脳腫瘍の家族の交流の場 生命のメロディ 

そよかぜと申します。脳腫瘍を患ってみえるご本人を支え介護する家族のみなさんの交流が広がればと思っております。

ご提案(紹介)いただいたテーマで交流をいたしましょう

2011-10-26 21:14:57 | 介護保険
過日ご投稿されたコメント(ご意見)のひとつに、この拙いブログから情報を得られているというコメントもいただいています。これは小生が取り上げたテーマはともかく寄せられたコメントのひとつひとつが実に貴重であり傾聴に値するものが多かったものと思っております。小生が綴っていることは実に粗雑であるからです。コメントをお寄せいただいたみなさんにこの場をお借りして心より御礼申し上げます。それで今後はみなさまから交流の場で語り合いたいテーマがあれば、是非ともご提案(ご紹介)していただいて、みなさんがそのテーマに綴っていただければと思っています。小生も綴らせていただきますが、是非みなさんもこぞって綴っていただければと思います。それで小生(そよかぜ)がコメントをするまえでも結構ですので、どんどん綴っていただければと思います。「提案」(紹介)というと大袈裟かもしれませんが、ちょっとした想いでも結構です。後になって考えてみると大そうなことでなくても、その時、その場面では実に切実な課題であることもあるからです。こんなテーマでは気恥ずかしいとか思われず、どうかご遠慮なくご提案いただければ幸いです。例えば「オペが始まって、終るまでどう過ごしたか」とか、「オペを控えてどんな言葉を掛けたらいいのか」「高額な医療費をどう工面したらいいのか」等です。ただご提案していただいた内容については、出来るだけはやく対応できる場合もありますが、内容によりましてはかなりお時間をいただく場合もありますのでどうかその点はご了解いただきたいと思います。ただし「00や00、どちらの治療がいいのか」というような医学、医療的なテーマは申し訳ありませんが、ご遠慮いただきたいと思います。小生(そよかぜ)が取り上げてきたテーマは姉が脳腫瘍であることが分り、微力ながらですが2年と数ヶ月介護(ケア)をして悩んだこと、葛藤したことを綴ってまいりました。姉が脳腫瘍の神経膠芽腫であったことは悔やまれますが、この病に立ち向かうのはとても難儀でした。姉を旅立ちを見送ったことは辛いことでしたが、姉を介護しながら学んだことも実に大きいものがありました。ご本人を支える家族には多くの心と身体のエネルギィーが必要です。家族にはドクターや看護師、医療関係者にはできないことがあります。家族の力には大きなものがあります。お一人で抱え込むことなくゆっくりゆったり見守ってまいりましょう。今後ともみなさんのご協力とご理解をお願い申し上げます。

姉の想いは汲み取れたのだろうか?

2011-10-23 22:22:08 | 交流
姉が一番心配していたことは「話せなくなってしまうこと」だった。「延命治療はしない」「お墓にはいるのは嫌、法事とかで貴方に迷惑がかかるから」姉と話が出来るうちは姉の想いをしっかりと受けとめて、姉の想い通りに旅出たせてやることは出来たと思う。だが姉がターミナル期に入って音声言語が出なくなり、手を握りしめても、握り返してこなくなったり、小生が言葉を発しても、頷いたり、首を振ったり、顔付きでも意思表示が出来なくなってくると、やむなく私自身が判断、選択を迫られることになる。食事介助では傾眠状態が続き、看護師さんが付きっ切りで介助はしていただくが、充分な栄養が摂れず、経管(鼻に管を通して)栄養補給をすることになった。もちろん口からも補助的に水分摂取は出来るが咀嚼、嚥下の機能は格段に低下する。ミキサー食でも辛かっただろうに、鼻から液体状の栄養補給である。姉の想いはいかばかりであったろう、「もうやめて」そんな声が聞こえてきそうであった。姉の想いは汲み取れたのであろうか・・・。

