《試練》――現在史研究のために

日本の新左翼運動をどう総括するのか、今後の方向をどう定めるのか

「原発をただちに廃炉」は、いのちの叫び――画期的な2012年7・29国会包囲デモに思う

2013-04-16 02:04:57 | 反原発
註:以前書かれたものですが、安倍政権による原発再稼動・海外輸出・核武装の方向が強まっている中で、もう一度、2012年における反原発運動の高まりを想起して、厳しい現局面を突き破っていきたいと思います。(管理者)

「原発をただちに廃炉」は、いのちの叫び
――画期的な2012年7・29国会包囲デモに思う

●1960年安保闘争以来、52年ぶりの国会大包囲デモ

2011年3月11日の東日本大地震・大津波による東京電力福島第一原発1~4号機爆発の大事故はいまだに収束しておらず、その原因やすべての真相の解明が隠され、そして責任の所在はあいまいなままです。そうでありながら、野田首相は6月8日に関西電力大飯原発3・4号機の再稼動を発表しました。6月16日には、関係閣僚会議で大飯原発再稼動を決定しました。「国民の生活を守るために大飯原発を再稼動すべきだ」、「福島原発事故時のような地震と津波が起こっても事故は防止できる」という野田首相の言葉に対して、「福島県民は国民ではないというのか!」、「福島に対する棄民だ!」、「福島原発事故は原因も明らかにされていない。放射能汚染はまだ続いているではないか!」と、福島の人々の憤りは高まり、全国で脱原発・反原発の声が一気に強まりました。
7月16日(月)には、ノーベル賞作家の大江健三郎氏、国際的に活動する音楽家の坂本龍一氏、ルポライターの鎌田慧氏、作家の瀬戸内寂聴氏ら9氏が呼びかけて、東京の代々木公園で「さようなら原発10万人集会」が開かれました。全国各地から脱原発を願う人々が駆けつけ、その数17万人を超えるかつてない大集会、大デモとなりました。昨年3月11日の福島原発事故以来の、原発に対するうっ積した不安と憤りが、ついにひとつに結集し、それが堰を切って大きく流れ出したのです。

▲広い代々木公園が一杯になる17万人が集まった。7月16日。

そして、7月29日(日)、首都圏反原発連合が呼びかけた集会とデモがもたれました。3月29日に首相官邸前で始まった大飯原発再稼動反対の抗議行動はその後、毎週金曜日にくり返されるごとに膨れ上がり、この日の行動になりました。経済産業省前に張られた二つのテントと結びついて、東京の日比谷公園に老若男女が次々と結集し、公園からあふれ出すように出発した反原発デモは、延々と続き、東京電力本社前で激しい抗議の声をあげ、再び日比谷公園に戻ってきました。そのデモの流れは、首相官邸と国会へと続々と向かい、午後7時には、20万人とも十数万人とも言われる人々が、手に手にろうそくやペンライトを掲げて、国会を包囲しました。警察が歩道と車道の間に警察バスや柵によるバリケードを設けたために、次から次へと押し寄せる参加者たちが歩道上でひしめき、まったく身動きがとれなくなりました。国会議事堂の正面あたりで、バリケードの柵が破られ、人波がどっと車道にあふれ出ました。警察もそれを制止できない騒然とした状況が生まれました。この中で、警察は2人を不当にも逮捕する暴挙を行いました。
この日、国会議事堂と首相官邸の周囲から経産省前テントにかけての霞ヶ関全域は、すべて反原発・脱原発のデモ隊によって取り囲まれたのでした。日本政府に対して「大飯原発の再稼動に反対」「すべての原発を廃炉にせよ」と訴える声が一気に高まったのです。

▲手に手にろうそくやペンライトを掲げて国会を包囲(7月29日夜)

