前稿に続いて、鰥夫になった人の話をします。
昨年、傘寿を迎えた私の恩師は今年の春に、奥様に先立たれる不幸に見舞われました。
先生は奥様よりも先に「お隠れるになる」心つもりにしておられましたから、当惑なさって
無残なしおれ方でした。
「先生、奥様と後先になってしまいましたね」と、私は残酷な言葉を先生に申し上げました。
でも、お二人が助け合って生きていこうという誓いをする場面に
出くわした私ですので、この言葉はわたしは許されると思っています。
あの時、先生は奥様に向って「面倒かけるがよろしく」と頭を下げられたのです。
奥様は余裕ある態度ともほっとする気持ちともとれる表情で「ハイ、わかりました」と
お仰せでした。奥様は、先生を最後まで面倒看るお気持ちであったと、私は推測しています。
予定どおりにならないことに戸惑いながら、先生はひっそりと奥様を見送られたのですが
日頃から奥様と関わりがあった人が大勢集まり、法事が大掛かりになってしまいました。
先生の身なりのお世話をする人がいないまま、多くの人との応接に追われながら、
茫然とした様子を私たちに見せていたのが目に残りました。
「世界一不器用な人」と奥様に酷評されていた先生は奥様に頼り切りのことが多かった
のでしょう。先生の身の回りは見事にとり散らかっていました。
先生は「身も心も茫然」という状況でした。
「新聞を読む気力がわかない、購読をやめたい」というほど落ち込んでいた先生の食事を
お世話していたのは、近くに住む高齢となったご子息です。毎日、お弁当を抱えてきて夕食を
共にしてくださるとのこと。水分はパックや缶詰で採るようにしています。
男やもめが老人砂漠地帯で二人よりそって生活している状態です。
台所を使うことが少ないので、食物の落ちこぼれがなくて、餓死したごきぶりが廊下に
ひっくり返っていたり、水分が取れないムカデが力尽きて、干からびて部屋の片隅で
死んでいたりしていました。孤独老人の最も困るところは食事問題です。
妻を偲ぶ歌を詠み、色紙を書いたりしているうちに、気力が戻ってきた先生は
「妻の代わりに5年生きてみよう」といわれました。妻を恋うる歌を詠み、新聞歌壇に
出た妻を思う歌を編纂しようと考えているとのこと。「新妻恋集」ができるといいですね。
先生の後生が見えてきたので、私は少しばかり、気持ちが落ち着いています。
お願いですから、鰥夫の不安について、前の原稿も読んでください。