日々大切にしていること  ご本人を支える家族(サポーター)として 

2011-09-22 18:07:54 | 交流
ご本人を支えるサポーター(ご家族)の想いは悩みは深く重いものがあります。特にキーパーソンの方のそれはまた特別なものがあるものと思います。どうしようもなく焦ったり、不安で不安でたまらなくなったり、でもそういう状況があるにもかかわらず、日々ケアを重ねてみえると思います。一番大切にされていることと綴ると、何が一番と考えるのもまた大変だと思います。ご本人を支えるご家族(サポーター)として大切にされていることをどうか綴ってください。纏まっていないとか、文章になっていないとか、そういう些細なことはどうかお気にされず、お願いいたします。


介護保険の活用を考える

2011-09-12 22:22:21 | 介護保険
介護保険法の定めるの特定疾病に「末期がん」が加えられたのは2006年〈平成18年4月からです。第1号被保険者は65歳以上ですが第2号被保険者は40歳以上65歳未満ですから特定疾病に罹患すれば適用になるわけです。脳腫瘍になり介護保険が適用になるかというと特定疾病に該当しませんので適用になりません。脳腫瘍のオペ後、麻痺などが発症しても、歩行が困難になり車椅子を活用したり、家の改修なども出来ないわけです。もちろん介護保険を活用しなくても財政的な余裕があれば家の改修もしバリアフリーも進められますし、車椅子を購入することも出来ます。しかし介護保険が活用できるかどうかは療養生活を送るためにも大きな問題になるかと思います。「末期がん」と診断を受けて、介護保険適用となります。「末期がん」と診断されなければ介護保険が活用できないのでしょうか?「末期がん」と診断されることはご本人はもちろんのこと、ご本人をサポートする家族にとっても辛いことこのうえないわけです。主治医の意見書も重みを持つものと思います。「脳腫瘍」との告知を受けて、「末期がん」と診断されるまで家族の者は待たねばならないのでしょうか?みなさまの想い、ケース事例などご紹介いただければ幸いです。

「在宅」での療養生活の可能性を追求すること

2011-09-10 22:40:32 | 介護保険
病院で療養できれば主治医や看護師もみえて、体調の急変にも対応できるし、家族の者も安心である。でもやはり病院は病院でありドクター、看護師、多くの医療スタッフもみえ、もちろん多くの患者さんもみえて、いっしゅ独特の雰囲気のある空間である。もちろん、それは当然のことでありますが療養されている患者さんに少なからずプレッシャを与えているものと思われます。ご本人を支えるサポーター(ご家族)にとっても同様だと思います。ご本人にとっては家族に囲まれて何気なく過ごす時間の共有というのが価値あるものだと思います。家族そろって食事をしたり、会話をする、笑ったり、悲しんだり、いろいろな家族模様が家族の団欒にはあると思います。ご自分のお家で生活できることがなによりである。もちろん「再発」という不安や予後の経過がどういうふうに進展していくか数え上げればきりがないものの、穏やかに日々を過ごせることはご本人にとってもご家族にとっても素晴らしいものであると思います。そういう意味で「在宅」での療養の可能性を追求することは、ご家族にとっては真っ当な願いであると思います。「在宅」での可能性を願い、出来る限りのバリアフリーを進め、実際にご本人の病に向き合うことは、病状が安定している場合は「穏やか」な時間を共有でき最高であると思う。しかし、実際にケア(介護)することは現実としては、なかなか難しい、至難の技であると思います。脳腫瘍であることに起因する症状であろうと思われますが、高次脳機能障害の症状が発症したり、認知症、また病状の進行が予想に反して急であったりターミナル期には、ご本人の想いが汲み取れなかったり、家族の想い、特にキーパーソンの方の想いが伝わりにくかったりして、それまでのご本人とは思われない症状(言動)が発症してくることもある。ドクターであれば症状の原因やその症状を抑える投薬や処置が出来るのであろうが家族の場合はそうもいかない。「在宅」の訪問介護、訪問リハビリ、訪問看護、居宅療養管理指導などの介護保険の諸サービスを活用しながらも、「在宅」でのケアが困難になり、結果として家族が対応できなくなり、病院でお世話になることになるケースもあると思います。しかし、そのことはご本人を「在宅」で見守りたいという家族の願いや想いが「現実的」でないことを意味するものでは決してないと思います。「在宅」か「病院」かという二者択一ではなく、大病院と地元の病院との連携、在宅でのケア(訪問看護、訪問介護、訪問入浴介護)の活用など、ありとあらゆるサービスを活用しながらが進められればと思います。ご本人とご本人を支えるご家族の声が今こそ大事なものになるものと思います。
  