抗議のデモ隊が国会を包囲したのは、1960年の日米安保条約改訂阻止を掲げた国会デモ以来、52年ぶりと言われています。原発を国策としてきた日本では、マスコミもずっと原発推進でやってきました。昨年3月11日の東日本大震災・大津波と福島原発事故という悲惨な事態にもかかわらず、巨大マスコミは原発推進から脱原発へと舵を切ることをしていません。しかし、半世紀ぶりという、この日の国会包囲デモを小さく扱うことはできず、新聞各社もロンドン・オリンピック報道を押しのけて、1面で大きく取り上げ、NHKも比較的長いニュースで流しました。
 7月29日のデモは、8月3日(金)にも、またその次の週にも引き継がれます。この流れは、日本が原発ゼロになるまで続いてほしいし、きっとそうなるでしょう。政界、官界、財界、学界、マスコミ、司法、日本労働組合総連合中央が依然として原発依存にしがみつき、あろうことか原発をてことした戦争への野望が鎌首をもたげている(後述)一方で、まちがいなく、日本の草の根から反原発の地殻変動が起こっているのです。

●福島の痛みと悲しみを忘れない

 日本は、アメリカに次いで、フランスと並ぶ原発大国・原子力帝国です。この日本でも、原発立地県を中心に、反原発・脱原発の運動は長きにわたって続けられてきています。今回の草の根からのデモの先頭には、柏崎、浜岡、美浜、大飯、上関、玄海などで粘り強く、あきらめずに、「原発廃止」を訴えてきた各地の市民団体が立っています。しかし、昨年3月11日以後の現在の反原発の流れは、これまでの運動に学び、継承しながらも、まったくちがう性格をもっています。その「ちがい」とは、言うまでもないことですが、福島第一原発1号機・2号機・3号機がメルトダウン(炉心溶融)を起こし、溶けた燃料がさらにメルトスルー(圧力容器を突き抜ける)となり、あるいは最悪のメルトアウト(外側の格納容器の底を破って原子炉建屋の地下コンクリートを溶かし地下水脈に達した)しているかもしれない大事故が起こったからです。さらに4号機の使用済み燃料プールがむき出しの状態になっているのです。このとてつもない福島原発事故によって直接に深刻な被害を受けている無数の外部被曝者・内部被曝者、強制退去者という福島の犠牲者たちが、この運動の中心にいるのです。
 国会前に押しかけ、代々木公園や日比谷公園に集まってくるすべての人々は、「福島を救え」、「福島の子どもたちを守れ」、「福島とつながろう」という強い気持ちを胸に抱き、大きな声を張り上げています。誰もが、福島の人々を支援したいと願っており、福島の痛みと悲しみを、自分のこととして受け止めようとしています。何よりも、福島の女性たちが運動を引っ張っています。女性たちが、子どもたちの現在と未来を憂えて、非常に深い怒りと、どうしようもなく拡散し続ける放射能汚染への不安感に駆られて、否応無しに立ち上がっています。
 福島の人たちは、福島から子どもと一緒に遠隔地(たとえば広島、福岡、沖縄、北海道など)に避難した人、福島に踏みとどまっている人、故郷には戻れないと考えている人、故郷に必ず帰ると決心している人と、さまざまですが、その心は一つだと言っていいいでしょう。

▲のぼり旗には「希望の牧場ふくしま」「原発のない社会を実現しよう」「原発なくせ
――いのちと未来をまもろう」と書かれている。7月29日、日比谷公園。

 7月29日のデモに参加した福島のある女性に話をうかがうと、「福島第一原発事故の責任を誰もとらず、放射能汚染の内部被曝の実態もよく解明されていないのに、もう原発再稼動を決めるのは許せない」、「被害の補償もされていない。国は、まるで福島がなかったかのように振舞っている。腹がたってしかたがない」、「私たちは、子どもたちの明日のために、絶対に第二の福島をくり返してほしくない」と言っておられました。
福島の女性たちは、大きな不安を抱え、悲しみが癒えることはないけれど、立ち止まっているわけにはいかないと、声を挙げ、行動に出ています。福島の女性たちは「すべての原子炉をただちに廃炉にしましょう」と、ある意味で一番過激なのです。実際、福島県議会は、昨年10月、県民から出された「福島第一、第二原発の全10基の廃炉を求める」請願を賛成多数で採択し、県ぐるみで「脱原発県」を宣言しているのです。
 この日も、デモの先頭には、黒い着物と赤いたすきと菅笠を着けた福島の女性たちがいました。福島県会津地方に伝わる「かんしょ踊り」を踊りながら、デモ行進をしたのです。「かんしょ」とは会津方言で「一心不乱、無我夢中」という意味だそうです。数百年前の江戸時代から続く踊りなのですが、明治時代に、あまりにエネルギッシュで、民衆の力強さを示す踊りであるため、当時の天皇制政府が「下品だ」として、禁じたという、いわくつきの踊りです。その背後には、会津戦争を戦って敗れた会津藩への明治政府による報復的な厳罰、強制追放措置や、その後の三島通庸・福島県令による自由民権運動への過酷な弾圧(福島事件)という血で書かれた歴史があると言われています。その踊りが反原発の運動の中で舞われていることは、福島の女性たちの怒りがどれだけ大きいかを示すようです。

