皆さんおはようございます。
三徳山は、曇っています。
気をつけておいで下さい。
今日は、倉吉市桜の大日寺の施餓鬼法要です。
たくさんのお檀家の皆様が参列されます。
各家の先祖代々の供養をしてきます。
さて、今日は、「倉吉市観光協会」の投稿をご紹介します。
【大坂淀屋と倉吉淀屋】
関西在住の方なら誰でも耳にした事のある地名「淀屋橋」。
大阪市中央区の御堂筋に掛かる淀屋橋のたもとに、ある石碑が建っているのをご存知でしょうか?
江戸時代に大阪を天下の台所と言われる商都に発展させた豪商「大坂淀屋」の屋敷跡に建てられた石碑です。
大坂淀屋の創業者、淀屋常安は中之島を開拓して日本中の米や品物が取引できるよう整備するなど様々な事業を手掛け莫大な財産を築きました。
西国の大名に貸金をするなど、現在の金額で100兆円近い資産があったとされています。
武家社会にも影響を及ぼすほど力のあった大坂淀屋を恐れた幕府が、
5代目淀屋廣當の時にぜいたくの罪で闕所(財産没収)処分としましたが、
それを予想していた4代目淀屋重當が当時の番頭、牧田仁右衛門を彼の出身地であった現在の倉吉市に帰し、
暖簾分けをした店を開かせて大坂淀屋再建の準備の為に屋号を隠し商売を続け、
のちの世代で再び悲願の大坂淀屋再建を果たしたという話が残されています。
この倉吉に暖簾分けした店は「倉吉淀屋」と言われ、今でも倉吉市の白壁土蔵群の西側で当時の姿に近い姿に復元され見学をする事も出来ます。
後に大坂淀屋と倉吉淀屋は安政6年(1859年)突如閉鎖しこの世から姿を消しました。
その残された財産の行方は分からず今でも歴史の謎として諸説語られています。
淀屋が掛けた橋「淀屋橋」と大坂淀屋再建の鍵となった「倉吉淀屋」を訪れて、
大阪と倉吉を結ぶ歴史ミステリーにあなたも触れてみませんか。
歴史を知って、ぶらぶらと歩くと新たな発見があるかもしれません。
では、明日も、あなたにとって良い日でありますように。
ツイテル。ツイテル。
ありがとう。感謝。感謝。