今回は、高野山旅行の際に、バスやお寺のガイドさんから話を聞いて勉強してきた事柄を、忘れないように纏めて記録しておこうと思って投稿をしました。
〇〇大師について
高野山奥の院にて(高野山のガイドさん)
①日本全国には大師と名が付くお寺が沢山ある。
(西新井大師・川崎大師・川越大師・・・ETC)
②大師とは、朝廷から高徳の僧に賜る号であり、27名の高僧が大師の号を賜っている。
③全国の大師とつくお寺は、大部分弘法大師(空海上人)をお祀りしている。
④そしてそれぞれの大師寺は「交通安全」「商売繁盛」等主な担当を持っている。
⑤高野山奥の院は弘法大師本尊をお祀りしてあるので、何でも聞いてくれる万願寺である。
皆さんはここで、何でも・幾つでもお願いしてくださいと言われました。
(弘法大師の本店だねー。”白爺の独り言”)
仏前の作法について
高野山墓前にて(高野山のガイドさん)
①数珠は、左手に掛ける。
右手は仏様・神様を表し、左手は自分を表す手。
従って、数珠は左手(自分)に掛けること。
②数珠を持って礼拝する時には、房や玉があるところを上にする。
大きな玉は、仏様を表している。
中には仏像が入っているものもある。
③仏様に供えるご飯は、へらで1回すくって入れ物に盛る。
2度盛りしたり山盛りにすることはダメ。
そして湯気が無くなったら下げることが基本。供えて少し時間が過ぎたら下げるとよい。
冷たくなるまで供えておく位なら、供えない方がよいと言われました。
④仏前には饅頭とか果物とか、子供が好むようなものを多く供える。
そして下げる時には、子供や孫に下げるよう指示する。
子供に下げさせると、子供達は仏壇に興味を持つことになり、仏様を敬うことにつながるのだそうです。
深慮術策!恐れ入谷の鬼子母神ですねー。
⑤仏様に供える花は、仏様に向けて飾ることが原則。
どうしても前に向けたかったら、時間をおいてから向きを変えるとよい。
お墓に供える花は、青い葉の花を上げるのが基本。
色花を供えるとすぐ萎れてしまうので本当はダメ。
どうしても色花を供えるなら、花種は何でもよいからできたら5色の花を供えてほしいと言われました。
仏教には、5色を使う決まりがあるそうです。
白爺は、まだ沢山聞いたのですが、早く宿坊に行きたいと思っていたので、あとは忘却してきました。
宿坊で般若湯を頂戴したから、忘れ去ったのかな?
南高梅について
高野山から湯の峰温泉へ向う途中龍神街道にて(バスガイドさん)
この道を真直ぐに進むと和歌山県南部(みなべ)町がある。
南部町にある南部高校の先生が、
①日本人は梅干とご飯があれば生きていける。
②しかし、梅干は種と皮が大部分で、食べる所が少ない。
③食べる部分の多い梅を作ることが出来ないだろうか?
と考えて、南部高校の生徒と一緒に、学校の農園で品種改良に努めた。
長い年月改良を続けた結果、ついに実の多い梅の品種を作り上げることに成功。
そしてこの梅には、高校の名前をとり「南高梅(なんこうばい)と命名した。
今では、全国どこへ行っても「南高梅」の梅干を見ることが出来ますが、名前の謂れはここから来ているのだそうです。
南部高校の梅とは、聞かないと分かりませんよねー。
亀の涙について
三重県紀宝町ウミガメ公園付近にて(バスガイドさん)
①鬼が城を過ぎたR42沿いの砂浜には、沢山のウミガメが卵を産みに来る。
②昔から亀は捕まると涙を流すと言われている。
(昔テニアンでも、亀を捕まえて食べようとすると涙を溢していましたから、この話は本当です。)
③流す涙。本当は海中で亀の身体に取り入れられた塩分を、涙にして外にだしているのである。
④少し走ると紀伊長島になるが、ここの人はマンボウという魚を好んで食べる。
⑤昔江戸の殿様が「これは美味だ江戸まで運べ」と指示したが、漁師は指示を聞かなかった。
「江戸の殿様の言うことを聞かないのは、ここの漁師だけだ」と有名になったそうである。
マンボウは傷みやすい魚だから断ったのでしょうが、影で溜飲を下げていたのでしょうねー。
権兵衛が種まけばの話について
尾鷲市の北 権兵衛の里付近にて (バスガイドさん)
①「権兵衛が種まきゃ・・」の俗謡にある権兵衛が住んでいた土地はここである