▲福島の女たちが、かんしょ踊りの装束でデモの先頭に立つ。7月29日。

●「ふるさとを失った悲しみと悔しさがわかりますか」
――8・1福島意見聴取会で切迫した憤りが吹き出る


 国会包囲のデモで痛感することは、原発やエネルギーの問題を考える時、福島の人々の苦しみとその願いを最優先に置かなければならないということです。この点で、8月1日、政府主催の「エネルギー・環境の選択肢に関する福島県民の意見を聴く会」がとても重要でした。そこでは、福島の30人の方たちが一人ひとりの切実な思いを語りました。会場に来た人々からも怒りの表明がありました。出席していた政府関係者に対する憤りが次から次へと吹き出すものでした。さながら政府追及の糾弾会のようになったのでした。

http://kokumingiron.jp/ustream_rec.php?ustrm_id=24391019

http://kokumingiron.jp/ustream_rec.php?ustrm_id=24392350

http://kokumingiron.jp/giji/9_full.pdf

福島県の双葉郡浪江町に住んでいたある農民は、安心で安全な米を作って全国に送り出してきました。儲けはあまりないけれど、汗水流して農作業に明け暮れてきました。しかし、昨年3月11日の東日本大地震によって、福島県は大地震と大津波と原発事故の三重の被害を受けました。福島原発がある浪江町は農業ができなくなりました。それまで穏やかに暮してきたふるさとの山も、川も、森も、海も、農地も、放射能で汚染されました。新鮮な魚や山菜や野菜をすぐに味わえる心豊かな生活が一瞬にして消えてしまいました。政府の強制的な避難指示によって、先祖代々の土地に住めなくなり、遠く離れた狭くて不便な仮設住宅に押し込められました。子や孫に伝えていくべき自分たちの生活と人生がすべて破壊されました。同じふるさとの町民は皆ばらばらになってしまいました。
この浪江町の農民は、「福島県民は県内に残っている人も、避難している人も含めて、みんな流浪の民です。ふるさとを失った悲しみと悔しさがわかりますか。ふるさとを返してください」と訴えています。
 また福島第一原発が立地する双葉町のある住民は、「東京電力の原発は福島県の過疎地に押し付けられました。でも東京電力の電気は福島に使われておらず、その電力は都会に回っているのです。原発事故によって福島の自然を壊し、福島の人に犠牲を押し付けて、都会がぬくぬくと生活しているのは、あんまりです」と語っています。
 さらに、今も警戒区域に指定されている富岡町のある方は、7月16日の名古屋での意見聴取会で、中部電力社員が「福島事故の放射能の直接的な影響で亡くなった方は一人もいない。今後5年・10年経ってもこの状況は変わらない」という暴言を吐いたことに心底からの怒りを表明しました。もっともっと長く生きられた命が避難中に、避難直後に、仮設住宅で、一時帰宅の際に、次々と失われているのが現実だ、と訴えました。「一度、原発事故が起こってしまえば、原状回復は不可能だということをわかってほしい」、「であるならば、『原発ゼロ』から議論を始めるべきではないでしょうか」と切実な思いを語りました。
 渡利に住んでいるある方は、周りで起きている悲しい現実の事例を挙げながら、「原発事故は、人間が人間らしく生きることを否定するもの、一人ひとりの当たり前の生活、そして人間らしさを破壊してしまうものだ。人間の尊厳、人間らしく生きるということは、どんな理由があっても侵してはならないし、最優先で守られなければならない」と切々と語りかけました。
 多くの方々が、低線量内部被曝の恐ろしさ、晩発性障害の怖さを初めて知ったこと、それにおびえる毎日を送らざるをえないことへの、やり場の無い怒りを表明されました。

