じいちゃんのつぶやき

生涯学習のつもりでブログを始めました

裏庭の春 カササギと雀

2011-04-29 21:45:41 | 日記
youtube動画へ ←裏庭の餌場の賑いを紹介します。1分40秒の映像です。

我が家の裏庭に春がきました。今日は4月末の晴天です。朝から雀が騒がしくエサを
ねだっています。私のペット「ツグミ君」はいませんが、小鳥たちを紹介する
ことにします。

このブログで初めて、動画にリンクしてわが庭の餌場をおみせします。今朝は
高麗カラス三羽と雀たちです。2分弱の上映です。鳥の動きが面白いですね。

昨日、山で採れた筍を湯気が立っているまま植木屋さんから頂戴したので
今晩筍料理をビールでいただくことにして、汗を流しました。草むしりをして
いるところを撮影されているとは知りませんでしたが、
ブログに映像を出すと提案されて、「ああいいよ」と同意しました。

また「目立ちたがり屋」と家内から冷やかされそうです。

下の写真はヒヨドリです。今回は時間の関係で登場しませんでしたが、
いつの日かお目見えすることにします。 


マイペット ツグミ君いずこに在りや

2011-04-25 23:21:41 | 日記


わが庭は牡丹の花が咲き出した。寒い気候なのに4月末というから、やはり
花は時期を知っている。雑草の伸びも目立つので、私はせっせと除草に励んでいる。
なのに、「じいちゃん精が出るね」と手もとを覗き込みに来る<赤はら>と
<むね白>が今日も姿を見せない。

もう姿を見なくなって1ヵ月余。最初に<赤はら>が顔をみせなくなったが、
やがて<むね白>が出てこなくなった。家内は「隣の雌猫に食われたのでは?」と
心配していた。

高麗カラスと杜鳩はそれぞれ番いで餌場に来るし、ヒヨドリも元気に飛びまって
いるのに、マイペット2羽の姿がないのは、とても寂しかった。
きっと伴侶を求めてさすらいの旅に出ているのだろうと私は思っていた。

家内の友人が小鳥の観察研究に詳しいので、メールで相談したところ、2羽は
ツグミなので、涼しい気候のところに避暑しているとの説明であった。
もっと早く研究家に相談すれば、こんなに心配しなくて済んだのにと思った。

この10日ほど前から、隣の雌猫は悲鳴を上げるように切ない何かを求める
声を上げて、真っ黒な怪物と追いかけっこをしている。小鳥を狙って藪に潜む
ような状態ではない。

それにしてもツグミ君たちは食べすぎで巨腹になって、遠くに飛んで行けたのかね。
とんびとんびで何処までいったのやら。秋になったら再見できるのを待っている。
「元気でいてね」



銀幕の原節子 テレビに登場

2011-04-23 23:07:24 | 日記


最近、小津安二郎監督の映画「東京物語」(昭和28年)と成瀬巳喜男監督の
「めし」(昭和26年)とをNHKテレビで観た。 映像・音声デジタル技術の
補正を得た名画は、上映当初の雰囲気をそのまま伝えた。モノクロ映画の
素晴らしいスクリーン復活であった。

名画はフィルム銀幕の難点である音響の不具合を修正されて、現場の実音と
俳優女優の生の声が鮮やかに再生された。また、フィルムの傷は修復され、
明暗コントラストの補正で、風物と人物が鮮やかに浮かび上がっていた。

不思議なことに出演者がかなり身近に感じられるようになり、演出の監督と
カメラマンのファインダーから登場人物や風物を見るような気持ちになった。
こういうのをカメラアイというのだろうか。原節子の美しさが再び私の
目の当りにちらちらとしてきた。裏声が混じったような愛くるしい女性の
声が耳に残り、一段と彼女のフェロモンを感じた。

杉村春子の演技力のすばらしさ、東山千恵子の存在感、その他島崎雪子ら
俳優の好演が印象的だし、大泉晃や上原謙が面白い三枚目ぶりを演じていて
私の脳裏に焼付いた。

会田昌江さん、いや原節子さんはおよそ50年前に引退されてから公の場に
お出になっていないけれど、こうして銀幕で会えることはとてもうれしい。
これらの作品から、私の青春時代に見た風物と日本人の生き方を垣間見る
ことが出来てとてもよかった。

この映画を観て、監督や脚本家の制作意図がよくわかることに気づいた。
名画と評される所以がわかる。どうも私は人生行路の体験で、映画が
主張するところを理解できるようになったということであろう。
「作家の主張が理解できる年齢になった」と思いたい。




どちらが生徒か先生か

2011-04-15 22:26:57 | 日記


恩師の卒寿祝いに喜寿の生徒が先生宅にあつまった。お互いが高齢になったので
どちらが先生か生徒か、見た目では判らない。童謡「めだかの学校」の
歌詞を思い出した。

 喜寿がいう卒寿は俺かと白鬚掻く

と先生が書を書かれた。俺は幸せ者だと喜んでいただいた。私たちも
嬉しかった。

先生の受け持ちだった組の教え子が中心となって、卒寿祝賀会に先生を
ご招待することにきまっていたのだが、津波騒ぎと原発破損の国難が
起きたので、「こんな時に祝賀会でもあるまい」と先生から、辞退の
申し入れがあった。

