志村建設専務の日々坦々

つれづれなるままに…

祖先 由利本荘の志村の出処 11 山形市長谷堂城址 3

2022-07-09 14:46:06 | 志村の由来

ここで登城路は左に亀の甲羅を周ります。そこには防御ライン3の曲輪があります。

そこから本丸への急斜面を登ると、4の横矢掛りが…側面の曲輪からの攻撃があります。

ここで、本丸から降りてくる人とすれ違いました。

挨拶をかわすと、「20年前にも長谷堂城に来たことがある」という男性。

古城めぐりが趣味で観光化されていない古戦場は、昔の面影を感じられて良いとの事。

お名前を聞くと…なんと伊達さん。宮城の亘から来たそうです。

宮城出身のサンドイッチマンの伊達みきおさんも伊達政宗の子孫だそうですが、

この戦いでは伊達政宗は3000名の軍勢を最上氏支援で派遣…奇遇な出会いでした。

本丸直前の防衛ライン 5虎口を越えて、本丸広場につきました。

出発から20分ほどの山城トレッキングです。 … 続く


祖先 由利本荘の志村の出処 10 山形市長谷堂城址 2

2022-07-09 11:45:58 | 志村の由来

現在地は右下広場、案内図に従い八幡崎口から進みます。 

亀の頭の部分、比較的緩やかな登りです。八幡神社部分は郭になっていて、

登城路はその下を巻いてゆきます。

 1の案内帯曲輪群、

亀の首の側面にあたる部分の階段状の防御ラインです。

長谷堂城攻防戦のときは、この曲輪の真正面、水堀を挟んで西側の丘に

上杉軍の中核部隊1万8千程の直江兼続軍勢が布陣したそうです。

守る軍勢は1200名程、10倍以上の戦力差があります。

この10数段のひな壇みたいな曲輪は、少ない人数を多く見せたのではないでしょうか。

 2 亀の甲羅の入り口の土塁

防衛上重要な場所ですが、小さな城なので石垣はありません。

もっともここまで攻め込まれたら多勢に無勢、あっという間に落城でしょう。

ではどうやって2週間もちこたえたのでしょうか … 続く