脳腫瘍の家族の交流の場 生命のメロディ 

そよかぜと申します。脳腫瘍を患ってみえるご本人を支え介護する家族のみなさんの交流が広がればと思っております。

家族を介護すること(3)

2011-01-19 22:53:51 | 介護保険
姉は金曜日に通院し、定期の血液検査とMRI,終了後受診でした。付き添いで尿検査、血液検査をするのですが、トイレは男女共用で尿を採取するのですが、自力で採尿が出来る時は良かったのですが、そうでなくなると姉と一緒にトイレに入り、姉は右手を使って採尿していました。車椅子を使うようになると、姉を車椅子から移動(移乗)させ、姉の身体を支えトイレに誘導しました。採血もだんだん回を重ねると、腕に採血跡が残り痛々しくなりますし、採血する血管を探すのに看護師(検査技師)さんが温かいタオルで腕を暖めていただくなどしていただきましたが、血管からの採血はとても難しくなっていきました。MRIも最初の頃は小生が見守りながら自力で行っていましたが、やがて車椅子、後期は寝台(ベッド)で行くようになりました。看護師さんも人手不足で、家族で出来ることは家族でという方針のようでした。自宅でも最初は床に布団を敷き寝起きしていましたが、左半身に麻痺が広がると、自力で寝起き出来なくなり、ソォファーを使って寝起きするようになりました。排泄も自力でしていたのですが失禁することもあり、困難になりキャッチ(パット)を使用することになっていきました。在宅の時は自力歩行が出来るときは見守りでよかったのですが、やがて車椅子に乗りながら必要な食材を購入しにいくようになりました。最初の頃は調理も出来ていたので食材を買っていましたが、自力で調理が出来なくなると、レンジで調理出来るものが多くなり、菓子パンとかクラッカー、ビスケットのような物が多くなりました。一人で療養生活を送るのはだんだん厳しくなっていきました。職場にも携帯に連絡が入り、「今から救急センターに搬送します。」ピーポーピーポーという音が聴こえてきました。救急車が来る頃には痙攣は治まっていたのですが、念のためということでセンターに運ばれていました。職場からセンターに駆けつけると、姉は広いロビィーに一人待っていました。薬をこぼしたり、紛失することもあり、急遽、病院に駆けつけたりしました。抗がん剤や痙攣防止の薬を紛失すると、探すのに一苦労でした。幸いだったことは、病院は拙宅から見えるところにあり(30分)、姉の家も市外でしたがローカルな地ですので車で40分程度だったことです。