脳腫瘍に負けないぞ! 真実一路さんのブログ

2011-08-13 19:27:40 | 介護保険

脳腫瘍に負けないぞ!
脳腫瘍グリオーマⅢと闘う夫婦の活動日記を掲載します(真実一路さん)
http://blog.goo.ne.jp/shinjitsuichiro-1003

新しい意気込みでご主人の病に向き合う真実一路さんのブログです。
文字通り「新しい挑戦」ご自分のお気持ちを率直に綴られています(そよかぜ)


茶花(saka)日記 茶花さんのブログ

2011-06-11 00:36:10 | 交流
脳腫瘍と診断され約2年、2011年3月天国に旅立った夫と共に。
お茶と花に癒されて日々の出来事を綴ります(茶花さん)
http://blog.goo.ne.jp/emi0807_2011


お辛い日々もあるかと思いますが、少々落ち着かれたというのは
ご本人〈茶花)のお言葉です。「ひきづらない」というお気持を
大切にされながら、茶花さんの心に生きるご主人に想いを寄せな
がら、新しく舵をきられた茶花さんの想いとみなさんの想いが響
きあうことを期待しています。みなさん気軽にノックしてあげて
くださいませ。(そよかぜ)

ピアノのこと

2011-05-10 22:28:26 | 交流
姉はピアノを売却することを病床から提案してきた。入院費や治療費のことで弟に迷惑をかけたくないという一念だったと思う。姉は左手に麻痺がありピアノを弾くことは出来なくなっていた。でも私としては物凄く迷った。姉の気持ちは嬉しかったけれど、ピアノを弾くことは出来なかったけれど、ピアノ講師として自分の道を切り開いて来た姉だった。幼稚園の教員もしていたが。母の看病で実家に戻ってきた。陶芸の道を志したこともあったが、ピアノを弾くことを生業とすることになった。姉が生きている間はピアノはそのままにしてあげたかった。ピアノを弾くことは出来なくなっていたが、せめて椅子に座って、ピアノに向かって欲しかった。鍵盤に指を置いて欲しかったのである。元気よく力強く、あるいは華麗にピアノ弾き語っていた頃を思い出すのであった。その姉がピアノを手放す、そういう決意をしたのだった。ピアノを買い取ってくれる業者のチラシを見せ、迫ってきた。私は躊躇した、ずっとずっと延ばしに延ばしていた。病院の待合室、ロビィーで口論になって、看護師さんが気遣ってきてくれた。後日、ピアノの業者が来られて、ピアノは跡形もなくなった。姉が座っていたピアノ専用の椅子は暫くおいておいた。メトロノームや楽譜、ブァイオリンは残しておいた。主のいないピアノ椅子はとっても寂しそうだった。それでメトロノームを[on[にした。

