Naked Heart

その時々の関心事をざっくばらんに語ります

『夕凪の町 桜の国』映画化始動

2006年06月20日 23時22分46秒 | 映画・ドラマ
こうのさん作「夕凪の街」映画化  (中国新聞ニュース'06/6/20)

 広島市西区出身の漫画家こうの史代(ふみよ)さん(37)=東京都
中野区在住=の広島原爆をテーマにした話題のコミック「夕凪(なぎ)
の街 桜の国」が、映画化される。下関市出身の佐々部清監督(48)
がメガホンを取り、今夏に広島市内でロケがある。
 単行本は2004年10月に出版。文化庁メディア芸術祭マンガ部門
大賞などを受賞した。広島で被爆した女性の10年後を描く「夕凪の
街」、1987年と2004年の東京を舞台に被爆二世の姉弟らが主人公
の「桜の国」の2部構成。日常を淡々と描く温かい筆致が、若い世代
らに共感を呼び、現在約17万部、韓国やフランスなどで翻訳版も出
ている。
 佐々部監督は、「半落ち」で04年度日本アカデミー賞作品賞を受
賞。監督が所属する東京の映像製作会社などが映画化に踏み切り、
キャスティングを進めている。1955年の広島の街を再現したオープン
セットを埼玉県内につくり、7月20日にクランクイン。8月10日から
広島ロケをする。来年夏に公開予定。
 ロケハンで今月、広島市を訪れた臼井正明プロデューサー(41)
と佐々部監督は「被爆の記憶を引き継ぎ、明日に向かって希望を
持って生きている主人公。現代の家族のきずなの物語として丹念
に描きたい」と語る。
 こうのさんも「佐々部監督から漫画のキャラクターに何度も会いた
い気持ちになるような映画を撮りたい、と聞いた。世界の人に一層
親近感を持ってもらえれば嬉しい」と歓迎する。(円山文雄)


なかなか情報が入りませんでしたが、ようやく動き出したようです。
アニメじゃなくて実写なのね。
キャスティングも含めて、原作の独特の雰囲気がちゃんと出せるか、
多少不安もありますが・・・。期待して来年を待ちましょう。
広島ロケでエキストラの募集とかやらないかな。

なっちゃん

2006年06月19日 23時41分49秒 | 音楽
サントリーのジュース「なっちゃん!」のCMで、財津和夫のオリジナル曲が
流れています。めったにテレビを見ないので、お目にかかっていなかったの
ですが、サントリーのサイトで見れることが分かりました。
 http://www.suntory.co.jp/softdrink/natchan/cm/index.html
まあ、最近はたいていのCMがそうなんでしょうけど。気づきませんでした。

そういえば、昨秋からJRグループのCM「鉄道利用促進 こころ向き合う篇」
でも財津さんのオリジナル曲が使われたらしいけど、これも見てません。
読売テレビの「遠くへ行きたい」で流れてたそうですが。(今もかな?)
そういえばテーマ曲も、今はジェリー藤尾じゃなくて、元ちとせが歌ってる
んですよね。日曜の朝は、娘が「ふたりはプリキュア」を録るので、ビデオ
が使えないのです。(TT)

まだ無名だった頃(デビュー前だったかも)、『戦争を知らない子供たち』と
いう映画に出演して、「どこまでも どこまでも」という曲を歌っていますが、
全盛期にはタイアップとは縁が薄かったチューリップ。一時期テレビ出演も
拒否してましたから、解散後(正確には第三期以降ですけど、「あれはもう
チューリップじゃない」と言うファンもいますし・・・)にメディア露出が増えた
ように思います。同じ曲ばかりなのは、勘弁してほしいですけど。

ところで、財津さんのCMソング、CD化してくれないのかな。
ひと昔前なら、シングルになってたけど。でも最近は、CD売れないから、
レコード会社も慎重なのかな。

岩国

2006年06月18日 23時52分59秒 | 日記、雑感
昨日、家族で岩国に行きました。
仕事ではよく行きますが、家族での観光は初めてです。
(独身の時に3回ほど、食事したことがありますが。)



昨年、改修工事完了直後に台風被害を受けた錦帯橋も、修復は済んでいました。
私たち一家にとっては、渡り初めです。



10日から今日まで、菖蒲祭が行なわれていたので、見に行くことにしました。
約140種、11万株の菖蒲園は圧巻です。



吉川家ゆかりの吉香公園には、こんな大噴水もあります。
夏の晴れた日だったら、気持ちよさそう。

ロープウエーが点検のため運休で、お城には登れませんでした。
シロヘビも見ましたが、娘が「怖い」と言ってすぐに出てしまったので、写真は
撮れませんでした。
代わりに、駐車場にいたネコの写真を。



遊び場の無い公園はまだ無理なのか、お昼時だったのがまずかったのか、
娘が「おなかすいた。もう帰りたい」を連発したため、園内を回り切ることが
できませんでした。アジサイ園も見たかったのですが・・・。



我が家のアジサイも、小振りですが咲きました。


剣を取る者は

2006年06月17日 23時58分43秒 | 時事・社会
私の所属教会が主催する、年に一度の講演会。
今年は、愛媛玉串料訴訟の原告弁護団の一人でもあったK弁護士を講師に
迎えて行なわれました。K弁護士は現在、小泉首相靖国参拝違憲四国訴訟
の原告弁護団長も務めています。ちなみに愛媛玉串料訴訟には、K弁護士と
同じ教会のメンバーでKGKのOBでもあるF弁護士も、復代理人弁護士として
関わっていました。面識はありませんが、こちらで勝手に近しく思っていて、
同じバプテストの群れにそのような働きをされる方がいることを誇りに思って
いましたので、今回お会いできてとても嬉しかったです。

靖国神社国営化反対運動から政教分離の問題に関わるようになったという
K弁護士は、戦時下の宗教弾圧で投獄され失明したという牧師(奥様が手を
引いて集会に参加していた)との出会いによって、信教の自由は命をかけて
も守らねばならないと決意されました。
戦中生まれで、私の父よりも年上のK弁護士ですが、今なお熱く燃えて走り
続けておられる姿や言葉に、背筋が正される思いがします。

今日の講演では憲法について、時間を割いて分かりやすく説いてくれました。
様々な事情・思惑が絡み合って、敗戦直後の短期間に作られた現憲法です
が、それ故に類まれな「平和憲法」となったことを「神の賜物」と言われたの
に、妙に納得しました。というのも、私たちクリスチャンにとって、聖書こそ神
からの「押し付け」にほかならないからです。その聖書を「神のことば」として
受け入れ、信じているクリスチャンこそ、「押し付け」憲法を主体的に受け入
れ、守り抜くことができるのではないか、と思いました。

今回の演題は「剣を取る者は皆、剣で滅びる」でした。K弁護士も喝破して
いましたが、靖国問題も「愛国心」も、結局は日本を「戦争のできる国」にする
ことが目的にほかなりません。憲法改正の目指すところも同じです。
しかし、一寸考えれば分かりますが、日本は軍事力は持っていても、戦争を
遂行するだけの国力がありません。もし戦争になれば、国民を待っているの
は「恐怖と欠乏」です。
そして、一度憲法を変えてしまったら、再び「戦争の惨禍」「原爆の悲劇」を
繰り返さない限り、元には戻らないだろう、とK弁護士は語りました。何百万
(アジア全体を考えれば何千万)人もの犠牲を無にして同じ轍を踏む愚を、
決して許してはなりません。
この「剣を取る者は皆、剣で滅びる」は、沖縄・伊江島で平和運動を続けた
故 阿波根昌鴻氏が掲げた言葉でもあります。阿波根氏はクリスチャンでは
ありませんが、米国人には米国人のように接しようと聖書を読む中で、この
言葉に感銘を受け、それに「命どぅ宝」の思いを込めて訴え続けました。
クリスチャンの独りよがりではなく、普遍性を持ったメッセージを持つ言葉だ
と信じます。

講演後、1つだけ質問をしました。この手の話をすると必ず返ってくる、
「理屈は分かるが、それは日本国内しか通用しない論理で、米国が世界を
支配しているのだから、節を曲げてもそれに従うしかないのでは?」という
主張に、どう対応すればいいのですか?と。
それに対するK弁護士の回答は明快でした。
とにかく運動をすること。大きな集会や、例えば先日の岩国の住民投票の
ように、目に見える形で民意が表わされることを、政治家は(そして米国も)
最も恐れている。国民が憲法を正しく理解できるような運動を続けることで、
改憲の動きを押し返していくことだ、と。
これは決して楽観論ではありません。現場の最前線にいるK弁護士だから
こそ言える言葉であって、私も現場に出て行く(と言うと語弊があるかな?
別に日常と切り離されたものではないのですが)ことで、本当に共感・共有
できる重い言葉だと思います。
日和ってるつもりは無いんだけど、知らず知らずに生活保守主義に陥って
しまっている私にとって、いい刺激を与えてもらいました。

メディアとどう向き合うか その3

2006年06月16日 23時55分49秒 | 時事・社会
大学に入って一人暮らしを始めて、念願が叶ったことの1つが、朝日新聞の
購読でした。その頃は、昭和天皇の「癌スクープ」や、珊瑚落書き捏造など
もありましたが、それでも朝日といえば「反権力」のシンボルというイメージ
はまだ健在でしたし、読者はそういう朝日を期待し、支持していますから、
私もその輪に加わりたかったのです。
当時、広島には朝日の印刷所が無く、大阪から来ていました。なので地域
欄以外は大阪版と同じ記事で、映画ガイドすら載っていませんでした。
輸送の関係上、締め切りも早く、一日遅れの記事や全く載らないケースも
あり、テレビが無かった頃は歯がゆい思いをしました。特にプロ野球の結果
が、試合が少しでも延びると途中までしか載らないのが悲しかったです。
そんなこんなで、折角読み始めた朝日新聞にもがっかりさせられていたの
ですが、追い討ちをかけたのが、当時大詰めを迎えていた、PKO法を巡る
攻防の報道です。
カンボジアの歴史と米国・日本の関わり、UNTACの性格などを考えると、
「カンボジアのことはカンボジア人自身が決めるべき」という当たり前のこと
を阻害するような行為はすべきでない、と私は考えていましたが、朝日は
推進派の「国際貢献」論の土俵に乗ってしまったために、「自衛隊派遣こそ
もっとも効果的な貢献であり、世界の常識でもある」という推進派の主張を
打ち崩すことができませんでした。「日本は何もしないことこそ、カンボジア
人にとって真の貢献だ」という私の友人の投書も、見事ボツになりました。
この時に私は、メディアの限界を悟りました。(本多勝一の著書を読むと、
それよりずっと以前から、朝日の体質は変わっていたようですが。)
それでも「他よりはまだましかな」としばらく読み続けていましたが、'94年
に「政治改革」と称して小選挙区制が導入された際に、朝日も長年の主張
を何の断わりも無しに放棄して小選挙区制導入賛成に転じたのを見た時、
読むのをやめました。
とはいえ、一人暮らしの学生には新聞無しの生活は辛いものがあるので、
地元の中国新聞を取ることにしました。取ってみて、中国新聞の原爆報道
が質・量ともに他を圧倒していることを知りました。全体的にはむしろ保守
的(少なくとも朝日よりはそう見えた)ですが、その一点だけでも読む価値
はある、と私には思えました。それと、地方紙は地元情報が充実していま
す。たとえ記事が、ある事実を充分に(時には全く)伝えていないとしても、
例えばイベント情報で紹介されてるのを見て参加した集会で、その真実が
語られる、というケースだってあるわけです。
「新聞はどうでもいいことだけを載せて、本当に必要なことは書かない」と
いう指摘(例えば「報道写真家から」のこの記事この記事を参照)もあり
ますが、「どうでもいいこと」の中に、真実にたどり着くヒントやきっかけが
隠れていることだってあるわけです。(そうでなくても、「どうでもいいこと」
も、豊かな人生を送るのには役立つかも知れませんし。)書かれたことを
鵜呑みにして、それだけが全てだと思い込んでしまってはいけませんが、
(今の新聞が、そう思わせるだけの「権威」を持っていることの弊害は、私
も認めますが)、そこをわきまえた上で利用するなら、毎月の購読料も
決して高いとは思わないのですが。少なくとも、NHKの受信料よりは。

メディアとどう向き合うか その2

2006年06月15日 19時19分01秒 | 時事・社会
映画『初恋』の中で、機動隊がデモ隊に襲いかかる場面かありました。その場
に出くわしたヤスが「やれやれー」とけしかけていると、機動隊員が彼も警棒で
殴り倒して、下半身不随となる重傷を負わせ、助けようとした亮やテツ、タケシ、
一緒にいたユカも巻き込まれて負傷するその場面は、岸に三億円強奪計画の
実行を決意させる、この映画の中では大変重要な出来事です。
原作をまだ読んでない私は、この映画にこんな場面が出てくるとは予想もして
いませんでした。文化庁もよくこの映画を支援しましたね。縦割り行政の賜物
でしょうか。
私の父も、'69年に佐世保にエンタープライズが初寄港した時に、やじ馬で見物
に行ったら機動隊員に蹴られまくって、脚が腫れあがるという目にあいました。
でも、この映画を見るであろう若い人たちの多くは、そうした歴史は知らないで
しょうし、警察がそんな酷いことをするなんて思ってもみないかも知れませんね。
そういう人たちにぜひ、劇場に足を運んでもらいたいものです。
'60年安保の時は、テレビカメラがデモ隊の後方から、制圧する機動隊を写した
ため、権力の暴力に怒った市民が更にデモに加わる、という連鎖が起きました。
それに懲りた権力は、'70年安保の時には、テレビカメラを機動隊の側に引き入
れ、デモ隊の「暴力」を写させました。「過激派」というレッテルもこの時に貼られ
ました。これによって大衆の支持を失った運動は、分裂・先鋭化の負の連鎖に
陥り、連合赤軍事件でとどめを刺されました。
米国が、メディアの告発と、それによる反戦運動の高まりによって、ベトナムで
敗北したのと同じ頃に、日本のメディアは権力と一体化していたわけです。或い
は、「湾岸戦争」以降の米国のメディア操作も、日本の先例がヒントになったの
かも知れません。
私がこの、安保報道による世論操作の事実を知ったのは、大学生の時でした。
学園紛争ははるか昔、「しらけ世代」も「新人類」もとうに過ぎ去り、バブルもはじ
けた'90年代のことですが、メディアを取り巻く状況は変わらないどころか、むしろ
悪くなっているように感じました。そのことについては、また明日。とにかく、報道
というものが、どういうスタンスで、何をどう伝えるかによって、かくも変わるものか
と愕然とさせられました。だから、受け取り方が問われるのです。


メディアとどう向き合うか その1

2006年06月14日 17時42分10秒 | 時事・社会
昨日の朝刊は、一面の大半がサッカー ワールドカップの対オーストラリア
戦の結果記事でした。スポーツ紙じゃあるまいし、他にも大事なニュースが
いっぱいあるのに。そんなことだから、ネットかぶれの人たちだけじゃなく、
心ある人たちからも「新聞なんてもういらない」という声が上がるのに。
一日経つと、それなりに冷静な分析も載るようになりました。私は中継も
ニュース映像も見てないけど、伝え聞く限りでは、両監督の力量の差、とり
わけジーコ監督の選手交代の拙さが勝敗を分けたようですね。でも、その
程度のことは、わざわざ新聞が一日遅れで紙面を割くまでも無いでしょう。
試合分析ではなくもっと根本的、構造的な問題を掘り下げるのが、新聞の
役割ではないでしょうか。
別に私は、新聞は「ヘッドライン配信」的なものから手を引け、と言うつもり
はありません。ネット上ではそういう主張がまかり通ってますが、それは
ネットユーザーだから言えること。情報弱者にとっては新聞が貴重な(人に
よっては唯一の)情報源だったりするわけです。ネットで情報収集するには
ダイヤルアップ従量制だと辛いものがありますが、ADSLが使えない地域
って意外とあります。パソコンだって安いものじゃありません。そういえば、
マイクロソフトがWin98とMeのサポートをついに打ち切ったそうですね。現在
発売されてるXPも2年後には終了予定とのこと。もちろんPCそのものは、
壊れない限り使えますが、貧乏な素人は手が出せなくなるかも知れません。
ネットも携帯も無かった頃(といっても、ほんの10年ほど前の話ですが)、私
はラジオだけの生活を送ったことがあります。テレビは無かったら無いで困り
はしませんが、ラジオは情報の絶対量が少ない上、聞き逃したら終わりなの
で、活字メディアは必要だと痛感しました。
今の新聞が、本当に必要な情報を正しく伝えているか?という問題はありま
すし、資本の論理や政治の支配によって、もはや公正な「報道」は期待でき
ない、という指摘にも同意しますが、それでも利用価値はあるし、少しでも
世のためになるよう、変えていく努力も必要だと思います。「ネットの可能性」
なんて言われますが、既存メディアに変わるものを新たに作るのも、容易な
ことではないですから。

私はサッカーには興味無いし、何度か書いた通りナショナルチームが嫌い
なので、ワールドカップもどうでもいいのですが、私がこのブログに何か書く
と逆のことがよく起こるので、「日本代表ファン」(サッカーファンではない)の
ために書いてあげようかと思います。専門家でもファンでもない素人の予想
ですが、私は日本は3戦全敗で一次リーグ敗退すると予想しました。人間の
やることに絶対はありませんから、番狂わせが無いわけじゃないにしても、
冷静に分析すれば日本が不利であることは明らかでしょう。もちろん、本当
の通・ファンなら巧い選手や強いチームのファンでなければならない、という
ことはないし、個人的なひいきはありでしょうが。
でも少なくともメディアは、判で押したような「ニッポンガンバレ」の翼賛報道
だけではなく、素人には分からない情報や見方を(シビアなものも含めて)
提供することも大事な役割である筈です。
どんな理由であれ、それを放棄して一部の都合の良い情報しか流さない
なら、カルト集団や独裁国家と変わりありません。

初恋

2006年06月13日 05時52分04秒 | 映画・ドラマ
収入が少ない時に限って予定外の支出が増える、という法則があるのか
どうか知りませんが、今月は家計が相当厳しいです。
おかげで、10日のライブは見送りとなりました。(TT)
で、気晴らしに映画を観てきました。10日公開の『初恋』です。
3億円事件の新解釈、という物語にも多少興味を覚えましたが、それより
主題歌の「青のレクイエム」(元ちとせ)を劇場で聴きたいという気持ちの
ほうが強かったです。GAGA USENが配給ということで、Gyaoでスポットを
繰り返し流してたんですよね。それでこの曲が気に入って、CDも買いたい
と思ったわけで。といっても、私は洗脳されやすい人間じゃありませんよ。
たまたま、元から好きな元ちとせだったからです。

作品自体は、ごく平凡なドラマといった感じです。新鮮味を期待したら、
がっかりするかも知れません。でも'60年代のテイストはそれなりに味わえ
ると思います。展開もスローで、肩が凝らない観やすい作品です。後半は
人によってはだるさを覚えるかも知れませんが、114分を長いと感じさせな
い内容でした。
宮崎あおいって、初めてまともに見ましたが、なかなかいい女優ですね。
天才と呼ぶにはまだ若いですが、ほとんどずっと画面に映り続けていても
安心して観ていられました。あれでまだ20歳(撮影当時は19歳)ですから、
今後が楽しみです。

気になった点。
①1969年の東大入試は、中止になった筈では?
 みすずは、東大を目指せるほど勉強熱心で頭よさそうにも見えないし。
②みすずが岸を待ち続ける場面は、単調過ぎ。みすずの気持ちさえ伝わ
 れば、観客までじらす必要は無いのでは。
③最後の種明かしは、ベタで、いまいち感動できません。
④エンドロールの前に、写真と一緒に登場人物の「その後」がテロップで
 出ますが、それを見ると彼らが「実在の人物」のような錯覚を覚えます。
 あ、パンフによると、確かに全員、実在のモデルはいるみたいですが。

この作品を見て「3億円事件の真相はこうだったんだ」と信じる人は多分
いないでしょうが、細かい部分ではだまされそうになりました。きっと『ダ・
ヴィンチ・コード』もそうなんでしょうね。クリスチャンとして、一度きちんと
検証しなくては。

まあ、好みが分かれそうな作品なので、お勧めはしませんが、興味の
ある方はどうぞ。
ちなみに私は、「男はずるい」と思いながら見てました。ってことは、女性
向きなのかな?スタッフにも女性が多いみたいだし。

それにしても、あんなにおっぱいが出てても、PG-12指定にはならないの?

揺れました

2006年06月12日 12時40分12秒 | 日記、雑感
今朝5時過ぎに、地震で目が覚めました。
小さな揺れが5秒くらい続いたあと、大きな縦揺れが3秒ほどあって、
しばらく余韻が残ってました。
縦揺れが来た時には、やはりビクッとして、慌てて娘の上にかぶさり
ましたが、最初の横揺れが長かったので、震源は遠い筈だとすぐに
冷静になれて、揺れが収まるのを待ってからテレビを付けました。
広島市は震度4。芸予地震以来の大きな揺れでした。地震が多い
地域ではこの程度は珍しくないのかも知れませんが、慣れてないと
やはり怖いです。
遠くの割に揺れが激しく、阪神大震災の時に似ていたので、もしか
して南海地震?と心配しましたが、震源地は大分県中部だそうで。
震源の深さが146キロと深かったのもありますが、大分県内よりも
愛媛や広島のほうが揺れが激しかったのは、地球が丸く、地質も
均一でないことの証明ですね。昔学校で習ったことを思い出して、
ちょっぴり懐かしい気分です。
今朝の時点で8人が怪我をしているようです。建物の被害などは
まだ入ってませんが、通勤時間帯にJR各線が運転見合わせや
徐行運転するなど、影響も大きかったようです。
震度5弱の呉は、芸予地震の際にも被害を受け、その後大雨や
台風による二次災害も発生していて、今も所々に爪痕が残って
います。今回も今後が心配です。

うさぎ! その3

2006年06月11日 04時54分29秒 | 趣味
ついつい後回しにして、気がついたら1ヵ月半も放ったらかしに
してしまっていた『子どもと昔話』。今朝やっと、「うさぎ!」の
第3話を読みました。
今回のキーワードは「親切」と「自己責任」。小沢くんに対する
世間一般のイメージは「わがままな変人」かも知れませんが、
こういう文章を読むと、彼の持つ優しさがストレートに伝わって
きます。他者の痛みを「自分のおなかの中の痛みとして感じ
る」という表現、これは聖書の中でもイエスが「深く憐れんだ」
場面で使われる言葉ですが、小沢くんの知性と感性がこの
言葉によく表われています。彼の語る世界観は、一見ガイア
的思想にも思えるのですが、「痛み」(「改革の痛み」といった
経済的なことだけでなく、もっと深いもの)に重点が置かれて
いて、その痛みを共に担い、支えあうという、「十字架の神学」
にも通じる内容です。
「給仕さん」を通して語られるダーウィン進化論の解釈も非常に
面白かったです。こうやって私たちの「常識」をひっくり返すの
が、小沢くん好きなんだろうな。
今回、うさぎくんときららちゃんは、最後に少し顔を出すだけ
です。「自然を謳う商品には、それを製造するために破壊され
たものの名前が付いている」といううさぎのセリフにはニヤリ
とさせられますが、ちょっと寂しい。次回の活躍に期待します。

ところで、今号ではこの小沢くんの小説よりも、彼の父である
編集長・俊夫氏の靖国論(「日本を見つめる」)のほうが読み
ごたえがありました。文学にも小沢くんにも興味の無い方でも、
これはぜひ読んでほしいです。