▲若いお母さんが子どもを抱いて、奈良美智氏が描いた「NO NUKES」のイラストを持ち憤りと不安感を表明している。国会へ向かう道路で。6月29日。

 また、別の場所で、私が話を聴く機会のあった、福島市内のある若者は、「福島原発事故で原発の『安全神話』がウソだったことが証明されました。私の祖母は、『原発事故がひとたび起こると、戦争がふるさとを焼け野原にするのと同じようなことになる。原発事故は戦争よりもっと悪い。放射能汚染したふるさとはもう取り返すことができない』と悲しんでいます。私は戦争の体験がないけれど、67年前に広島と長崎に投下された原爆以上の放射能を製造する原発を、国はどうして進めてきたのですか。再び日本が戦争をするためですか」と鋭く問いかけています。
 事実、福島原発1~3号機事故によって大気中に放出された放射性物質は、11年6月発表時点では、3月16日までの数日間に77万テラベクレルとされました。それは、想像もつかない甚大なものであり、広島型原爆の15~16発に相当すると言われました。その後、12年7月時点の政府発表(おそらく過小に見積もっている)にもとづいて計算すると、同1~3号機から大気中に放出された放射性物質の総計は、何と広島型原爆の168発に当たるというのです(小出裕章・京都大学原子炉実験所助教の解説)。しかも、4号機にある使用済み燃料は、それだけで広島型原爆の5000発分に相当する核分裂生成物なのです。すでに、8・6広島、8・9長崎を超える未曾有の事態が起こっているのです。

もちろん、「反原発」は、日本政府と原子力産業が数十年にわたって推し進めている国策に反対するものですから、非常に鋭い政治運動です。政治運動として目標を明確にさせ、それを実現しなければなりません。しかし、大事なことは、福島の地ですでに広島型原爆が100発も200発も炸裂した現実があるということです。その未曾有の原発事故の直接の被害をこうむり、外部被曝と低線量内部被曝にさらされている福島の人々の「反原発」の訴えは、政治主張やイデオロギーを超えた、いのちの叫びであり、人間らしく生きることが破壊されたことに対する人間の尊厳を求める訴えです。これは、「子どもや孫の世代に、放射能や核廃棄物を負の遺産として引き継いではならない」という人類共通の決意なのです。
戦後日本の私たちは、「原子力は人類最高の叡智」、「核の平和利用」、「原発は安全」という謳い文句にだまされ、絡めとられてきたという過ちを犯しました。核武装と核戦争への準備そのものである原発への認識と危機感をあいまいにさせるというまちがいを重ねてきました。ひいては8・6広島、8・9長崎、第五福竜丸事件の被爆者たちの血の叫びをその場かぎりでしか受け止めず、戦争と侵略と原爆の歴史およびその記憶をおざなりにしてきた面があったのです。こうした私たちのまちがいへの痛恨の自己批判として、「反原発」はあるべきではないのでしょうか。これはまた、原子力神話、科学文明万能神話に陥っている現代の人類のあり方への根底的な反省でもなければならないでしょう。
しかも、戦後日本では、原発を東北地方や北陸地方などの過疎地あるいは僻地に押しつけて、都市の住民はその犠牲の上に電力を享受してくるという過ちを犯してきました。日本列島全体がそのような都市と過疎地・僻地との構造的差別の上に成り立っていることを、どこまで自覚していたと言えるでしょうか。「反原発」を語ってきた者も多くは、原発立地県の人々の苦しみ、葛藤、迷いと真正面から向き合ってきたとは言えないのではないでしょうか。
被爆者解放と核武装阻止を掲げてきたはずの日本の新左翼も、原発問題と反原発闘争をあまりにも軽視してきたと言わなければなりません。反原発の位置づけが明確でないような「被爆者解放」「核武装阻止」の闘いには、どこかにごまかしがあったということを、とらえ返さないわけにはいきません。
「ふるさとを失った悲しみと悔しさがわかりますか」――この悲痛な告発にしっかりと向き合い、その意味を深く、重く、とらえる努力が絶対に必要だと痛感する次第です。