最初が肝心

2011-05-06 22:47:23 | 交流
脳腫瘍、「脳に癌(がん)が発症したのだ」という認識を持った。しかも悪性の脳腫瘍、神経膠芽腫、いろいろなデータを検索しても予後ははかばかしくない。ドクターはオペの直前、悪性の脳腫瘍の可能性が高いと言われ、オペ終了後小鬢に入った肉片を見せられ、「膠芽腫」というメモ書きを渡された。ご自身でお調べになってくださいという雰囲気だった。オペ直後であり、無事に終了したという安堵感でいっぱいであり、ドクターの配意だったと思う。「もうこれはどうしようもない」という気持になりました。姉と一緒にドクターから治療についての見解を伺った。9月に最初のオペ、さらに11月に再オペ、とんでもない病気だと困惑したのを覚えている。「もうなにをしても駄目なんだ。」「最悪、年を越せない」という絶望の気持が強まった。もちろん精一杯姉を応援しようと決意は固めたものの、内心では「絶望」の想いに打ちひしがれていた。「何をやっても駄目なんだ」という気持で姉を支えるのと「なんとかしよう、いい治療方法はないのか」とドクターに迫るような気持で姉を支えるのとでは全然病に向き合う意味合いは違ってくるのは当然である。誰にでも分ることなのだが、私自身は当初はどう考えても前者だった。このスタート・ラインが不味かったように思うのである。幸い二回目のオペが成功し年を越せることになった、いや予後は悪いものとは言え、もう少しは長らえるかもしれない、それぐらいから、やっと少々は前向きに姉の病に向き合う助走路に足のつま先がかかったように思うのです。やはり最初が肝心だったと思う。もちろん誰が悪いというのではない。悪性の脳腫瘍という宣告は私にとってはそれほどの衝撃的なものだったということである。

脳腫瘍って・・・ のばらさんのブログ

2011-03-08 21:36:51 | 介護保険
脳腫瘍って、なんなの
http://ameblo.jp/nobaranokimochi/entry-10722627517.html#cbox
のばらさんのブログ

お父様への想いが綴られています。涙をさそうこともありますが
明るいタッチで綴られています(そよかぜ)。


セカンドオピーニオン

2011-03-08 01:05:07 | 交流
姉の場合は当地がローカルであるために脳神経外科や脳腫瘍のオペが出来る病院が
少なかったためにセカンド・オピーニオンを求めることは出来ませんでした。姉も
小生も主治医の治療方針や脳腫瘍についてのインフォームドコンセントも理解でき
るものでした。ただ9月にオペ、11月に再オペの必要性を説かれ、決断を迫られ
た時は凄く迷いました。本人はもちろん、サポーターの情報量と主治医(ドクター)
のそれとは格段の差があり、脳腫瘍の病の治療、オペ、予後については主治医(ド
クター)に頼らざるをえないというのが現実だと思います。ただご本人にとっても、
サポートする家族にとっても、オペをしなくてはいけないのだろうか、いろいろな
治療法が他にあるのではないかと必死にサーチすることはごく自然なことです。別
のドクターの所見も聞いておきたい、同じ所見かもしれないが、また違った所見が
出るかもしれないし、と言う期待もこめた想いがあると思うのです。でも今の主治
医から医療情報も入手しなければいけませんので、主治医に対する想いも複雑です。
主治医と別のドクターとの軋轢が生まれないだろうかとか、いろいろな想いがみな
さんにはおありかと思います。今後、セカンド・オピーニオンを求めようとされて
いる方もおみえだと思います。またこれまでにすでにセカンド・オピーニオンを求
められ方もおみえだと思います。そもそもセカンドオピーニオンとはどういうもの
か、そのためにはどういう手続きが必要なのか、セカンド・オピーニオンに踏み切
った想いとか、どうかみなさんの想いを綴っていただき価値ある交流ができればと
思います。

姉にしたこと 姉の自己表現(自己実現)を支える(2)

2011-03-04 21:46:32 | 介護保険
姉のターミナル期にしたことは姉をスケッチすることであった。最初のスケッチブックはどういうわけか数枚描いて紛失した。病院内に置き忘れたことは確実だったが、いろいろ尋ねてみたが行方知れずになった。姉が描かれることを「拒絶」したのだろうか?また同じスケッチブックを購入してまた描いた。十数枚描いたが彩色はしなかった。看護師さんがよく似ていますねと言葉を掛けていただいたが、姉の顔にはもうすでに血の気がなかった。12月になって、病状が悪化して個室に入ることになった。廊下から室内が見えるように、呼吸の状況と血圧・脈拍がドアごしに見えるようになっていた。新しい年を迎えようと「いわさきちひろ」のカレンダーとドイツグラムグラムフォンのクラッシクのカレンダーを用意したが、姉は「いわさきちひろ」を選んだ、後者は黒塗りのカレンダーだったので・・・。ピカソのカレンダーも用意したが、病室がカレンダーばかりになるので断念した。

