《試練》――現在史研究のために

日本の新左翼運動をどう総括するのか、今後の方向をどう定めるのか

集団的自衛権閣議決定を葬り去るたたかいを

2014-07-10 23:40:31 | 日本の政治・軍事―日本の動きⅠ
集団的自衛権閣議決定を葬り去るたたかいを

 14年6月は安倍政権が集団的自衛権を閣議決定に持ち込む激動の1ヵ月であった。この1ヵ月を振り返る。集団的自衛権および集団安保をめぐる安倍政権・自民党の動きと狙いを明確にさせ、たたかいの方向をよりいっそう鮮明にさせたい。各項目の詳しい動きは別の覚え書き「2014年6月の日本の政治の動き」を参照されたい。以下はそのときどきの筆者の意見である。

1、集団的自衛権行使の核心的狙い

◆米軍や国連の多国籍軍などへの補給や輸送を提供する自衛隊の後方支援活動の要件を緩和(2014年6月3日、安保法制与党協議会に提案)

 米軍や国連多国籍軍の後方支援のできる地域を「非戦闘地域」に限定してきたが、この「非戦闘地域にはさまざま議論がある」(5月末、安倍首相が衆院予算委答弁)として、この概念を「なくして」後方支援活動を広げるという。これまで内閣法制局は地理的概念で武力行使との一体化を判断するとしてきており、ここでも解釈改憲に踏み込んだのである。後方支援は軍事行動であり、それをごまかすための地理的概念も取っ払ってしまう。地理的概念を取り払うということは戦闘地域での自衛隊の活動を行うためであり、これをとり払うことは自衛隊が「他国の武力行使と一体化」する、即ち戦闘行為に参加する、自衛隊が海外で戦争をすることを宣言する内容になる。

 戦闘地域と非戦闘地域の概念が曖昧というが、戦闘地域と非戦闘地域という区別は憲法9条の下でイラク戦争に自衛隊を派兵するために小泉が編み出したものであった。曖昧にすることが狙いだから曖昧なのは当たり前なのだ。つまり後方支援活動は紛れもない戦闘行動だから、これが戦闘行動ではないとごまかすために戦場に小泉が勝手に線引きし、自衛隊が存在しているところが「非戦闘地域」とした。
 戦争が起こったときに戦闘地域・非戦闘地域の区別などないのは歴史が示している。今回はこれを戦闘現場でない限り後方支援が可能とした。論理は同じことだ。戦闘地域は鮮明だから、戦闘地域でない限りすべてが非戦闘地域でそこでの後方支援はできるとした。違うのは四つの条件のうち一つでも該当しなければよい、という。たとえば「戦闘」が起こってないから可能になり、次に「戦闘」が始まったけど「戦闘支援」がないから可能、というように戦闘現場で戦闘している部隊への後方支援が可能になる。武力行使と一体化する活動を認めないということを維持する、というのはまったくのペテン。できるはずがない。基本的に自衛隊を戦闘現場に投入する決断なのである。

◆「グレーゾーン」一部合意(6月6日、安全保障法整備に関する協議会)

 「事前の閣議決定」という制約はあっても、勝手に首相の決断で戦争がはじめられることになる。自衛隊の治安出動も首相の判断ひとつで可能になる。事前の閣議決定などは迅速な判断が必要、の一言で吹っ飛んでしまう。
 グレーゾーン事態なるのもは、何か曖昧な事態がおき、それが全面的な戦争に発展するのを防ぐためのものではない。「離島への武装集団の上陸」などはある日突然起こるものではない。「武装集団」なるものを持ってくることで恐怖をあおり、あたかも備えが必要であるかのごとく宣伝する。民間人が数人あるいは多数が離島に上陸することはあっても、武装した集団が上陸する事態があるとすれば、それは間違いなく国なるものが後ろ盾に存在する。どんなに民間人を装っても国家の関与なくしてありえない。それはグレーゾーン事態などではなく、戦争の始まりである。離島への武装集団が上陸した場合、自衛隊が出動して何らかの平和的な解決があるわけではない。戦争が始まるのだ。自衛隊の出動はそういう意味だ。安倍政権はそこをごまかしている。
 グレーゾーン事態であれなんであれ、自衛隊が出動することは戦争への突入なのだ。国際紛争の解決の手段として武力を行使しないという憲法9条はあってなきものとなる。それは国際紛争の解決の手段として武力を行使すること、侵略戦争の歴史を繰り返す決断であることをはっきりさせなければならない。それが首相の決断ひとつで可能だというのだ。
 「武装集団の離島への上陸」はある日突然起こることではない。そこに至るまでの政治がありこの政治の延長として武装集団の離島上陸は起こる。この政治の段階で止めなければならない。帝国主義者でも、現実の政治の中でその知恵があった。それは釣魚台(「尖閣列島」)を日中間で「棚上げ」で問題の先送りで対処してきた。それが破られたのは民主党政権下での国有化であり、都知事・石原の都購入・国有化策動があったからだ。これを止め切れなかったことから始まった。国有化の政治に対して、釣魚台の海域を利用する漁民が日本、沖縄、台湾、中国の漁民が双方で利用する海域化でとりあえずとどめ、戦争の政治をなくす時間稼ぎをしなければならない。
 こんなことが自公の間の議論だけであたかも世論を代表するかのごとく進められている。反対運動の立ち遅れを、革命党が存在しないからだという言い訳で逃げてはならない。