②権兵衛の父は侍だが武士が嫌いで百姓になった。
③従って畑を造るのに苦労し、烏にもバカにされていた。
④しかし毎日の努力が実り、権兵衛の代には村一番の百姓になった。
⑤話が変わって近くにある馬越峠に大蛇が出て、巡礼の人を襲っていた
⑥権兵衛は元々は武士なので鉄砲が上手。村人から大蛇を退治するよう頼まれた。
⑦これまた苦労して仕留めたが、格闘する時に噛まれた毒で死んでしまった。
⑧村人は権兵衛をねんごろに弔い、今に至るまでその活躍ぶりを伝えている
白爺は、「権兵衛が種まきゃ・・」は囃子言葉だと思っていたのですが、実在した人のことだったとはビックリしました。
余談ですが、帰宅してインターネットで調べたらよく分かりました。
皆さんも暇がありましたら「海山町種まき権兵衛」で検索した見てください。
音声でも囁いてくれますから。
いろいろ聞いたのですが、今回の旅行でガイドさんが説明してくれた話の中で、一番勉強になったことは、先にもお知らせした次のことですねー。
①試食は無料なので、遠慮せずに何回でも試食してください。
②試食をするときには、店員さんの目を見ないでください。
③美味しいとは、店員さんの前では絶対に言わないでください。
④食べたら即逃げてください。
これから先は車内で熟睡してしまいました。
目を覚ましたら名古屋郊外です。
ツアー旅行は強行軍で、ノンビリと観光が出来ませんが、いろいろなことを教えてくれるので勉強にはなりますねー。
次回の赤目会旅行はどうするか?
認知の近づいた頭を並べて、新年早々相談をすることにしています。
〇〇大師について
高野山奥の院にて(高野山のガイドさん)
①日本全国には大師と名が付くお寺が沢山ある。
(西新井大師・川崎大師・川越大師・・・ETC)
②大師とは、朝廷から高徳の僧に賜る号であり、27名の高僧が大師の号を賜っている。
③全国の大師とつくお寺は、大部分弘法大師(空海上人)をお祀りしている。
④そしてそれぞれの大師寺は「交通安全」「商売繁盛」等主な担当を持っている。
⑤高野山奥の院は弘法大師本尊をお祀りしてあるので、何でも聞いてくれる万願寺である。
皆さんはここで、何でも・幾つでもお願いしてくださいと言われました。
(弘法大師の本店だねー。”白爺の独り言”)
仏前の作法について
高野山墓前にて(高野山のガイドさん)
①数珠は、左手に掛ける。
右手は仏様・神様を表し、左手は自分を表す手。
従って、数珠は左手(自分)に掛けること。
②数珠を持って礼拝する時には、房や玉があるところを上にする。
大きな玉は、仏様を表している。
中には仏像が入っているものもある。
③仏様に供えるご飯は、へらで1回すくって入れ物に盛る。
2度盛りしたり山盛りにすることはダメ。
そして湯気が無くなったら下げることが基本。供えて少し時間が過ぎたら下げるとよい。
冷たくなるまで供えておく位なら、供えない方がよいと言われました。
④仏前には饅頭とか果物とか、子供が好むようなものを多く供える。
そして下げる時には、子供や孫に下げるよう指示する。
子供に下げさせると、子供達は仏壇に興味を持つことになり、仏様を敬うことにつながるのだそうです。
深慮術策!恐れ入谷の鬼子母神ですねー。
⑤仏様に供える花は、仏様に向けて飾ることが原則。
どうしても前に向けたかったら、時間をおいてから向きを変えるとよい。
お墓に供える花は、青い葉の花を上げるのが基本。
色花を供えるとすぐ萎れてしまうので本当はダメ。
どうしても色花を供えるなら、花種は何でもよいからできたら5色の花を供えてほしいと言われました。
仏教には、5色を使う決まりがあるそうです。
白爺は、まだ沢山聞いたのですが、早く宿坊に行きたいと思っていたので、あとは忘却してきました。
宿坊で般若湯を頂戴したから、忘れ去ったのかな?
南高梅について
高野山から湯の峰温泉へ向う途中龍神街道にて(バスガイドさん)
この道を真直ぐに進むと和歌山県南部(みなべ)町がある。
南部町にある南部高校の先生が、
①日本人は梅干とご飯があれば生きていける。
②しかし、梅干は種と皮が大部分で、食べる所が少ない。
③食べる部分の多い梅を作ることが出来ないだろうか?
