じいちゃんのつぶやき

生涯学習のつもりでブログを始めました

「障害者虐待防止法」成立 市町村は被害者保護の責任者に

2011-06-29 21:53:43 | 日記


障害者を虐待しているのはいったい誰でしょうか。
障害者を養護する親や家族、障害者福祉従事者、障害者を使用する事業者など
養護者として接する人が加える虐待が多いとされています。

虐待を訴える力が弱いことをいいことにして、接遇をいい加減にする関係者が
加害者になっている場合が多い。新聞などで報道される多くは
このケースです。

ほかにも、学校、医療機関、保育所、官公署における加害もありますから、
今国会で議員立法で通過した「障害者虐待防止法」は、虐待防止体制の在り方
ならびに障害者の安全確認または安全の確保を実効的に行うための方策を講ずる
としています。

障害者を直接訪問して相談などを行う体制の充実強化と虐待防止、
虐待を受けた障害者の保護および自立支援、
養護者に対する支援などの制度と法律の3年目途の整備

など、6年前に立法化された「児童虐待防止法」がその実を挙げ得ないでいる
反省にたって、障害者の虐待防止問題は、県・市町村の責任で対処すると
しています。

この法は今年の10月から施行されます。私たちの住んでいる町役場の福祉課に
それらしい名前の「通報センター」が出来ます。

障害者、児童、老齢者の虐待問題は日本社会の「障壁」だといわれないように、
私たちは行政と手を組んで対処したいものです。

それにしても漢字が多い文章になりました。福祉機関では障害者の呼び名を
「障がい者」としているところがあります。
また「障害者自立支援法」が障害者の意見抜きで施行されていることに
声をあげるひともいます。いずれにしても障害者の人権問題として
討議を重ねることが必要となるでしょう。


麦秋の平野 郊外電車で先生・友人宅へ

2011-06-17 11:44:59 | 日記




6月14日、郊外電車に乗り、麦わら焼に煙る筑後平野を旅行した。
ようやく出来上がった自家製の和綴じ本『立花宗茂の時代を寸描』を
紙袋に入れて、高校時代の恩師と友人宅をおとずれた。

謹呈した歴史本を珍らしいと皆さんは喜んでくださった。私にとっては
時間ばかりかかった難産の和子のような愛ごい作品なだけに嬉しい。

孫に読んでもらおうと思いたって、歴史の勉強に集中したが、こうして
本にできたことがとてもうれしい。

歴史勉強は歴史書と時代小説、それに歴史データベース、歴史ウェブサイトに
依った。インターネット時代の恩恵に浴して、勉強が出来たのはありがたかった。

立花宗茂の小伝記ともいえる原稿が出来るにつれて、私は宗茂の人物に魅力を
感じるようになった。取材中に高校の友人が、宗茂を助けた大庄屋の末裔と
わかり、宗茂の総括を変えるという面白い経験もした。原稿修正は長々と続いて
なかなか終わらなかった。

製本をパソコンに頼ることには限度があるので
抄録を私のあたらしいホームページ「島六の書棚」に掲載することにした。
宗茂に興味のある方はご一覧いただきたい。

郊外電車での帰り道、重すぎる古書で紙袋が破れたので、往生していたところ
妙齢の昔お嬢様が突然、ビニール袋を差し出してくださった。
ブリキの兵隊人形のような、どこかおかしい洒落めかした爺様。この爺様が
車両に乗り込んできて、困った様子を見せているのを見ていたご婦人は
車輛の向こうの方から飛んできてくれていた。

ありがたかった。感謝の気持ちで、カバンのなかにある
和菓子を二袋を差し上げた。「旅は道連れ世は情け」。
和を尊ぶ宗茂公は「それでよし」といってくれるだろう。

「島六の書棚へようこそ」


社会福祉協議会の職員さんから感謝文をもらう

2011-06-12 22:36:44 | 日記


ある市の社会福祉協議会の職員さんから純米吟醸酒ビンに添えて
可愛い感謝文をもらった。送り状のような、メモのような手書きの文が
心のこもった親愛の気持ちを滲ませるものだった。

お酒も美味で晩酌においしく頂戴したのだが、メモが一段と味を引き立てて
くれた。平成13年から今年23年5月まで、私は協会の理事として、そして監事として
社会福祉協議会の運営に携わってきた。このたび監事の任期を満了して辞任した
ところである。

人口およそ10万人の○○市の(社会福祉法人)市社会福祉協議会は
31事業を展開しているので、職員の活動によるところが大である。事業の
運営は管理の細心さが大切である。職員と運営者は心をあわせて、運営を
継続してきた。わたしは監事の時、事務責任者と経理職員との内部統制の
バランスに留意して、事業の実情を把握することに努めた。

このようにして、職員さんとは、一緒に仕事をしている戦友のような共感を
持つことが出来た。職員さんの添え文は、そのような気持ちをあらわしていた。

若やいだ気分になった私の様子をみて、今日、家内が写真撮影してくれた。
「ブリキの兵隊人形のようだ」と家内はいった。どこか面白い雰囲気があ
るらしかった。

自家製本『立花宗茂の時代を寸描』出来ました

2011-06-06 21:12:39 | 日記


永い時間かかって書き上げた「立花宗茂の伝記」。私の想いがかなって
212ページにもなる歴史の本となりました。
歴史に興味ある人なら喜んで読んでいただけるようにと、宗茂(むねしげ)に
かかわる人物をたくさん紹介しています。
全国区の人物でもない宗茂が<小早川隆景>に引立てられて、朝鮮の役で
武将として特別な武勲を立てて立派な成人となります。

