


☆フリートーク
こんばんは!!
朝からTVに釘付けでしたね。私みたいにあまり野球に興味のない人間でも観てしまいました!!でも今日は薬膳のイベント出演というお約束があったので見切りをつけて出かけました。車の中でも観戦できますし・・・!!
本日のイベントには初めての参加でした。何を話そうかと迷っていたのですが皆さまの興味を引きやすい徳川家康を紐解いてきました。もちろん命理の解命はしません。中医心理学的な解釈は皆さま薬膳師さんにはとてもわかりやすいようでしたのでそんな話ばかりでした。驚くほどやりやすかったです♪ そんなわけで今日は命理のカテゴリーではないです。家康は気長だったのか?ということでちょっとだけ・・・!!
ちなみに家康さんは・・・・
1543年2月10日 寅刻
癸卯
甲寅
壬寅
壬寅
大運 癸丑 壬子 辛亥 庚戌 己酉 戊申 丁未 丙午
格 従児格 です。
初運から忌神運を行き、江戸幕府を開くのは齢は60を過ぎました。晩年こそが喜神運で花開く命運だったようです。
皆さま、ちょっと説明しますと本命は肝の気が強いことがすぐに理解できますのですぐさま、おっしゃいました。「この人、気が短いのと違いますか?それなのにホトトギスが鳴くまで待つ?おかしくないですか?」というご質問でした。確かに上記の八字では短気です。気長には見えません。
この点についていろいろと回答を下さった命理の生徒さんがいらっしゃいます。一つには魚釣りの人が気が長く見えてホントは短気が多いということです。それに似てませんか?というご意見。決してじっと待っているわけではないですね。私なども経験があるのですが釣糸を手繰ってみたり、引き具合を常に感覚でとらえようとしています。家康の八字はかなりの策士ですから策を弄しながら鳴くまで待つのがいちばんと言うことではないでしょうか!!戦をしても負け戦なのか勝ち戦なのか見極めるのための時間稼ぎです。
研究会で生徒さんのご意見がありました。三方ヶ原の戦いでひどい負け戦となり以後、家康は負け戦は絶対にしないと決めたそうです。負けるなら和睦で家臣を護るということらしいのです。三方ヶ原の戦いこそ家康の教訓となるほどの負け戦でした。家康30才のころで大接木直前でしたから以後、関ケ原までの30年間の戦は策士の家康が教訓として戦果の見極めに時間を使ったという事ではないかと言うのです。一見、気の長い人のように見えますね。
しかし策を弄するというのはずるいところもあるのではないでしょうか。家康が「たぬき」と言われた所以です。どのようなたぬきなのかわかりませんが大なり小なりいろいろなところに見え隠れします。3寅で剛気果敢な寅ですが肝気が萎えると爪を抜かれた寅ですからね。このあたりの解説はここでは省略します(;^_^A
織田信長に命じられて少ない手勢で大群を率いる武田信玄に立ち向かうというのが三方ヶ原の戦いでした。負けるのはわかっていますが単純に信長に逆らうことの恐怖のほうが強いです。しかし少数の手勢で向かって負けたとしてもそれを責めはしないだろうという思惑があったはずです。援軍が来るのを待てば良いわけですから!!そこはたぬきです。我が身の保身です。結果は多くの大事な家臣を失い、命からがら逃走したということです。家臣を失ったことの痛手は想像を絶していたのではと思います。従児格ですから家臣は大喜神でしたのに・・・と思います。
その後、家康は醜い自分の姿を絵に描かせて、以後の戒めにしたというのですがたぬきがたぬきに化かされないようにということなのかと思ってしまいました。
本日はちょっとだけ今日のおすそ分けの話でした♪