白爺の独り言

故郷テニアン島へ帰る旅!
 古い友達と巡る秘湯の旅!
白爺一人で ブツブツブツ・・
お暇な人 寄っていって~。

先ず慰霊碑に参拝 (07.6テニアン報告2)

2007-07-01 08:30:02 | テニアン
一夜明けたテニアン島には、南国のまぶしい太陽が燦燦と降り注いでいました。
白爺は東京の心算で起きたら、1時間の時差がある島では通勤時間になっていました。
早々に朝食を食べ終えて、
ホーンさんの車でカロリナスのバンザイ岬に向かいました。
白爺は、先ず自分達が建立した慰霊碑にお線香や水を供えて、玉砕された方々の慰霊と祖国の安泰を祈念しました。
この行事が終わらないと、白爺とEmiiのテニアン滞在は始まらないことになっています。
        
           

参拝が終わったので白爺は一人離れ、第一航空艦隊司令部が玉砕した洞窟の前に立ち、若い兵隊さんがよく歌っていた「嗚呼神風特別攻撃隊」「ラバウル海軍航空隊」の軍歌と「故郷」の歌謡を、出発直前に購入したIPodで流しました。

白爺も涙流しましたが、洞窟に眠る英霊も昔を思い出して涙してくれたものと確信しています。



白爺達は慰霊碑参拝を終えると、米軍が予期せぬ上陸をしたチューロビーチに行きました。
1月と違いこの季節は静かな白浜が続ずいていました。
米軍はこの静けさを十分計算して、水陸両用戦車で珊瑚礁を簡単に乗り越えて上陸したのだと思いました。

                 


それでも上陸の時、日本軍に攻撃されて壊された戦車の残骸が、今でも水際に姿を残していました。
余談ですが、残骸は残っているのに、観光案内が書かれた銅版は無くなっていました。
テニアンでも銅の高騰のため、電線や観光案内の銅版が盗まれているそうです。

                

静かな水平線に目を移すと、コンテナ船が北に向かって航行していました。
嘗て、ここで激しい戦闘が行われたとは  夢のようです。



チューロビーチを後にした白爺達は、テニアン教会の墓地に行きました。
1月に会った人が6月までに二人も亡くなっているので、墓参のために立ち寄ったのです。
この二人は、立派な墓標の下に眠っていたので、好物だった缶ビールを供えて乾杯をしてきました。
喉が渇いたから飲んだのではありませんよ。 
     あくまで冥福を祈る乾杯ですから、念の為! 

             

テニアンの日中は極暑なので、白爺達は早々にホテルに戻りました。
2年前までなら、早速ビーチに出かけて潜るのですが、最近は支度だけは十分にしているのに全く泳がなくなりました。
他人は「折角テニアンに来て泳がないのは勿体無い!」といいますが、
白爺は「年寄りの冷や水は止めておく」と言い訳をしています。
本能的に泳ぎたくなくなったのかもね・・・。 



前回も書きましたが、今年は南洋桜が島全体を赤く染めていました。
白爺が褒めたら、チャムロの人が「電気代・水道代・ガソリン代がべらぼうに高騰したので、島も赤くなって怒っているのだ。」と本気で言っていました。

                  次回に続ずく



  


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5 コメント

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お天気がよかったのですね! (ちづ)
2007-07-01 22:02:54
どのお写真も、気持ちのいい青い空・・。
まるで、白爺さまとご一緒させていただいているような気持ちになりますね。
時期がなかなか合わなくて、満開の南洋桜の季節に伺ったことがありません。こんな時期にも行ってみたいです。
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Unknown (荘之助)
2007-07-01 22:06:36
i Pod が活躍しましたね。
歌とお水とお線香、そして白爺様ご夫妻の祈りの心に、きっと英霊は喜ばれ、そして日本とテニアンの繁栄を見守りつづけてくださるでしょうね。

お!
そ、そうだったんですね!なるほど。
米軍は海のコンディションも計算に入れていたのですね!!
そういえば、みなさん口をそろえて5・6月のテニアンが一番いいとおっしゃいますもんねぃ。海は穏やかでフレームツリーは咲きほこっているし。

白爺様がおっしゃっている、テニアン教会の墓地に眠るお二方は、おそらくボクが前回テニアンを訪れたときにお葬式をされていた方々だと思われます。
ボクは存じ上げないのですが、お二人ともテニアンではとてもお力のある方だったようですね。そのときショックを受けていた方も多かったです。

ボクもテニアンでは、泳がない方かもしれません。
ほとんど一人旅だから、万が一を考えると無理をしないようにしているせいもあるのですが、テニアンには海以外にも魅力がたくさんありすぎるんですよね。
テニアンにいるだけで充分、そんな気持ちになってしまうんですよ。

それにしても・・・
北マリアナの電気代問題、なんとかならないものですかねぃ。。。
ボクが心配してもどうにもならないかぁ。。。
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Unknown (michi)
2007-07-02 06:58:14
充実したテニアンでの生活、満喫されたことと思います。お友達のリザマさんもアメリカに移住されて、ちょっぴり寂しいですね。

私も昨日、海軍56警備隊に配属されていた方と、カーヒー、ラソウ神社、チュロー地区、タガ、スーサイドと回って来ましたよ。お決まりのコースで毎年訪テニされています。戦火のジャングルの中で隠れ、又は戦いながらの思い出が胸に一杯なのでしょう。
そうそう、お寺の娘さんで幼稚園の先生もされていた節子さんのお話もいつもされています。お供えをご馳走になったり隊員さんたちのマドンナ的存在だったそうですよ。激戦になる前のほんのわずかな淡い恋の思い出ですね。
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名前教えてね! (白爺)
2007-07-02 11:21:33
michiさん、Emiiがその兵隊さんの名前を知りたいといっています。
節ちゃん(当時21歳位だった)は兵隊さんのマドンナだったそうです。
幼稚園の周りには機関砲などが配置されていたので沢山の兵隊さんが駐屯していましたから。
節ちゃんはキャンプ内でも幼稚園の先生をしていたそうです。
最終的には、お寺の和尚さんと一緒になったとか・・。 
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わかりました! (michi)
2007-07-05 13:34:25
詳しいことはメールしますね!

あれだけテニアンでいつでも会えるのに、こんなお話もしてないなんて。白爺さんもエミちゃんも釣りに忙しすぎるんだよ~。^^

その方は節子さんの話になると目をキラキラさせていらっしゃいますよ。
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