真相究明、責任者処罰、国家賠償、事故完全処理・廃炉、教育が課題

 福島の人たちの告発には多くの深い問題が突き出されています。福島の人々の悲しみと憤りを前にすると、問題が非常によくわかります。反原発の流れはますます大きく、広く、高まっていくでしょう。その中で、何が問題なのかもさらにはっきりしていくでしょう。
 私なりに、問題を整理してみたいと思います。
 まず福島原発事故にかかわる問題があり、同時に大飯原発再稼動を撤回させる問題があります。そして広島、長崎、第五福竜丸、福島を一つながりにしていく問題があります。

 福島原発事故にかかわっては、五つの課題があるのではないでしょうか。
第一に、福島原発事故の原因および経過および結果という真相が、まだ全面的に開示されていません。それらの情報はいまだ隠されています。しかし、事故はまだ終わっていません。広島型原爆168発分の放射性物質は、空と海と大地を汚染させ、新たなホットスポットを生み出し、内部被曝を広げています。メルトアウトした放射性物質は、地下水を汚染させ、海水を汚染させ、押しとどめようもなく拡散しています。福島原発では、今なお3000人と言われる労働者が毎日被曝しながら過酷な作業を続けているのです。
昨年12月16日の野田首相による「福島原発事故収束宣言」はもってのほかです。1号機・2号機・3号機の溶け落ちた炉心はいったいどこにいったのか? メルトアウトしたのかどうか? 4号機の使用済み燃料はどうなっているのか、それを収納しているプールの状態はどうなのか? すべての真相を明らかにさせなければならないと思います。

 第二に、真相を究明するということは、責任者たちを明確にさせるということです。責任をとるべき個人および組織(政治家、議会、官僚、電力会社、原子炉製造会社、学者、マスコミ、裁判所、そして電力総連や電機連合を始めとする日本労働組合総連合会中央)に対しては、厳しい処罰が必要です。直接の福島原発事故の責任はもちろんのこと、それに加えて原発を国策とし、それを推進してきた歴史的な責任が問われなければなりません。なぜなら、福島原発事故は厖大な被曝者を出し、これからも日本内外に被曝者を出し続ける犯罪だからです。責任者・責任組織の処罰がないかぎり、同じ犯罪はくり返されます。
福島県民1324人の福島原発告訴団(武藤類子団長、佐藤和良副団長、河合弘之弁護士ら弁護団)が作られ、原子力安全・保安院や東京電力幹部33人と東電を相手どった告訴を起こし、それが8月1日に受理されました。この裁判は、闘いの非常に重要な柱となるでしょう。この裁判を支援し、ともに担って、責任の明確化とそれらの処罰を実現することは、福島原発事故の真の教訓化となるものです。
さらに民衆法廷で裁くという試みがあります。
福島原発事故を教訓化するなら、原発禁止と原発事故責任者処罰の新法を制定することが求められているのではないかと思います。

 第三に、東日本大地震・大津波・福島原発事故のすべての被災者、被曝者、避難者への損害賠償、生活保障、雇用政策があまりにも不十分です。子ども、乳幼児、妊婦、その家族の移住を各個人にまかせるのは、とんでもないことです。現在の強制避難も自主避難も、いずれも国による強制的な退去・追放措置にほかなりません。政府の責任で集団疎開を実施すべきなのです。また、子どもたちが遊ぶ場の除染は、除染そのものが限界あるにせよ、可能なかぎり徹底的に組織的に行われるべきものです。それらはすべて国家あげて実施されるべきです。
今なお行方不明者は2908人に上り、仮設住宅に住むことをよぎなくされている人は約27万人もいます。すべての被災者、被爆者、避難者への全面的な各種の補償が最優先でなされるべきです。

