Naked Heart

その時々の関心事をざっくばらんに語ります

祈祷会

2006年06月29日 22時39分18秒 | キリスト教
昨夜は、約半年ぶりに教会の祈祷会に出ました。
祈祷会は、大抵のプロテスタント教会で、水曜日に(稀に木曜日の
所もありますが)行われている、文字通りみんなで一緒にお祈りを
する集会です。
聖書の学びの時間を一緒に設けている教会が多いですが、基本的
には「クリスチャンのためのプログラム」です。「教会員のため」と
言ってもいいかも知れません。
水曜日というのに聖書的根拠は多分無いと思います。週の真ん中
だから、或いは、大抵の教会の牧師が月曜日が休みで、火曜日に
準備をするから、といったところでしょうか。
出席者は、主婦や、退職された年配の方が多いです。教会の役員
であったり、婦人会で活躍されている方々が主です。なので、次の
日曜日の準備や打ち合わせといった色彩も帯びています。

私が初めて祈祷会に出たのは、大学1年の時でした。教会の牧師
が辞任して無牧となり、祈祷会を担当することになった姉妹(教会
ではクリスチャンは「神の家族」だとして、互いに「兄弟」「姉妹」と
呼びます。)から強く誘われたのがきっかけでした。
祈るのも人と話すのも苦手な私ですが、いい訓練かな、と思って
出てみました。
祈祷会では、教会のため、教会員のための祈りが多く捧げられま
す。祈祷会に出ることで、教会のことや普段あまり話さない教会員
のことも、知ることができました。
今の牧師が来てからは、聖書の学びで、教会学校で採り上げる
箇所の予習をしてくれるので、大変助かりました。
そして何より、一緒に祈ることで、教会の働きに参加していると
実感できたことが嬉しかったです。

一人で隠れて祈るのもいいですが、教会は何のためにあるかと
いうと、助け合うため、励まし合うためです。祈りは神へのお願い
だけでなく、神からの語り掛けを聞く時でもあり、神への賛美でも
あります。だから、プライベートな祈りもあるでしょうが、皆で祈る
祈りもあるのです。
毎週礼拝に集うのと同じです。
そして、教会の祈祷会は、牧師を支えるためのものでもあります。
牧師の働きや教会の業は、教会員の祈り無くしては成り立ちま
せん。神を信じ、祈りの力を信じるなら、皆で一緒に心を合わせて
祈るべきです。たとえ集えなくても、その時を覚えて祈りを捧げる
べきです。だから教会では、毎週決まった時間に祈祷会が持たれ
るのです。

残念ながら私は、結婚してからはほとんど出席できていません。
新婚当初は伴侶の帰りが遅かったので放っては出れなかったし、
その後私も夜働きに出たり、娘が生まれたりで、出れずじまい。
まあ、大抵の人が通る道なんでしょうけど。
娘がもう少し大きくなって、お祈りも夜更かしもできるようになった
ら、家族で行きたいな、と願っています。