姉にしたこと  姉の自己表現(自己実現)を支える

2011-03-02 22:44:02 | 介護保険
姉がどんなに苦しい状況になっても、それが姉としての全力をかけた「自己表現」であり「自己実現」であるかぎりサポートしようと心に決めた。いつのことだったかわからないのであるが・・・。ターミナル期の手前だったと思う。そう決めたら、ちょっとは気が楽になった。それで何が自分にできるのか考えた結果、姉について綴ることにした。それまでも四季の移り変わりや心を動かした光景をスケッチ風に綴ってきた。それを一歩深めて、「ことば遊び」から一歩進んで、意識して「詩を書く」ことにした。週に一度は必ず訪問していたので、訪問するたびに、詩を綴って持っていくことにした。姉にもカラーの紙に印刷した稚作を見せると最初は苦笑いして読んでいたが、だんだん目を細めて見ることもなくなっていた。病室の壁に画鋲で重ねて貼り付けていった。看護師さんも最初の頃は誰が綴ったのか分らなかったようだが、最後にはばれてしまった。姉も看護学校からの実習生にお世話になることもあった。担当の実習生にお礼の意味を込めて渡してくださいと拙い稚作を看護師さんに渡したのが、いつのまにか実習生全員に配布されていた。「姉がお世話になった実習生に」と念を押して、看護師さんに渡したのに、少々冷や汗ものだった。看護師さんに「抗議」しようと思ったが、あんまりあっけらかんに言われたので、その想いは笑ってごまかした。ブログにリンクしてありますのでお時間のある方は気軽にノックしてみてください。姉の命の調べのシンフォニー(四季)

幸せって何だろう  トワさん

2011-02-25 11:53:44 | 交流
父の闘病を機に癌闘病経過や、自分自身の日常をブログに残したいと思ってます。
日々明るい日記が残せるといいなぁ(とわさん)
http://ameblo.jp/emiba2002/

お父様の病に真摯に向き合おうとされる日々を綴られています。お父様と春を呼び込もうと一緒に歩まれるステップは心地良いものです。みなさんも気軽にノックされてください。
(そよかぜ)

姉を支えてくれたみなさん(2)

2011-02-19 22:42:23 | 介護保険
姉の食事介助は大変だった。時間がかかるので土・日には家族のサポートを依頼されることもあった。経鼻補給になるまでは看護師さんが二人係(交代)であったが、姉のためにアルバイトの看護師さんがしていただくこともあった。昼食の食事介助がおわると、もう夕食の時間が始まるのであった。身体を支える力が弱まり食事を摂取する体勢がとれないのであった。頭部が傾き、居眠りをしているような状態になり、口の開きも狭まり、スプーンもなかなか入りにくく、絶えず声掛けをしていただいていた。重労働である。全量摂取が大事であろうが、日々によって食欲の状況も違う、全部、口に入れればよいというものではない。食事介助をしていただいた看護師さんに大感謝である。2,3時間もかけて声掛けし、笑顔を絶やさず、凄いことである。お盆に並べられた食事も主食はもちろんお粥であり、副食もミキサー状であったし、汁物もとろみ状態であった。ミキサーにするのは大病院であるから必要な器具があるだろうが、多くの患者さんがみえるのである。ミキサー状といってレベルがあると思う。刻み食といってもレベルがあると思う。とろみをつけるといっても、これもレベルがある。病棟に運ばれてくる食事、その食事のひとつひとつにも多くの人々の手が加わっているのである。