脳腫瘍の家族の交流の場 生命のメロディ 

そよかぜと申します。脳腫瘍を患ってみえるご本人を支え介護する家族のみなさんの交流が広がればと思っております。

脳腫瘍と告知された時

2009-08-11 21:36:46 | 交流
姉の場合は路上で倒れ、救急車で近隣の病院に搬送された。携帯にワイフから連絡があり、病院に直行した。ドクターの所見では「脳出血」で左手に麻痺があり、暫く入院して、検査をし、様子観察してみましょうということになった。ところが一週間経ってもドクターからなんの連絡もないので、ドクターに今後の治療方針やリハビリについて尋ねたのだが、ドクターからの話はCTやMRIの検査結果は「脳腫瘍」の疑いが濃いということであった。そのドクターは脳神経外科の専門医ではないのでとことわりながら、「仮に腫瘍があったとしても前頭葉にあり、脳の表面に近いところだから全摘できるであろうからそれほど心配はないと」さらりと言われた。「脳腫瘍」、驚きのあまり開いた口が塞がらず、もう一度、問うていた。大学病院を紹介され、翌日大学病院を受診したが、タイミングが凄く悪かった。一度実家に戻り、必要な物を取りにいくことになったが、搬送先の病院は療養型の病院でドクターの回診も少なく、姉は不満が高じていて、もう病院に戻らない、戻りたくないと言い張るしまつであった。なんとか「説得」して病院に戻ったが、「ドクターはなんと言っているのよ」と問うてきた。「貴方がこたえられないのなら、私が聞きに行く」と詰め寄られ、結局ドクターから姉に「脳腫瘍の疑いがあり、大学病院に紹介状を書くからということで、明日受診が決まった」とお話があり、姉はやや「落ち着いた」のであった。内輪の話で、心苦しいが、これが実態であった。「脳出血」から「脳腫瘍の疑いあり」という告知、大学病院で正式に「脳腫瘍」という告知があった。私の場合は「脳腫瘍」にも良性も悪性もあることもつゆ知らず、「脳腫瘍」イクオール「癌」イクオール「死」と線路が敷かれたように思った。姉の発症は8月、9月に1回目のオペで「神経膠芽腫」と分かる。無事オペが終わってほっと一息ついていたら11月に2回目のオペ、なんと恐ろしい病かと思った。年を越せるのかという不安が頭を過ぎった。自分にこれから何が出来るのだろうと考えた。以上が姉が脳腫瘍と告知されたときの様子を綴りました。これが正直なところである。特に大事だと思うことは「告知」は避けてはとおれないものであることはわかるのですが、ご本人や家族の者への心のケアが絶対に必要だと思います。ドクターはもちろんですが、看護師さんの出番がここにあると思います。「脳腫瘍」と告知された時、ご本人のお気持ちや家族の心模様、不安や恐怖、それにどう対応していかれたか、差支えがなければコメント欄に書き記していただければ幸いです。