Naked Heart

その時々の関心事をざっくばらんに語ります

メディアとどう向き合うか その1

2006年06月14日 17時42分10秒 | 時事・社会
昨日の朝刊は、一面の大半がサッカー ワールドカップの対オーストラリア
戦の結果記事でした。スポーツ紙じゃあるまいし、他にも大事なニュースが
いっぱいあるのに。そんなことだから、ネットかぶれの人たちだけじゃなく、
心ある人たちからも「新聞なんてもういらない」という声が上がるのに。
一日経つと、それなりに冷静な分析も載るようになりました。私は中継も
ニュース映像も見てないけど、伝え聞く限りでは、両監督の力量の差、とり
わけジーコ監督の選手交代の拙さが勝敗を分けたようですね。でも、その
程度のことは、わざわざ新聞が一日遅れで紙面を割くまでも無いでしょう。
試合分析ではなくもっと根本的、構造的な問題を掘り下げるのが、新聞の
役割ではないでしょうか。
別に私は、新聞は「ヘッドライン配信」的なものから手を引け、と言うつもり
はありません。ネット上ではそういう主張がまかり通ってますが、それは
ネットユーザーだから言えること。情報弱者にとっては新聞が貴重な(人に
よっては唯一の)情報源だったりするわけです。ネットで情報収集するには
ダイヤルアップ従量制だと辛いものがありますが、ADSLが使えない地域
って意外とあります。パソコンだって安いものじゃありません。そういえば、
マイクロソフトがWin98とMeのサポートをついに打ち切ったそうですね。現在
発売されてるXPも2年後には終了予定とのこと。もちろんPCそのものは、
壊れない限り使えますが、貧乏な素人は手が出せなくなるかも知れません。
ネットも携帯も無かった頃(といっても、ほんの10年ほど前の話ですが)、私
はラジオだけの生活を送ったことがあります。テレビは無かったら無いで困り
はしませんが、ラジオは情報の絶対量が少ない上、聞き逃したら終わりなの
で、活字メディアは必要だと痛感しました。
今の新聞が、本当に必要な情報を正しく伝えているか?という問題はありま
すし、資本の論理や政治の支配によって、もはや公正な「報道」は期待でき
ない、という指摘にも同意しますが、それでも利用価値はあるし、少しでも
世のためになるよう、変えていく努力も必要だと思います。「ネットの可能性」
なんて言われますが、既存メディアに変わるものを新たに作るのも、容易な
ことではないですから。

私はサッカーには興味無いし、何度か書いた通りナショナルチームが嫌い
なので、ワールドカップもどうでもいいのですが、私がこのブログに何か書く
と逆のことがよく起こるので、「日本代表ファン」(サッカーファンではない)の
ために書いてあげようかと思います。専門家でもファンでもない素人の予想
ですが、私は日本は3戦全敗で一次リーグ敗退すると予想しました。人間の
やることに絶対はありませんから、番狂わせが無いわけじゃないにしても、
冷静に分析すれば日本が不利であることは明らかでしょう。もちろん、本当
の通・ファンなら巧い選手や強いチームのファンでなければならない、という
ことはないし、個人的なひいきはありでしょうが。
でも少なくともメディアは、判で押したような「ニッポンガンバレ」の翼賛報道
だけではなく、素人には分からない情報や見方を(シビアなものも含めて)
提供することも大事な役割である筈です。
どんな理由であれ、それを放棄して一部の都合の良い情報しか流さない
なら、カルト集団や独裁国家と変わりありません。