このブログの先号「唐津城天守閣で叱られる」に出てくる唐津城主
<寺沢広孝>は宗茂と肝胆相照らす親友です。制御しにくい安田國継が
心服する宗茂と広孝とはともに心根の優しい親分だということです。

安田國継は広孝に薦められて、朝鮮における宗茂の武人としてのたくましさを
書にして伝えてくれてます。戦場における立花宗茂の武将としてのすばらしさを
国継はたたえています。

関ヶ原の戦いで石田三成の西軍に属したために、柳河城を離れることになった
宗茂は、自分を知ってくれる徳川家康が徳川秀忠の側近やがては
書院番頭(将軍の親衛隊長)にとりたてるまで、5年にわたる浪々で苦しん
でいます。

将軍秀忠が最も信頼する側近となった宗茂は秀忠夫人<お江>とどんな結びつき
でNHKドラマに登場するのかが楽しみです。

『立花宗茂の時代を描写』はパソコン編集、パソコンプリンタ制作なので部数に
限りがあるため、私の新ホームページ「島六の書棚」に抄録を掲載しました。
興味がおありの方は下記 URL をクリックしてください。

「島六の書棚へようこそ」

「あまり恰好つけないで」 唐津城天守閣で叱られる

2011-06-03 00:44:14 | 日記


6月1日、梅雨の晴れ間に唐津城の観光に出かけた。唐津湾に面した美しい城である。

唐津城は豊臣秀吉の近臣<寺沢広孝>が秀吉の命により築城した。
秀吉の朝鮮侵攻の時、広孝は水軍奉行として大活躍。名護屋城築城の
功労もあって、この上松浦に領地をもらった。慶長8年に天守閣が完成したと
されるが、名護屋城の廃城の時、石垣や構築物の一部がここに移設されたという。
2009年に金箔付きの瓦が出土している。紋所は秀吉の桐であった。

私が見た天主台は江戸時代のもので、その上の天守閣はその後の模作という。
斜めに走るエレベータが石垣下部から天守台地上部に、私たちを運んくれる。
嬉しいことに、天守閣に入って念願の<安田国継>の長槍を見ることが出来た。

織田信長を本能寺に襲った明智光秀軍の中に、槍の名手安田国継がいた。
国継は織田信長に槍で初の一刺しを与えたことで有名であった。信長の小姓
<森蘭丸>から縁側下に叩き下ろされ、男の一番大事なところを傷つけられた
という。負傷にひるまず、蘭丸を討ちっとったので槍の名手の名前が
天下に響いた。

国継は風評ばかり喧伝されるのを嫌い、<天野源右衛門>と改名したが
槍名人を雇いたがる武将が引きも切らずであった。
安田國継は秀吉の甥<羽柴秀勝>、<羽柴秀長>、蘭丸の兄<森長可>そして
<蒲生氏郷>に仕えた。

ついで、名護屋城築城のために働く立花宗茂への督励の意味を込めてか
奉行<浅野長吉>が、この天野源右衛門を宗茂に推薦してきた。

槍名人は文禄の役の碧蹄館の戦いで立花軍の槍武将として大活躍する。
引き揚げてきて、何故か関白秀次に仕える。
色好みの秀次が光秀の娘貞子(織田信澄夫人)を源右衛門に要求して来た。
源右衛門は旧主明智光秀に対する恩を忘れずに、貞子を庇護していたらしい。
尻の暖まらぬ人物にもいいところがあった。秀次はこのことを秀吉に
知られて、身を滅ぼすことになったといわれる。

ところで、源右衛門の槍は槍首が細く、漆塗りの槍身も細かった。しかし長い
槍であった。名人が使う槍は実用兵器らしく地味な落ち着きを持っていた。

秀次を見限った源右衛門は、秀次が可愛がりいたぶる寵童を犯して
秀次の怒りを待った。
怒る極道のいる城中に登城して「俺を討つものはおらんのか」とほざいた。
悠々と下城した源右衛門を拾ったのは唐津城主寺沢広孝だった。
広孝は「ほざきの源右衛門」を旧友のよしみで2万石を与えて家臣とした。
慶長2年6月2日、織田信長の命日に、源右衛門は病気を苦にして自裁した。

ほざきの源右衛門の槍を鑑賞した私はすっかり嬉しくなり、天守閣の下り
階段を気分よく降りていた。
後のほうから「あまり恰好つけないで」と叱る声がした。老人会で
同じバスに乗ってきた先輩だった。私の足元は弾むような調子だったらしい。

昼ごはんは城下町の魚料理店でとったが、食卓に見たこともない大きな槍イカが
据えてあった。身に包丁の切り傷があり、大きな目の球がこちらをぎょろっと
見ていた。
隣に座った老婦人と「怖いね」と言葉をかわした。