の歴史を書いた記念碑を自費で建てていますが、こちらは無事に残っていました。。
戦後テニアン市長になったBさんが住宅に使用していた興発の建物跡も、基礎部分は昔のまま残されていました。
興発の想い出建物ガンバレよー!
戦前この製糖工場は、日本でも有数の砂糖を産出していた工場です。
南洋群島協会会長を務めていた栗林さんが、自費で建立した記念碑の上には「カマチリ」の枝が覆っていました。
碑を覆っている枝には赤い実がなっていました。
この実は子供たちが競って食べていたものですが、白爺は母親が「虫が入っているから」とうるさく言うので食べたことがありません。
弟たちは隠れてよく食べていましたが。
なぜ枝が覆いかぶさっているのかと調べると、大きなカマチリの木は根元を半分土に残して木全体が横倒しに倒れていました。
台風の影響でしょうか?
帰国したらすぐに栗林さんに報告しようと思っています。
製糖工場事務所の一部は、100年近く前に建てられたにも拘らず戦火を潜り抜けて残っていました。
この建物の前にも、栗林さんは製糖工場の歴史を書いた記念碑を自費で建てていますが、こちらは無事に残っていました。。
戦後テニアン市長になったBさんが住宅に使用していた興発の建物跡も、基礎部分は昔のまま残されていました。
興発の想い出建物ガンバレよー!
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます