Naked Heart

その時々の関心事をざっくばらんに語ります

剣を取る者は

2006年06月17日 23時58分43秒 | 時事・社会
私の所属教会が主催する、年に一度の講演会。
今年は、愛媛玉串料訴訟の原告弁護団の一人でもあったK弁護士を講師に
迎えて行なわれました。K弁護士は現在、小泉首相靖国参拝違憲四国訴訟
の原告弁護団長も務めています。ちなみに愛媛玉串料訴訟には、K弁護士と
同じ教会のメンバーでKGKのOBでもあるF弁護士も、復代理人弁護士として
関わっていました。面識はありませんが、こちらで勝手に近しく思っていて、
同じバプテストの群れにそのような働きをされる方がいることを誇りに思って
いましたので、今回お会いできてとても嬉しかったです。

靖国神社国営化反対運動から政教分離の問題に関わるようになったという
K弁護士は、戦時下の宗教弾圧で投獄され失明したという牧師(奥様が手を
引いて集会に参加していた)との出会いによって、信教の自由は命をかけて
も守らねばならないと決意されました。
戦中生まれで、私の父よりも年上のK弁護士ですが、今なお熱く燃えて走り
続けておられる姿や言葉に、背筋が正される思いがします。

今日の講演では憲法について、時間を割いて分かりやすく説いてくれました。
様々な事情・思惑が絡み合って、敗戦直後の短期間に作られた現憲法です
が、それ故に類まれな「平和憲法」となったことを「神の賜物」と言われたの
に、妙に納得しました。というのも、私たちクリスチャンにとって、聖書こそ神
からの「押し付け」にほかならないからです。その聖書を「神のことば」として
受け入れ、信じているクリスチャンこそ、「押し付け」憲法を主体的に受け入
れ、守り抜くことができるのではないか、と思いました。

今回の演題は「剣を取る者は皆、剣で滅びる」でした。K弁護士も喝破して
いましたが、靖国問題も「愛国心」も、結局は日本を「戦争のできる国」にする
ことが目的にほかなりません。憲法改正の目指すところも同じです。
しかし、一寸考えれば分かりますが、日本は軍事力は持っていても、戦争を
遂行するだけの国力がありません。もし戦争になれば、国民を待っているの
は「恐怖と欠乏」です。
そして、一度憲法を変えてしまったら、再び「戦争の惨禍」「原爆の悲劇」を
繰り返さない限り、元には戻らないだろう、とK弁護士は語りました。何百万
(アジア全体を考えれば何千万)人もの犠牲を無にして同じ轍を踏む愚を、
決して許してはなりません。
この「剣を取る者は皆、剣で滅びる」は、沖縄・伊江島で平和運動を続けた
故 阿波根昌鴻氏が掲げた言葉でもあります。阿波根氏はクリスチャンでは
ありませんが、米国人には米国人のように接しようと聖書を読む中で、この
言葉に感銘を受け、それに「命どぅ宝」の思いを込めて訴え続けました。
クリスチャンの独りよがりではなく、普遍性を持ったメッセージを持つ言葉だ
と信じます。

講演後、1つだけ質問をしました。この手の話をすると必ず返ってくる、
「理屈は分かるが、それは日本国内しか通用しない論理で、米国が世界を
支配しているのだから、節を曲げてもそれに従うしかないのでは?」という
主張に、どう対応すればいいのですか?と。
それに対するK弁護士の回答は明快でした。
とにかく運動をすること。大きな集会や、例えば先日の岩国の住民投票の
ように、目に見える形で民意が表わされることを、政治家は(そして米国も)
最も恐れている。国民が憲法を正しく理解できるような運動を続けることで、
改憲の動きを押し返していくことだ、と。
これは決して楽観論ではありません。現場の最前線にいるK弁護士だから
こそ言える言葉であって、私も現場に出て行く(と言うと語弊があるかな?
別に日常と切り離されたものではないのですが)ことで、本当に共感・共有
できる重い言葉だと思います。
日和ってるつもりは無いんだけど、知らず知らずに生活保守主義に陥って
しまっている私にとって、いい刺激を与えてもらいました。