姉は弟の世話になるなんてことは考えもしないことだっただけに、自分がそういう立場になったことが姉にとっては一番辛かったことだと思う。オペや療養生活に掛かる費用などの負担が心苦しかったと思う。脳腫瘍についても、発症前に偶然グリオーマの新聞の切り抜きを持っていた。そしてカルテを読むと、姉は入院直後から看護師に自分の今後について(療養生活、余命、死)の不安を述べている。そして病床で一人涙する事も多く、看護師に自分で考えたいから「一人にして欲しい」と訴えることもあった。しかしドクターや看護師に語ることはあっても小生に病気について語ることはなかった。姉は底知れない不安のひとつひとつを小生に語っても、小生が動揺するばかりで、姉としてはこれ以上の心配をかけたくないという一念があったのだろうと思います。だから自分の病気の心配は尽きるものではなかったけれど、弟の小生のことを案じていたのだろうと思います。小生にとって大きな救いは脳神経外科の病棟に教え子がおり,リエゾンナースの存在を教えてくれ、看護師として毅然と対応してくれたことでした。
家族を介護するという事は、家族が、病気になってしまった悲しみに加え、、本人の気持ちが理解できる辛さ、近親者としての責任の大きさからの精神的な重圧、と、その苦しみは多大なものと思います。
精神看護の専門知識を持つリエゾンナースが臨床の場にでてきて20年程になると思います。最初は、一つの施設で、看護職者へのメンタル面のケアが始まりだったと思いますが、その存在は今もあまり知られていないと思います。そよかぜさんの身近に立派な教え子さ
んがおられたこと本当に素晴らしい事です。
本人と同様に家族への精神的なケアは絶対に必要なことであり、ナース一人一人が、知識と技術、を持つべきで、そのように教育もされているはずです。看護師一人あたりの多くの業務量のの中でも優先されるべきことなのだと思います。
私が、父の介護を娘として、臨床の場で看護師として、
思うようにできなかった後悔と反省の気持ちで長々綴ってしまいました。すみません。
そよかぜさんが、問題提起してくださる事で、介護をする家族側、医療従事者側の意識がよりよい方向に進むことになることへのお礼と期待を込めまして・・
今後ともどうぞ宜しくお願い致します。
思い出すだけでもおつらいこともおありではないかと思いなかなかコメントできませんでした。
お姉様がそよかぜさんへ心の底を語ろうとされなかったことに、
最近の夫の思いを重ねて想像しています。
私の姉も夫を病でなくしていますが、妹の私にはつらさを語ることはありませんでした。
夫も私にはたまに気弱な言葉を吐くことはあっても、心の奥底の不安やつらさを語ることはありません。(うまく言葉にできないこともあるのでしょうが…)
私は基本的にはたとえ夫婦であっても親子であっても、その人の心の奥底にまで踏み込んではいけないのではないかと思っています。
これは私自身が患者だったときに感じたことですが、患者にはプライバシーがありません。
考えごとをしたくても、そんなことにはおかまいなしに看護師さんやドクターやお見舞いの人が部屋に入ってこられる…
それは仕方ないことではありますが誰にもみせたくない表情や思いは誰にでもあると思います。
ましてや、家族がいつも一緒にいたら…
そう思うと、私はこの頃、夫にも一人っきりになる時間は必要ではないかと思うようになりました。
私も一人になりたい時間があるのと同じように…
家族というのは、ともすればその人のことを思い心配しすぎるあまりに、いつもその人のそばにいることが思いやりだと思いこみがちですが
時には少し離れて、距離をおいた見守りもあってもよいのではないかとこの頃思うようになりました。
とりとめがなくてすみません。
最近特にそう思うようになったものですから…
そよかぜさんがいつもいわれている「一人で抱え込まない・・」ということは、とても大切ですね…病院のシステムを知り、利用していくことは大切ですね・・・
病院側も患者、家族側もお互いにアンテナをはりめぐらしてよりよい医療というか闘病ができるといいなあ・・と思います。
そよかぜさんが何でも言えるこの場を作ってくださっていることに改めまして・・心からありがとうございます♪
道端の小花や小鳥の囀りも、「春近し」の便りを折角届けてくれているのに、素通りしてしまいますよね!いつも的を得たご投稿に感謝です。有難うございます。