白爺の独り言

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南紀ツアー旅⑤速玉大社・伊勢神宮参拝 旅終わる

2008-11-13 09:58:22 | 赤目会の旅
蒲鉾屋のドライブインを出発したバスは、5:0Pm頃勝浦港に到着しましたが、ホテルには桟橋から100名ぐらいが乗れるホテルの連絡船で浦島へ渡るので、白爺達は3隻待ち、5時半頃にホテルの玄関へ到着しました。

            

本来なら、初めて泊る有名なホテルの写真を写すのですが、既に辺りには夕闇が迫っているし、ロビーは白爺たちのツアーバスが2台と、中国からの観光客が立て込んでいて、とてもカメラを出せる状態ではなく、何も写すことが出来ませんでした。
従いまして、ホテルのパンフレットを載せて我慢しました。 

                     

ロビーでホテルの人からこの案内図を渡されて、
「館内は広いから迷子になる人が多いので、地図に書かれた色線に沿って目的地まで歩いてください。」
と説明されました。

やっと本日寝る部屋まで案内されたので、白爺たちは、靴を脱ぎ部屋に上がり、浴衣に着替えようとしたら、
「お客さん申し訳ありませんが、お布団を敷かせてもらえないでしょうか?」
とお姉さんが入ってきました。

お寺で修行をしてきた白爺たちは、ダメとも言えず「浴衣に着替えるまでは待ってください」と言って、OKしてしまいました。

食事は7時からといわれたので、食事までの30分を利用してテレビでもPRしている「大洞窟温泉の忘帰洞」に浸かることにしました。

           

洞窟の中は薄暗く、人の顔もはっきり見えない位の照明でした。
白爺が蛇口を開いて身体を洗っていると、肌寒い風が吹いてくるので、どこか戸が開いているのではと見回しましたがそれらしい様子はありませんでした。

近くに湯船があったので入ったら、風呂の奥には太平洋の波が押し寄せていました。
寒かったのは、海風が直接身体に触っていたからでということがやっと分かりました。

その奥にも洞窟風呂がありましたが大同小異。
明るい昼間に入れば写真のように見えるのでしょうが、暗闇では波の音だけしか聞こえませんでした。

風呂から上がり、部屋に戻ったのですが、敷かれた布団を横目で眺めて、すぐにバイキングの夕食を食べに行きました。
食事から戻って、布団横での酒盛りも盛り上がらず、味気の無いホテル泊まりになってしまいました。

                    

朝早く目を覚ましたので、昨夜とは違う山の上の温泉に入ろうとしたのですが、入浴は6時からだそうで5時半はダメ。
見学に行こうとしたら、延長154メートル(5分45秒かかる)のエスカレーターはストップ中。
仕方がないので、玄関前の船着場で写真を撮ってきました。

           

白爺の感想を一口で言うと、
”千葉の〇月・福島のハワイ〇を思い出させる「スパ温泉」の様。
ゆっくり温泉を楽しむなら、ほかを探そう。”
です。
尤も、部屋から、一つの風呂と一つの食堂以外は歩いていないので、感想が適当かどうかは疑問ですが?

7時からのバイキングを食べて、7時50分には連絡船に乗り込みましたが、「ツアーでは、二度と行きたくない」と白爺は思いました。
ガイドさんも、「このホテルはいつも満室で、泊る部屋も直前まで分からない状態ですよ」と話されていました。

それにしても、この看板の前では、アジアの観光客が次々に記念写真を撮っていましたよ。
 


さて、ホテルを出発して最初に立ち寄った観光先は「熊野速玉大社」です。

熊野速玉大社は、熊野三山のひとつとして全国に祀る数千社の熊野神社の総本宮だそうです。
今から約二千年ほど前の景行天皇(0058年)の御世に、熊野三所権現が最初に降臨せられた元宮である神倉山から、この地にお遷りになり、これより神倉神社の『旧宮』に対して『新宮』と号したと古書にあるそうです。
これが市名(新宮市)になった謂れでしょうねー。

              

御祭神は、熊野速玉大神(いざなぎのみこと)・熊野夫須美大神(いざなみのみこと)を主神に、十二柱の神々を祀り上げ新宮十二社大権現として全国から崇敬を集めています。

ところで白爺は、熊野本宮で「熊野神社の総本宮」と聞いてきましたが、この大社でも「熊野神社の総本宮」と説明があります。
どうなっているの?と、帰宅してから悩んでいます。