と考えて、南部高校の生徒と一緒に、学校の農園で品種改良に努めた。
長い年月改良を続けた結果、ついに実の多い梅の品種を作り上げることに成功。
そしてこの梅には、高校の名前をとり「南高梅(なんこうばい)と命名した。
今では、全国どこへ行っても「南高梅」の梅干を見ることが出来ますが、名前の謂れはここから来ているのだそうです。
南部高校の梅とは、聞かないと分かりませんよねー。
亀の涙について
三重県紀宝町ウミガメ公園付近にて(バスガイドさん)
①鬼が城を過ぎたR42沿いの砂浜には、沢山のウミガメが卵を産みに来る。
②昔から亀は捕まると涙を流すと言われている。
(昔テニアンでも、亀を捕まえて食べようとすると涙を溢していましたから、この話は本当です。)
③流す涙。本当は海中で亀の身体に取り入れられた塩分を、涙にして外にだしているのである。
④少し走ると紀伊長島になるが、ここの人はマンボウという魚を好んで食べる。
⑤昔江戸の殿様が「これは美味だ江戸まで運べ」と指示したが、漁師は指示を聞かなかった。
「江戸の殿様の言うことを聞かないのは、ここの漁師だけだ」と有名になったそうである。
マンボウは傷みやすい魚だから断ったのでしょうが、影で溜飲を下げていたのでしょうねー。
権兵衛が種まけばの話について
尾鷲市の北 権兵衛の里付近にて (バスガイドさん)
①「権兵衛が種まきゃ・・」の俗謡にある権兵衛が住んでいた土地はここである
②権兵衛の父は侍だが武士が嫌いで百姓になった。
③従って畑を造るのに苦労し、烏にもバカにされていた。
④しかし毎日の努力が実り、権兵衛の代には村一番の百姓になった。
⑤話が変わって近くにある馬越峠に大蛇が出て、巡礼の人を襲っていた
⑥権兵衛は元々は武士なので鉄砲が上手。村人から大蛇を退治するよう頼まれた。
⑦これまた苦労して仕留めたが、格闘する時に噛まれた毒で死んでしまった。
⑧村人は権兵衛をねんごろに弔い、今に至るまでその活躍ぶりを伝えている
白爺は、「権兵衛が種まきゃ・・」は囃子言葉だと思っていたのですが、実在した人のことだったとはビックリしました。
余談ですが、帰宅してインターネットで調べたらよく分かりました。
皆さんも暇がありましたら「海山町種まき権兵衛」で検索した見てください。
音声でも囁いてくれますから。
いろいろ聞いたのですが、今回の旅行でガイドさんが説明してくれた話の中で、一番勉強になったことは、先にもお知らせした次のことですねー。
①試食は無料なので、遠慮せずに何回でも試食してください。
②試食をするときには、店員さんの目を見ないでください。
③美味しいとは、店員さんの前では絶対に言わないでください。
④食べたら即逃げてください。
これから先は車内で熟睡してしまいました。
目を覚ましたら名古屋郊外です。
ツアー旅行は強行軍で、ノンビリと観光が出来ませんが、いろいろなことを教えてくれるので勉強にはなりますねー。
次回の赤目会旅行はどうするか?
認知の近づいた頭を並べて、新年早々相談をすることにしています。
今日「かんぽの宿」の冊子が届いたのですが、紀州白浜温泉にも「かんぽの宿」があるらしく、とても豪華なホテルなのでここをベースにもう一度観光したいと思っています。
マイレージを溜めなければ!!
高校の名前だったのですね!しらなかった~!!
雪は大丈夫でしたか。
白爺は、11月の末に奥会津の湯の花温泉で5センチくらいの雪に遭い、赤目会の車が橋の上でスリップしヒヤリとした経験があるので、11月中旬になったら東北旅行は行かないことにしています。
これは絶対わすれませんよ。(笑)
今回は、いろんなことが勉強になりましたねぇ。。。
大師、数珠、お供え権兵衛さん、梅干し。。。
保存版ですね!!(笑)
昨日、ちょっと松島に日帰りで牡蠣を食べに行って
来ました。
ついでに実家にも寄ったんですが、何の前ぶれもなく
行ったので両親はサプライズのようでした。(笑)