ツンヅのダラ×2日記だら

社会人8年目に突入した鳥取生まれの埼玉人スポーツマン(??)、ツソヅのブログです。

27歳/30歳

2009-09-02 21:37:04 | Weblog
新たな勤務地は埼玉県行田市 行田市は埼玉県の北部にある 暑いぞ熊谷の隣だ  国道17号やJR高崎線が通っており、明らかに秩父より都会だ 東京までも普通電車で1時間と都会生活のワクワク感を感じた
武蔵水路は利根川の水を荒川に送る長さ15kmの水路である なぜ水を送るのか?それは東京都の為だ 利根川は日本一の長さを誇る川だが河口は千葉の銚子にある 荒川も大きな川で東京湾に注ぐが、川の水は多かったり少なかったり そのため利根川の水を荒川に送るという工事が昭和40年頃に行われ武蔵水路ができた 武蔵水路は施設が古くなったので改築工事を、そんなタイミングだった 仕事は工事を行うためのお金の算出やそのお金を払う東京都と埼玉県の費用負担割合を算出することがメイン この作業が事業を左右するので重役だった
武蔵水路は幅が15mもあるバカでかい川のようなものでそれが市内を縦断して通っており、その水は東京や埼玉の南の方のために使われ、地元には一切の恩恵がなかった 地元にとっては迷惑施設 工事を理解してもらうことも重要な仕事だった

2006年はサッカードイツW杯があった 2002年日韓W杯のようにサッカー三昧といきたかったが社会人になっては難しい 詳しくは過去のブログ→ http://blog.goo.ne.jp/shinji_dara/m/200606 寮生で集まってみたが、あまりの仕事の忙しさに俺だけ決勝戦を見逃す失態をした 2010年はそんなことがないようにしたい

行田市について たぶん埼玉県の人しか知らない知名度は低い市だと思う ”餃子市”ではない 秩父にいたころでさえ行田のことは知らなかった 確かにベッドタウンで人はいるが、これっていう名所・名物はないかな(今は、”さきたま古墳群”で世界遺産登録を目指している) 知らない分、地元に入って知りにいった 飲み屋はもちろん、行田市役所の野球やランナークラブ 自治会のソフトボールや運動会 果ては早朝ランニングを兼ねた防犯活動も ここでも秩父と同じようにランニングする変わった奴、ということで知られた 逆に知ってもらうことで、水資源機構や武蔵水路のことも知ってもらい、煙たがられる水路を良く思ってもらいたかった でも、こんなに地元に入っていけたのは、行田市役所のオッサンと知り合ったことだ 40歳を超えているのに、野球ではピッチャーであり強打者 いろんなイベント(木下航志ライブなどなど)をやったり、人をまとめたり、本当にすごい人だと思う ある人は『この人は、将来の市長だ』と言った 確かにそう思うし、そうあってほしい このオッサンと知り合って人生観が変わった気がした

26歳/30歳

2009-09-02 01:02:42 | Weblog
滝沢ダムはいよいよ出来上がった 高さ140mの重力式コンクリートダムだ ダムには良いことも悪いこともあるが、造る者は一生懸命造る いろんな人の思いが詰まる 何十年前から計画されているが、ダム本体工事に入ったら3年で出来上がってしまう 日本の技術力の総決算だ ダムができたら水を貯める 工事中は川を山の中に造ったトンネルに回しており、このトンネルを塞ぐことで水は貯まっていく 湛水式は格別だった ダム建設で移転していった人もダム工事をした人も、ダムの下流に住む人も集まった これから沈んで二度と見ることのないダム底は寂しさがあった 見上げるダムはデカかった
水はなかなか貯まらない 数か月たってやっと半分の高さまで上がってきた そこから上はさらに体積が大きいからなかなか貯まるものじゃなかった
地面がずれた ダムに水を貯めていたら、ダム湖脇の山が崩れ始めた ある日見つかった数ミリの亀裂がだんだん大きくなっていった 地滑りというやつだ 地滑りはがけ崩れとは違う がけ崩れは表面が崩壊する現象だが、地滑りは山全体が滑る現象 地盤が弱いところでは、水位が上昇することで、地中の水分が増え、すべり面ができて、ズズっと滑るわけだ 亀裂がどんどん大きくなり緊急工事が行われた 24時間観測体制 真冬の夜勤は応えた 試験湛水は途中で止まってしまった ダムの完成は水が貯まって、初めて完成と言える 大変な工事だ

たまには浮いた話 なぜが高校野球時代のマネージャーが遊びに来た 『俺に、何を求める』 秩父を案内したり、西武遊園地、ディズニーランド、果てはクリスマスまで一緒に 俺は鈍感なのだろう 何もなかったような

さて、3月 水資源ならではの転勤の話が舞い込んだ 昼休み、素振りをしていたら課長がやってきて、いきなり「河本君、転勤 武蔵水路」 はう? 『どこだ、武蔵水路って』と思った 全国転勤が当然なのに、何と同じ埼玉県だった ショックも感動もなかった
転勤のドタバタとあわせて、妹が結婚することに 正月に帰った時は、結婚の話なんぞ、聞いてもなかった 急展開の結婚だった 結婚式前に1度、鳥取へ帰り、新郎と会う 『ほうぅ』と
そして月末の結婚式 色々あったようだが、幸せそうな妹を見て俺も幸せ 家族でスマップの「世界に1つだけの花」を歌い、新郎も引っ張りこんでハッピーな結婚式だった
仕事の片付けや結婚式や引っ越しや嵐のような3月が過ぎていった 秩父を去る日、仕事仲間や地元の知り合い、野球の監督、いろいろあいさつに回った 社会人になって初めて訪れた地 一生の思い出ができただら