熊野三山「熊野本宮大社」「熊野那智大社」「熊野速玉大社」全部を一つとして、熊野神社総本宮とするのだ。としておきますが、知っている方がいたら教えてください。



この境内に、武蔵坊弁慶の像が祀られていました。

弁慶のお父さんは、熊野水軍(海賊?)の頭領として、この辺りを治めていたそうです。
弁慶は子供の頃捕まえた鹿の皮を剥いで人に投げつける等、気性が大変荒かったので、父親がこの神社(当時は寺・神社の区別ができない?)に修行に出したが、お寺の住職も持て余して追い出してしまったそうです。

             

弁慶は父に千本の刀を捧げて、水軍の仲間に戻してもらおうと思い、刀を集めていたが、千本目を盗ろうとして牛若丸に負けたので運命が変わったという話は、半分は本当の話のようでした。

                       

参詣を終えたバスは、熊野灘の海岸沿いを伊勢神宮目指して出発しました。
旅行の一日目は雨 二日目は曇り、そして三日目の天気は快晴になり、ガイドさんが海亀が産卵に訪れると説明された海岸も、本当に美しく眺められました。

               

暫らく走ると和歌山県は三重県に変わり、熊野市の「鬼ヶ城」に到着しました。
ここには大きな洞窟が幾つもあり、熊野水軍(海賊)の根拠地になっていたので、人々は「鬼ヶ城」と名付けたのだろうと説明がありました。
                    

波に侵食された磯には、いろいろな形の洞窟が連なっていて、魚釣りをしている人も沢山見受けられました。

             

熊野街道を快走していたバスは、松阪市の近くから紀勢高速道に入り途中伊勢高速道を経て12:45Pmには伊勢市に到着しました。

         

高速道を下りると写真のような標識がありました。
ガイドさんに聞かなければ、そのまま通り過ぎたのでしょうが、この標識は、
「千木の切り口が縦になっているのが内宮の屋根、切り口が横になっているのが外宮の屋根」
を教えているのだそうです。



1:0Pm頃伊勢神宮前に着いたのですが、昼食を食べていないので早速「おかげ横丁」の食堂に入り昼食を食べました。
ツアーの人は殆ど二階に用意してある昼食を食べたのですが、赤目会のグループだけは、お決まりの昼食に飽きたのでラーメンを特別注文しました。この美味しかったことは忘れられません。

食事が終わると、伊勢神宮参拝です。

                 

宇治橋を渡り、五十鈴川でお清めをしてから内宮に入りました。



境内の森には、日の丸が翻っていました。
白爺は、やはり日本人です。
伊勢神宮で日の丸を見ると、何故かこみ上げて来るものがありました。

伊勢神宮の参拝で、今回のツアー観光はオシマイです。
参拝が終わったのは4:0Pm頃ですが、この後バスは名古屋まで直行しました。
7:27Pmの新幹線に乗る予定になっていたのですが、生憎この日の夕方、大阪の先で線路上を歩いた人がいて人身事故が発生。列車は最高2時間を越す遅延になっていました。

それでも8時前には名古屋駅を発車してくれたのですが、白爺たちの乗っている「こだま」は各駅停車だから、数えていたら「ひかり・のぞみ」等に12本追い抜かれながら東京駅に着きました。
それでも10分程度の延着で済んだので、高野山にお参りした霊験は現れたのだろうと、白爺は思いながら皆にサヨウナラをしました。

この度のツアー旅行を振り返り、独り言を言えば
①いろいろな場所を案内されるので、素人計画では見ることの出来ない場所が見られて楽しかった。 
②駆け足回りになるので、景色を味わって眺めることが出来なかった。
③出発が早く・帰着が遅いので家族に迷惑を掛けた。
④観光中、歩行の遅い人と足並みを揃えるのに気を使い、疲れが倍加した。
となるでしょう。

では皆さんとも、ここでサヨウナラ。


帰宅したら、小諸の旅行が待っていました。
またお知らせします。


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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
お疲れさまでした!! (HTIおじさん)
2008-11-13 18:28:38
ツアーで旅行に行くのは大変ですね。
最後の独り言はもっともっとあったのでしょうが
心中をお察しいたします。(苦笑)

私たちは常に車での移動ですので、旅行先の下調べが重要になります。

白爺さんのこのブログ、大変参考になってますよ!!
返信する
役にたつの? (白爺)
2008-11-13 19:31:28
HTIおじさん
本当に参考になりますか?
単細胞はその気になって喜んでいます。
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