だが、先生のお元気な姿にお会いしたい高齢の生徒が引きも切らずご自宅に
伺うということになってしまった。

1年ほど前に、このブログで先生が体力回復に努力されていることを
賞賛し記事にしたのだが、努力の甲斐あって皆がびっくりするほど
お元気な様子だった。

囲碁対局を楽しみにしていた生徒に、わざと勝を譲ずられたのか
「先生に初めて勝った」とメダカの生徒は大喜び。先生の書を強引に
もらい受けた。この幸運児め、うまいことしたな。

柳井正さん 孫正義さん あなたの信念は立派です

2011-04-08 13:59:25 | 日記



4月7日午後11時32分、宮城仙台地方に震度6強の激震が発生。牡鹿半島東沖
40キロ、3月11日の東日大震災の震源地の西側。震源は海底66キロ。
マグニチュード7.1。津波注意報と津波警報が出されたが、潮位1メートル程度
上昇。震度5と4が東北6県におよび東北全体が瞬時に停電となった。
400万余戸といわれる。4県が全戸真っ暗やみとなった。

宮城女川、新潟柏原、北海道泊原発はの緊急運転停止、東北~北海道の送信
不具合による送電不能となり、こんな大惨事になった。地上地震の範囲からみて
今度の余震が規模と震度で最も大きい。

仙台市民が「本地震のときよりも、こんどの揺れがひどかった」とテレビに
話していた。上の写真は仙台警内記者クラブの被害の様子。建物破損、
断水、断ガス、進行中列車の停止、高速自動車道の閉鎖、道路信号ストップと
被害が出た。ライフラインも破壊された。

最も恐れた原発の地震被害とくに炉心および核燃料プールの冷却装置の被害の
ことだが、福島原発、女川原発の機械破損はなくてよかった。
なお、女川原発は冷却装置の外部電源ストップにより、かろうじて1系統だけが
生きて、停電した2系統に代わるエンジン発電で冷却を続けることができた。
外部電源が止まった六ヶ所村燃料棒処理工場の注水も継続に成功したという。
危機は一応脱した。

だが、広がる放射能汚染は、農産物から海産物に及んできた。放射能汚染に
ついて、科学的かつ実際的な基準と測定ルールを政府が発表しているが
風評による消費者の不買を恐れて、食品業者・取扱業者が産品を取り扱いを
しない過剰反応があり、政府は苦悩している。

ユニクロ社長柳井正氏は「こんな時は業者が縮み上がってはいけない」と声を
挙げている。右へ倣え主義になる企業家が多い中で、氏の勇気を持とう発言は
「正しい」。彼は個人的な多額寄付と企業からも寄付をしている。

ソフトバンクの孫正義社長の100億円寄付には驚いた。ソフトバンクとしても
被災者に数々の支援をしている。あなたは「正義の味方です」。

わたしは気象庁に言いたい「気象測定のデータはすべて発表しなさい。それも
できるだけ早く公開しなさい」。放射能被害の風評が飛ぶのを恐れてか、
情報操作をしているが、これこそ政府不信、電子力行政に対する国民の不信を
まねくことになる。気象庁は日本の気象情報を外国に利用されることを
恐れているのですか。行政関係者に猛省をうながします。


下の写真は東北電力女川原子力発電所。


<追記>7日余震で東北電力東通原発・1号機は外部電源も停電した。
    だが、非常用ディーゼル発電機は3基とも動かなかった。正確にいえば
    2基は点検中で動かせず、残る1基を作動させたがエンジンに油漏れ
    があり使えなくなった。1号機は当時点検のため運転中止中であったが
    冷却循環ポンプはとめることができないので、外部電源が断たれた場合
    非常用発電機が必要であった。発電機2基を同時に点検にはいって
    使用できない状態で、もう1基が動かないでは……恐ろしい。
    幸いにも外部電源が復活して、危機を脱した。  これでは
    発電機点検システムを改めるか、または非常用電源別設備が
    必要です。
<追記>原子力安全保安院は、補助用発電機を使用できる状態にした
    2台以上を常時保持する運用規則に改めた。付け加えていえば
    発電機を使用する際の運用手順を整えるところまで指導すべきで
    ありましょう。福島原発がエンジン燃料の補給を忘れて大惨事に
    至ってしまった例もあります。

よかった、 5月場所開催決まる

2011-04-07 02:52:32 | 日記


5月場所の開催が日本相撲協会から発表された。本場所の開催について
まったく見通しが立たない中、八百長相撲の処分が19名の退職届でけりが
ついたので、急に発表ということになった。

本場所とせず技量審査場所として、無料公開するという。勝敗は正式に
記録となるが、外部からの表彰と懸賞はない。天皇杯も勿論ない。
相撲協会の優勝・三賞の表彰のみとなるらしい。だが、力士には励みとなる。
相撲ファンがまた土俵に帰ってくると嬉しいのだが。

