Naked Heart

その時々の関心事をざっくばらんに語ります

メディアとどう向き合うか その3

2006年06月16日 23時55分49秒 | 時事・社会
大学に入って一人暮らしを始めて、念願が叶ったことの1つが、朝日新聞の
購読でした。その頃は、昭和天皇の「癌スクープ」や、珊瑚落書き捏造など
もありましたが、それでも朝日といえば「反権力」のシンボルというイメージ
はまだ健在でしたし、読者はそういう朝日を期待し、支持していますから、
私もその輪に加わりたかったのです。
当時、広島には朝日の印刷所が無く、大阪から来ていました。なので地域
欄以外は大阪版と同じ記事で、映画ガイドすら載っていませんでした。
輸送の関係上、締め切りも早く、一日遅れの記事や全く載らないケースも
あり、テレビが無かった頃は歯がゆい思いをしました。特にプロ野球の結果
が、試合が少しでも延びると途中までしか載らないのが悲しかったです。
そんなこんなで、折角読み始めた朝日新聞にもがっかりさせられていたの
ですが、追い討ちをかけたのが、当時大詰めを迎えていた、PKO法を巡る
攻防の報道です。
カンボジアの歴史と米国・日本の関わり、UNTACの性格などを考えると、
「カンボジアのことはカンボジア人自身が決めるべき」という当たり前のこと
を阻害するような行為はすべきでない、と私は考えていましたが、朝日は
推進派の「国際貢献」論の土俵に乗ってしまったために、「自衛隊派遣こそ
もっとも効果的な貢献であり、世界の常識でもある」という推進派の主張を
打ち崩すことができませんでした。「日本は何もしないことこそ、カンボジア
人にとって真の貢献だ」という私の友人の投書も、見事ボツになりました。
この時に私は、メディアの限界を悟りました。(本多勝一の著書を読むと、
それよりずっと以前から、朝日の体質は変わっていたようですが。)
それでも「他よりはまだましかな」としばらく読み続けていましたが、'94年
に「政治改革」と称して小選挙区制が導入された際に、朝日も長年の主張
を何の断わりも無しに放棄して小選挙区制導入賛成に転じたのを見た時、
読むのをやめました。
とはいえ、一人暮らしの学生には新聞無しの生活は辛いものがあるので、
地元の中国新聞を取ることにしました。取ってみて、中国新聞の原爆報道
が質・量ともに他を圧倒していることを知りました。全体的にはむしろ保守
的(少なくとも朝日よりはそう見えた)ですが、その一点だけでも読む価値
はある、と私には思えました。それと、地方紙は地元情報が充実していま
す。たとえ記事が、ある事実を充分に(時には全く)伝えていないとしても、
例えばイベント情報で紹介されてるのを見て参加した集会で、その真実が
語られる、というケースだってあるわけです。
「新聞はどうでもいいことだけを載せて、本当に必要なことは書かない」と
いう指摘(例えば「報道写真家から」のこの記事この記事を参照)もあり
ますが、「どうでもいいこと」の中に、真実にたどり着くヒントやきっかけが
隠れていることだってあるわけです。(そうでなくても、「どうでもいいこと」
も、豊かな人生を送るのには役立つかも知れませんし。)書かれたことを
鵜呑みにして、それだけが全てだと思い込んでしまってはいけませんが、
(今の新聞が、そう思わせるだけの「権威」を持っていることの弊害は、私
も認めますが)、そこをわきまえた上で利用するなら、毎月の購読料も
決して高いとは思わないのですが。少なくとも、NHKの受信料よりは。