 第四に、何よりも、現在も進行中の福島原発事故を完全処理しなければなりません。事故はまだ収束などしていません。現在までの東電による大量被曝の原発奴隷労働をやめさせなければなりません。それは、とんでもない犯罪行為です。電力会社・下請け・孫請け労働体制を廃止すべきです。そして、難しい課題ですが、数百万人規模の労働者による短時間・基準値以下の原発労働を国家的に組織するしかないという提案がありますが、真剣に検討しなければなりません。同時に日本中の原発すべてをただちに廃炉にすべきです。再稼動は論外です。電気といのちとどちらが大事なのか。いのちです。地球上に生きとし生けるものすべてと、原発は、けして共存できません。
原発はひとたび事故を起こすと、信じられないような大量の「死の灰」をまき散らし、それが原爆以上の大量無差別破壊・殺人兵器であることが歴然とします。私たち日本は、今回の事故で近隣の韓国や中国、台湾など世界中の海と空と大地に放射能を撒き散らした責任をはっきりと謝罪しなければならないのです。原発の存在そのものが世界史的な大犯罪なのです。だからこそ、世界に先駆けて、100パーセントの脱原発国となるべきです。
 原発はエネルギー問題と位置づけられ、経済成長とエネルギーという脈絡で語られます。しかし、それは怪しげな議論なのです。原発問題の原点は、核武装への道であり、核戦争体制の準備というところにあるのです。この点を明確にさせ、原発をエネルギー論議の呪縛から解き放つ必要があります。

▲経済産業省前で「福島の女たち」がテントを張って座り込み(6月29日)

 第五に、それにしても、今回の福島原発事故をけして忘れてはいけないと強く思います。そのためには、すべての教育機関において福島原発事故の破壊的な恐ろしさ、悲惨さ、内部被爆者の苦しみという全真相および責任者処罰を後世に伝えるあらゆる措置をとることが必要でしょう。
私たち日本は、福島原発事故以前に1979年のスリーマイル島事故、1986年のチェルノブイリ事故などがあり、国内でも数々の原発事故があったにもかかわらず、また第二次世界大戦での被爆国であるにもかかわらず、今回の福島原発事故を起こしてしまいました。これは、戦争と植民地支配の歴史を過去清算せず、歴史の事実から目をそらすことが多い私たち日本のあり方と重なっているのです。「あいまいな日本」「無責任な日本」というあり方を、もうこれ以上続けてはならないと思います。そのためには、事実=真相の記録と記憶と伝承という意識的な教育体系が、あらゆる道筋からつくられなければなりません。

第二の福島を起こしてはならない

 次に、大飯原発再稼動を撤回させる問題があります。
 一つには、何よりも深刻なことは、次なる大地震の切迫という中で、大飯原発が福島原発事故級の、いや福島原発事故以上の爆発事故をいつ起こしてもおかしくない状況にあることです。
大飯原発は、志賀原発とともに、あろうことか活断層の上に建設されていることがまちがいないのです。活断層が1・2号機と3・4号機の間を南北に走っていると言われています。かつて1586年(天正13年)11月に天正大地震が起こり、「山にも似た大波が押し寄せ」、町を呑み尽くし、多数の死者を出したという、恐ろしい記録が残っています。大飯原発は、若狭湾に突き出している大島半島の最先端にあるため、地震や津波を受けると道路が遮断され、孤立してしまいます。いったん事故が起きると、救援体制をとることができず、まったく手がつけられなくなってしまう地形なのです。
それなのに、大飯原発には、フィルター付きベント装置がないのです。防潮堤もなきに等しいのです。1・88メートルの津波を想定した防潮堤しかないのです。免震事務棟もありません。
しかも、福島原発事故が収束しておらず、その全容もいまだに明らかになっていません。調査と検証はまったく不十分です。いわゆる安全基準さえ、暫定基準でしかありません。地震動評価基準も定まっていません。また、原発の危険性を厳しく追及・審査する第三者機関も設置されないのです(6月10日に成立が決まった原子力規制委員会はそのような第三者機関ではありません――後述)。
にもかかわらず、政府は、大飯原発を再稼動するという、信じられないような暴挙を行いました。
大飯原発は、福島原発事故時の大地震・大津波に襲われたなら耐えられるものではありません。大飯原発で原発事故が起こってしまえば、取り返しのつかない破滅的事態となるのです。このことへの恐怖、危機感をあいまいにしてはならないでしょう。再稼動させられた大飯原発を何としても再び止めなければなりません。