これで事件は解決したわけではない。 谷川親方(海鵬・八角部屋)は
記者会見席上で終始八百長相撲とのかかわりを涙ながらに否定した。
退職勧告に従わなかったので馘首された。どうも対立は法廷にまで
持ち越されそうだ。
水がはいることなく険しい争いになってしまった。

私が子供のころ(昭和18年~20年頃)「お相撲さん」のブロマイドを
集めるのに夢中になったことがあった。
テレビもなくラヂオで聞くこともなかったので、ブロマイドで相撲のことを
身近に感じていたものだった。くじ引きみたいに、中身が見えない袋を買って
楽しんだ。だから、お相撲さんの写真を宝物のように大切に机の中に
しまっていた。

双葉山の写真はなかったが羽黒山、照国、鯉の里そして双葉山70連勝を
阻んだ安芸の海などの写真を持っていた。

昭和18年の初秋だったか、中国大陸の慰問巡業後、帰国途中の大相撲一行が
私の町で興行してくれた。小学生だった私はその日丸一日、相撲を楽しんだ。

一行のなかに双葉山がいた。すでに晩年に近かった双葉山ではあったが、
土俵そばに胡坐をかかされて仰ぎ見る横綱は信じがたいほど大きく、
美しい桜色の肌をしていた。面白いことに羽黒山は対照的に黒い肌をしていた。

色白できれいな体型の清水山の姿を忘れることが出来ない。
幕内の中で最も早く出てきて稽古していた。四股を踏む姿が美しかった。
玉の海関や佐賀の花の姿を思い出すことが出来なくて残念だ。
いまでも前田山、照国、名寄岩の姿を鮮明に思い浮かべることが出来る。
年少であった所為か、記憶がよく残っている。

そのときから、私はずーっと相撲ファンである。 私たちの夢を
かなえてくれる若い力士が育っていないのが残念でならない。
私たちも相撲界を正道にもどすために協力し合うことにしたい。

下の写真、当時の双葉山と太刀持ち、露払い

八百長相撲 23人角界追放 相撲協会の指導力問われる

2011-04-02 10:30:31 | 日記
写真 NHK相撲解説者
                                玉の海梅吉
野球賭博、弟子暴行死亡、横綱の暴力事件、麻薬汚染そして八百長相撲。
暴力団とのかかわりなど。角界の乱脈、汚染ぶりはとどまりそうにない。

4月1日、日本相撲協会臨時理事会は特別調査委員会が認定した八百長関与の
19人の力士を追放すると発表した。ほかに谷川親方(元小結海鵬・八角部屋)が
退職勧告された。
調査に協力し自ら関与を認めた千代白鳳(九重部屋)、恵那桜(入間川)と
竹縄親方(春日錦)ら3力士は出場停止2年とされた。3人は引退する意向なので
合わせて23人が角界を去ることになる。

また、放駒理事長は3理事(北の湖、九重、陸奥)の協会理事辞任を発表した。
ほかに、14人の師匠に降格などの処分と役員の月給自主返納2ヵ月
ならびに理事長月給30%の自主返納返を明らかにした。これでも、抜本解決には
ほど遠い。理事長の苦悩ぶりを記者会見でみても判る。

関与が疑われている小野川親方(元前頭・北桜)、蒼国来(幕内)らの調査は
継続されるといわれている。

今大阪場所の開催取りやめ中なので、協会の運営・経営を抜本的に解決する
いい機会と考えよう。理事長3代にわたり解決できなかった力士、親方の不祥事を
ふくめて、協会の管理体制を組み直しと組織の変革を文科省から
突き付けられている。

角界の病根は根深いから、生半可な改革では効果が期待できない。
腐敗の原因を追究したうえで、改革しよう。事情に詳しくない私でも
協会の金権体質、拝金主義、弟子育成不足とごっつあん体質、過剰な部屋数と
金銭で買う部屋親方株といった相撲界の不条理が判る。
日本相撲協会の指導が及ばない面があまりに多すぎる。

もし、不足する弟子を海外から補うつもりならばきちんと育成制度を整えなければ
ならない。横綱大関白鳳一人だけを続けてはいけない。角界の改革に熱心だった
玉の海梅吉(NHK解説者)が存命だったらと、ふと思った。

部屋別蒼当たり制度を実現させたり、若手力士の相撲指導に熱意を持っていた
「梅吉さん」。彼だったら、相撲解説を通して、角界の浄化に尽くして
くださるだろうと思う。

昭和10年代、立浪部屋横綱双葉山、横綱羽黒山と同年輩力士として有名を馳せた
二所ノ関部屋玉の海関。
日本相撲協会を離れてから、正しい相撲道を説いておられたテレビの解説者の
姿がなつかしい。右上手投げの怪力相撲に人気があったそうだが、私は
熱意あリ、しかも正直でユーモアたっぷりな梅吉さんを見るのが好きだった。