姉はドクターに「いつまで生きられるのですか?」と気丈にも問いかけることがあった。ドクターは「デターを基に貴女にお話をすることはできますが、それはあくまでも過去数年間のものです。しかもそれが貴女に該当するかどうかも全くわかりません。あと数ヶ月、あと何年と伝えることによって、貴女の生きようとする気持ちが萎えることのほうが心配です。まぁ、あと一年は大丈夫です。頑張って生きましょう。貴女の生きようとする力、病にむきあおうとする力が大事なんですよ」と言って、姉の肩をポント叩いた。ドクターの余命告知についての見解を聴いて、姉も私も納得した。姉は神経膠芽腫であったが二年と数ヶ月長らえた。姉が自力呼吸もおぼつかなくなった頃、私が焦って、ドクターに年を越せますか、と問うた時も、「意識の混濁は進むでしょうが、先ずは大丈夫でしょうと」安心させてくれた。私たちの願いも空しく、年は越せなかったが、本人や家族に寄り添って治療していただいたドクターや看護師さん、お会いすることはなかったが「縁の下」の力持ちになって日夜姉を支えていただいた関係者のみなさんに感謝の気持ちでいっぱいである。
方がおみえだと思いますが、あえてお返事を書きます。新聞記事を読まれて、ご主人はご自分の病気の厳しさを痛感されたと思います。ご主人のお気持ちを慮ると言葉を失ってしまいます。小生は「言葉を失います」と書き記すことはできますが、アミーゴさんのお気持ちの中の葛藤は深いし、重いものがあると思います。医療というお仕事に関わってみえるからこそ、
お気持ちはさぞ複雑だと思います。でも逆にそういう
お仕事をされているからこそ、ご主人への支えも、素人では出来ないことも、あるかと思います。こういう
記し方も、かえって貴女にとっては心労をかけるようにも思います。「患者さんは病気の本当の事を知る義務と権利があると思います。」ここに貴女のご主人への想いが結晶(凝縮)されていると思います。なんの
お応えにもなっていません。釈迦に説法のようで心苦しく思います。末筆になりましたがご投稿有難うございました。広場をご覧になってみえるみなさん、コメントを宜しくお願いいたします。
そよかぜさんのお姉様の主治医の「余命」についての考え方に同感です。そのような考え方の上での告知なら、納得と安心(?)感がありますよね。
わが家の場合、未成年であり多感な頃でもあるので余命告知は控えてもらいました。病名や症状、治療については殆ど全てを診察時に聞いています。現在は余命が半年から1年だったことを知っています。それを経過したから、案外すんなりと受け入れて、「まだまだ、大丈夫!」と言う気力で乗り越えられたように思います。
アミーゴさんへ
私もその臨床試験の記事を読みました。微かに見えた光かと思ったのですが、残念なことに息子は、対象外でした。息子は脳幹部グリオーマですし、対象年齢外ですし・・・。日々、進歩している医学とよく言われますが、待ち望んでいる脳幹部腫瘍への治療法、治療薬の開発は一向に表れてくれずです。
余命の件、「新聞記事」から知ったのですね。息子もネット上の「文字」から知ることになりました。その後、私が「余命、半年から1年って言われてたけど、もう過ぎちゃったし~」と告白。泣きながら、それを聞いて一時落ち込んでおりました。その後、立ち直っております。
新聞記事もネット上の文字も、医師からの告知も・・・データに基づくものですよね。あまりそれに振り回されず、今を大切にしていきましょう。告知をされている人でも、健康な人でも、今を大切に生きることが、一番なのではないでしょうか。
な人でも、それは同じなのですが、健康な時って、健康であることが当たり前と思っていますよね!
まーさんはまだお若いですし、まーさんのことが一番お分かりのまーままさんにお任せです。「もう過ぎちゃった」と笑い飛ばせるまーさんとまーままさんに感服です。でも今でこそ笑ってみえるということですが
まーさんにとってもまーままさんにとっても言うに言えない心の葛藤があったと思います。
姉がオペが数ヶ月の内に二回もあったときは、もうどうしようもない気持ちになったものですが、数ヶ月も
生を長らえ、一年、それからまた一年と頑張ったと思います。もっともっと長らえるのではと思いました。
もう数ヶ月かと諦めそうになったのを今になって恥じています。希望を持ち続けることが大事です。口で言うのは簡単ですが、前向きに生き、出切る事をしていくことだと思います。何か特別なことと考えることも
必要だと思いますが、長続きの介護(ケア)が必要と
なります。いったん馬力ではサポーターの心が折れてしまいます。それを危惧してしまいます。同じことを
繰り返しているようですが、ご本人とご家族への心のケアがなにより必要です。まーままさん、お疲れが溜まっていませんか?お大事になさって下さいね!時にはリラックス、また頑張られる、まーさんに寄り添ってあげる時間が増えるといいですよね!でも青年期だから、一定の距離間も必要だし、まーままさんの腕の
みせどころですね!コメントに深謝です!有難うございます。
夏休み、お盆といつも慌しく過ごす夏ですが今年はまた違う気持ちで送りました。主人は病気より気持ちのほうで辛い日々でした。それでも次第に気持ちも切り替え先のことを悩むより日々を大事に・・・と自分に言い聞かせているようです。
東大病院の記事には期待と絶望の両面を感じました。
確かに余命はわかりませんが、今できること大事にすることはすぐ近くにあると思い、子供たち主人とすごすひと時を大事にしていきたいと思います。
病気がなければ主人のありがたさ大切さに気づかず不満ばかりだった自分が腹立たしくてなりません・・・
なんで主人が・・・なんで我が家が・・・と思うこともあります。でも前向きにまだまだ大丈夫と信じている日々です。
ひかり
結果的には、まだ生き恥をさらしてはいるのですが。
おまけの人生と余裕?で生きようと努めてはいます(なかなか、欲は捨てられないけど)。
出来ないことがあります。ひかりさんとご主人、お子さんたちとの普段の生活のなかにきらりと光るなにかがあります。でもなかなか気がつかないですよね!
姉が病で倒れることがなければ、姉の存在の大きさや
生きることについて自問自答することもなかったと思います。姉の病がきっかけで、姉と自分の関係を見直す機会を与えていただいたと思います。お返事、遅くなってすいませんでした。
あれから1年が過ぎた今も普通に会社に行き、病気になる前と変わらずに過ごしていますが、私も主人も子ども達も(一番下の子はあんまりわかってないかもしれないですが・・)長く生きられない事を知った上で思い出作りをしています。主人も最初は辛そうだったけど、今は話の節々で『俺がいなくなったら・・』と話せるくらいになりました。主人がいなくなった後、一人で三人の息子を育て、人より早く独り身になってしまう私を案じています。
いろんな話をしたり思い出を作ったりできる時間を与えてもらった事に感謝してます。
を重ねられる事を心より念じています。ご投稿ありがとうございます