 二つには、大飯原発再稼動は、過疎地・僻地に恐るべき危険な原発を押しつけるという一方的な犠牲の上に、都市の経済生活、社会生活を維持するものであり、むちゃくちゃな差別構造をますます強化するものです。具体的に見ると、若狭湾には大飯原発4基を始め、敦賀原発2基、美浜原発3基、高浜原発4基、もんじゅ1基という14基もの原発が密集しています。それらはすべて長大な送電線によって大阪、京都、神戸の都市に送られているのです。もし大阪、京都、神戸のど真ん中で原発が再稼動されたら、どうなるでしょうか。関西地方は「再稼動やめろ」の動きで騒然たる状況に陥るでしょう。そんな中で政府が再稼動を決定することなど、ありえないでしょう。それが若狭湾であることをいいことに、強引なまでの再稼動決定がなされたという現実を、けして見過ごしてはならないと思います。

三つには、野田首相の「国民の生活を守るために再稼動する」という言辞に示されるように、大飯原発再稼動は、福島の人々を二重三重に踏みにじり、見殺しにするものです。ふるさとから追放され、低線量内部被曝に脅え、人生と生活を失った福島の人々、子どもたちの現実、その苦しみをまったく考慮しないという表明が、再稼動決定です。再稼動決定に対して、福島の中から「福島県民はまたしても棄民にされた」という怒りの声がほうはいと挙がっています。再稼動自体が福島の人々のいのちと生活と人間的尊厳に対する新たな国家的犯罪だと言わなければなりません。

 この6月、7月、8月の反原発運動の急速かつ幾何級数的な発展は、大飯原発再稼動への危機感、不安感、憤りを契機にし、動力にしています。「大飯原発再稼動撤回」をけしてあきらめずに、持続させることができるかどうかに、今後の反原発運動の帰趨がかかっています。
ありとあらゆる方法で、そして経産省前テントを起点にした国会や首相官邸に対する抗議の闘い、全国各地での抗議の闘いをさらに強めていきましょう。

生きとし生けるものすべては、原発=原爆=核戦争と共存できない

 さらに、広島=長崎=第五福竜丸=福島を一つに結ぶ反原発・反戦・反核運動が決定的に重要だという問題です。
ひるがえって見ると、戦後の日本において、1950年代以来、原発建設を積極的に推進してきたのが、朝鮮の植民地支配やアジアへの侵略戦争を反省せず、8・6広島、8・9長崎を負の教訓とすることがなく、日本国憲法第9条を破棄しようとする中曽根康弘や岸信介や正力松太郎らであったことはよく知られている歴史的事実です。彼らの原発推進の動力は、帝国主義戦争と植民地支配を開き直り、それを清算しようとしない勢力による潜在的核武装国家への野望だったのです。
そして、1960年代、1970年代に「核の平和利用」論と「原子力は人類最高の叡智」神話および「原発安全」神話でだましながら、とくに田中角栄首相=中曽根通産相体制によって、1974年成立の電源三法(電源開発促進税法、電源開発促進対策特別会計法、発電用施設周辺整備法)を強力な武器として、核武装の野望と経済成長至上主義のもと、原発が国策としてしゃにむに推進されてきました。そこでは、札束で顔をひっぱたくようにして地元の反対運動を抑えこみ、農村や過疎地、僻地を買収して、危険きわまりない原発を押しつけ、次々と84基を建設してきたのです。ここには、沖縄の軍事的分離支配と日米安保体制のもとでの潜在的核武装国家づくりがあります。同時に、ここには、農村や過疎地、僻地の犠牲の上に都市が見せかけの繁栄をするという、戦後日本帝国主義国家の、ひいては資本主義社会の構造的差別があります。
この点について、新崎盛暉氏(沖縄大学名誉教授、沖縄平和市民連絡会代表世話人)は、次のように鋭く指摘しています。「東日本大震災は、『安全神話』を打ちこわし、もう一つの構造的差別を浮き彫りにした。日本(国民)は、沖縄に在日米軍基地の圧倒的多数を押し付け、『偽りの平和』を享受していたばかりでなく、東北の僻地に危険な原発を押し付け、そこから得られる電力で、『偽りの豊かさ』を享受していたのである」(『新崎盛暉が説く 構造的沖縄差別』高文研)。沖縄と原発立地をめぐるこうした二重三重の構造的差別に、私たちが無自覚であったこと、否、それに加担してきたことを直視しなければならないと思います。
 さらに、スリーマイル島原発事故、チェルノブイリ原発事故に対して激しく燃え上がった反原発運動は、先進的で良心的な人々の努力を別にすれば、以後、正面課題としては取り組まれてこなかったのでした。どうしてなのかを、真剣に検証しなければなりません。
 端的に言いますと、反原発と一体であるべき8・6広島、8・9長崎の運動は、反原発と積極的に結びつこうとしてきたのか、という問題があるのではないでしょうか。既成の原水禁運動は、「核の平和利用」キャンペーンと「原子力」神話および「原発安全」神話にからめ取られてきたのでした。それをのりこえるべき運動はどうだったのでしょうか。厳しく自己に問わなければなりません。
 原発とはイコール原爆であり、またイコール核武装・核戦争です。詳しくは述べませんが、原発がいったん事故を起こせば隠しようもなく明らかなように、原発も原爆も核戦争も、「死の灰」をつくりだし、まき散らし、地獄絵の世界を生み出し、人類と地球上のすべての生物を破滅に追いやるのです。それは、現に福島の被曝者への差別が生み出されているように、あらゆる差別を助長し、強め、新たな差別をつくり出すのです。
 くり返すな!福島――そうであるがゆえに、今こそノーモア広島!、ノーモア長崎!、ノーモア第五福竜丸! でなければならないと思います。
 故・水戸巌氏(当時、芝浦工業大学教授、救援連絡センター代表)の戦後33年にあたっての次の警告を銘記しなければならない時ではないでしょうか。
「つぎつぎと設置される原子力発電所が、原水爆時代を維持させ拡大させている時、原発問題を棚上げして、原水爆禁止を語ることは、原水爆禁止運動を『夏祭り』におとしこめることだ。今こそ、原水爆禁止と『原子力開発』阻止とが固く結びつけられなければならない。何よりも原水爆時代を終わらせなければならない。33年前の悲惨・残酷・苦しみ、33年間続いている悲惨・残酷・苦しみに、固執し続けよ。原水爆時代を『原子力時代』といつわり、軍事技術を『平和利用』といつわり原水爆時代を維持・拡大している『原子力開発』を告発せよ。」(「広島・長崎~東海村より」)