◆4要件を撤回し新たな3要件提示(6月6日)

 とんでもないことだ。6日政府提案の新たな3要件は誰が見ても自衛隊が戦闘現場で活動することになることは明らかだ。戦争に踏み込むことだ。「3要件全部が満たされていなければ後方支援活動はできる」というのだ。
 たとえば戦闘行動がいったん中止していれば戦闘現場で後方支援活動はできるし、戦闘行動が行われている現場では後方支援活動はできないというが、自衛隊が提供する物品・役務が戦闘に直接使われなければ戦闘現場で自衛隊は活動できるという。支援場所が戦闘現場でなければあらゆる後方支援活動が可能になるわけだ。弾薬や武器の提供は勿論のこと、あらゆる戦争支援行動が可能になる。だから後方支援活動は戦闘行動そのものといわれている。支援内容が戦闘行為と密接に関係しなければ戦闘現場で自衛隊が活動することが可能になるのだ。あからさまに自衛隊が戦争への参加になる。これでは余りにもあけすけとして、それを撤回し、3要件を提示した。あらかじめ自衛隊の戦争への参戦へのすべてのハードルをはずしたものを提示、うまくいけばしめたもので、反対が出れば行使要件をつけてみせる自民党の常套手段だ。
 3要件を検討してみると、安倍がこの後方支援活動の議論で何を狙っているのかがはっきりする。それは自衛隊を戦闘現場に出すことだ。自衛隊に実戦を経験させることである。人を殺したことのない軍隊は役に立たないといわれているように、自衛隊が実際に人を殺せる軍隊にするために、後方支援活動とあたかも実戦とは関係ないかのように装いながら自衛隊に実戦を経験させることである。だから3要件でも2番目に「活動現場で戦闘」が起こったら撤収などではない、活動の休止であり、その戦闘現場にとどまるのだ。しかも「人道的捜索・救援活動」は戦闘現場でもできるというのだ。戦闘行動とは、戦争とは武器を使用することだけではない。それにいたるすべての準備、戦闘での部隊の救出や負傷者(死者も含む)の救出全体が戦闘行動であり、戦争なのだ。戦闘現場での捜索・救出は「人道的」であろうとなかろうと戦争行為そのものである。
 公明党は「柔軟に考える」と言っている。だからこそ、高村は閣議決定の文案を出せと要求した。議論が尽くされていないことなど当然だ。憲法9条を改悪することなく解釈改憲で戦争ができる国にすることなどもってのほかだ。何とか阻止しなければならない。

◆閣議決定文に集団的自衛権の行使を認める内容を明記(6月7日)

 「政府素案」では集団的自衛権という文言を入れずに文章の表現で集団的自衛権行使を容認した。閣議決定文案では「集団的自衛権の行使のための法整備」と明記する。しかし抽象的表現にするという。ここを明らかにしなければならない。自衛権の行使とはそれが集団的であろうとも個別的であろうとも戦争をすること、戦争のできる国家になることだ。
 安倍がわかりやすいように図解して、といいながら、戦場から避難する親子を描いたり、一方では文章表現を抽象的にしてみたりするのは集団的(個別的)自衛権の行使とは戦争のできる国になることであり、侵略戦争の歴史を繰り返すことであることが明らかになることを避けるためだ。

2、公明党の犯罪的な加担

◆公明党副代表・北側「友党としてこんなことで決裂したくない」(6月12日)

 公明党は白旗を掲げた。集団的自衛権問題を「こんなことで」の言い草はないだろう。安倍が強硬なのは公明党のぐらぐらを見ているからだ。しかし閣議決定を急ぎ、集団的自衛権の文言入れなどの強硬姿勢は、ひっくり返る隙がある。

◆公明党が72年政府見解を根拠として行使容認へ転換(6月13日)

 指摘したとおりに公明党の72年見解の引用に自民党・高村は飛びついた。私案としているように公明党の提起を受けて急いで作成したのであろう。安倍もこの高村私案を認めた。集団的自衛権という文言は入っていないが、①の要件は個別的自衛権と集団的自衛権を定義している。集団的自衛権の定義を厳しくしたものでもなんでもない。わずか数行の文言でかつての日本帝国主義の侵略戦争の歴史を再び繰り返すというのだ。「また戦争を繰り返すのですか」、「夫や子どもを戦場に送り出すのですか」という素直な議論が出てくる。朝鮮半島のみならずイラク情勢でもすぐに問われてくる。

◆高村案への公明党の修正案(6月17日)