 この点で、超重大なことは、原発をあたかも規制するかのように装って制定された原子力規制委員会措置法(6月20日成立)に、戦争への恐るべき策動が込められていることです。同法には多くの危険とごまかしがありますが、その第1条目的規定に「原子力の研究、開発及び利用において……我が国の安全保障に資することを目的とする」がもぐり込まされたのです。同時に同法付則第12条では原子力基本法(1955年成立)の第2条の目的規定を改正して「我が国の安全保障に資することを目的とする」を付け加えてしまったのです。福島原発事故が起こったという大惨劇の真っ只中で、これまでの長年にわたる「核の平和利用」という仮面をあっと言う間に外してしまい、「原発の目的は安全保障すわなち戦争である」という原子力規制委員会措置法と改正原子力基本法を制定してしまったのです。国会での何の議論もなく、誰も知らないうちに! 何と言う暴挙か!
 だから、原子力規制委員会人事では、原子力政策推進の中心人物であり、高速増殖炉もんじゅ推進の御用学者である田中俊一を委員長にしようとしているのです。
 じゅうりんされているのは、福島県民や原発立地県の人々だけではないのです。広島、長崎の被爆者・被爆二世・被爆三世がじゅうりんされているのです。
 すでに新たな試みが開始されていますが、8・6広島、8・9長崎、第五福竜丸事件、そして福島を一つにつなげる運動、これらが響き合う反原発・反戦・反核運動をつくりあげることが絶対的に求められているのではないでしょうか。

 今回の福島原発事故、大飯原発再稼動を通して、私たちの無知、無自覚、運動の欠陥をいやと言うほど、思い知らされました。原発=核とは何なのか、帝国主義の戦争への野望がいかに執拗なものか、帝国主義とは何か、資本主義とは何か、近代とは何か、現代文明とは何か、戦後日本とは何だったのかなど、全面的に問い直し、検証し直さなければならないと痛感します。まだよくわかっていないことの方が多いのです。
そうであるからこそ、一人の大人として、過ちをくり返さないために、子どもたち・孫たちの世代に歴史の真実を伝えるために、反原発の闘いを全面的・体系的に、かつ土台からつくりあげ、推進しなければならないという思いで一杯です。


2012年8月5日記、同17日一部加筆
隅 喬史(すみ・たかし)

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