 集団的自衛権行使容認での議論だから問題にもならない。議論は最初に戻り「密接な関係にある国が攻撃されたら武力の行使をする」という集団的自衛権の行使容認に立ち返った。イラクに米兵が再配備された。米大使館防衛の名目だが、武装勢力の絶好のターゲットである。必ず米兵が攻撃され犠牲が出る。そのとき自衛隊をイラクに派兵するというのが集団的自衛権の行使容認である。日本の商社や石油会社がイラクで原油精製にかかわっている。遅かれ早かれここも攻撃される。“日本人従業員の、家族の生命を守れ”と自衛隊が派兵されるのが集団的自衛権の行使だ。問題は現実から始まる。

3、閣議決定を葬り去るたたかいを

◆集団的自衛権を行使できるようにする閣議決定案の概要(6月17日) 

 恐るべき事態となってきた。自公協議で公明党による縮小論や歯止め論がどんなに無力であり、公明党がむしろ論議を拡大に引っ張る役割を果たしていることが明らかとなった。機雷除去問題で公明党が譲歩すればするほど政府・自民党は「戦時下でも機雷除去をすべき」と主張し始めている。もう誰の目もはばかることなく戦争できる国作りに突進している。自公協議で何かモノごとが決定されるかのごとく事態が進むことをもっとも恐れていたが、そのとおりに進んでいる。論議を国会の外に引っ張りださなければならない。

◆閣議決定文案(6月18日)

 現代戦争の国際法上の根拠はすべて個別・集団的自衛権の発動である。戦争に法的根拠などはない。国際法に基づく戦争など歴史上ない。朝鮮戦争もベトナム戦争もイラク戦争もアフガニスタン戦争も、米国の国益のみに基づいて行われた侵略戦争である。戦争は政治の継続である。帝国主義の政治の延長上に戦争は起こる。自衛権の行使を容認した日本は再び侵略戦争を繰り返す。
 憲法9条が戦争をなくすわけでない。9条は、国際紛争の解決の手段として武力の行使はやらないということ、そのための戦力や交戦権は持たないということ、これらを規定しているだけである。それだけだけれど、それは正しい。憲法9条の限界は、“戦争をやらない”とは言い切っているが、“戦争をなくす、戦争に向かう政治をなくす”ことには触れていないことだ。

◆党首討論(6月11日)

 安倍晋三は「自衛隊の戦争目的での参加」は否定しているが、集団的自衛権はまさに「密接な関係のある国が攻撃されたときに防護する目的」であり、それは戦争目的の参加そのものではないか。朝鮮半島有事の場合、「避難する邦人輸送」であっても自衛隊という軍事力を行使すれば戦争目的での参加になるのはあまりにも明白だ。
 まずは絶対に武力を行使しないという政治のあり方が完全に崩されるという問題である。海江田は「自衛隊は血を流すのか」と何度も繰り返したという。日経は社説で“集団的自衛権の行使に国民的関心がありながらなんという言い草か”と否定していた。
 いったん戦争を全面的に否定しきること、しかしそこに議論がとどまっていては集団的自衛権行使論に勝てない。「戦争をなくす政治」の問題、現在の政治は戦争に行き着くことの批判から踏み込んだ領域、革命的祖国敗北主義の思想を現実の政治の中での選択肢として提起しきることだ。
 安倍政権がひた押しに進める集団的自衛権行使容認の問題は、抽象的な「おそれ」とか無内容な「明白な危険」という次元での問題ではない。現実に中国と北朝鮮を敵視し、しかもその中国と北朝鮮を同盟国関係にある日本と米国と韓国との「共通の敵」とするという論議なのである。それは東アジアに意図的に軍事的対立と緊張を持ち込む国家的挑発いがいのなんであろうか。
 そのために自衛隊を軍事的に増強するとともに、武器輸出三原則を撤廃してしまい、かわりに「防衛装備移転三原則」をうち出したこと、日本経済の核として軍需産業を強化すること、愛国心とナショナリズムの教育の国家主導を進めることなどと結びついている。それは原発再稼働、原発輸出政策と表裏一体の戦争政治なのである。
 安倍は「積極的平和主義」の標榜とは正反対に、いわば積極的戦争主義を日本国家の基本政策にしている。これに対する根底からの戦争反対の声と運動は必ずますます燃えさかっていく。
 戦争反対、集団的・個別的自衛権行使容認は国家による武力行使だ、いっさいの武力行使反対!
 9条破壊許すな!
 あらゆる抑止力論はすべてまちがいだ、「国を自衛せよ」「国民の命と平和な暮らしを守れ」のかけ声は戦争するための口実だ! 「脅威」論をあおるな!
 東アジアに平和を構築しよう、中国敵視・北朝鮮敵視をやめろ、侵略と戦争の恥ずべき悲惨な歴史をくり返すな! アジアの人々とともに生きよう!
 原発保有大国=日本が武力行使容認へ進んだら原発を攻撃の標的にするだけではないか、戦争反対=全原発廃炉を!
 沖縄戦、広島、長崎、3・11福島をくり返すな!
~~こうしたたたかいを大きく広め、強めていこう!

2014年7月8日
博多のアイアンバタフライ
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