脳腫瘍の家族の交流の場 生命のメロディ 

そよかぜと申します。脳腫瘍を患ってみえるご本人を支え介護する家族のみなさんの交流が広がればと思っております。

姉の想いは汲み取れたのだろうか?

2011-10-23 22:22:08 | 交流
姉が一番心配していたことは「話せなくなってしまうこと」だった。「延命治療はしない」「お墓にはいるのは嫌、法事とかで貴方に迷惑がかかるから」姉と話が出来るうちは姉の想いをしっかりと受けとめて、姉の想い通りに旅出たせてやることは出来たと思う。だが姉がターミナル期に入って音声言語が出なくなり、手を握りしめても、握り返してこなくなったり、小生が言葉を発しても、頷いたり、首を振ったり、顔付きでも意思表示が出来なくなってくると、やむなく私自身が判断、選択を迫られることになる。食事介助では傾眠状態が続き、看護師さんが付きっ切りで介助はしていただくが、充分な栄養が摂れず、経管(鼻に管を通して)栄養補給をすることになった。もちろん口からも補助的に水分摂取は出来るが咀嚼、嚥下の機能は格段に低下する。ミキサー食でも辛かっただろうに、鼻から液体状の栄養補給である。姉の想いはいかばかりであったろう、「もうやめて」そんな声が聞こえてきそうであった。姉の想いは汲み取れたのであろうか・・・。

2 コメント

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「思い」を汲み取ることと「告知」すること (ごんまま)
2011-10-24 21:23:25
そよかぜさんの過去のブログを少しずつ読ませていただいて
その時々に必要なタイトルを掲げておられ
大切なことが網羅されていることに
あらためて畏敬の念を覚えました。

ただ、残念なことに
夫の闘病中は
夫と向き合うことに精一杯で
このブログの過去にまで遡って読ませていただく時間は
なかなか取れませんでした。
もっと早く読ませていただいていたら
もう少し違った寄り添い方ができたのではないか・・・と
思うこともたくさんあります。
先日
「介護の言葉がけタブー集」という本を読み
もっと早くこの本を読んでいれば・・・と思うこともたくさんありました。

私も
夫の心の底にあったであろう「思い」を汲み取ることはできていなかったと思います。
そしてそのことは
とても激しい「後悔」と「懺悔」の気持ちとなって
今、私を苛み続けています。

どれだけ悔んでも、
どれだけ謝っても
時間は戻せない。
夫は戻ってこない・・・

今の私にできることは何なのだろう・・・と考え続けています。

そよかぜさんが
このブログを続けてこられたエネルギーと
思いの深さにあらためて敬意を表します。
そして
これからも、
ここを訪れるたくさんの方々が
このブログを通して
有益な情報を得られることを願っています。


私は、
夫がまだ理解力もあり、言葉で意思表示ができた頃、
夫に本当の病状を伝えることはできませんでした。
そのために夫とは本音で話し合うことができませんでした。
だんだんと意思表示ができなくなっていく中で、
夫はどんなにか不安なことだったと思います。
でも、私はその不安に答えることができませんでした。

「告知」のタイミングと決断はとても難しいと思いますが、
私は「告知」すべきだったのではないかと
今も後悔し続けています。
「告知」したからといって
それで本人の思いに寄り添えるというほど
単純な問題ではないのでしょうが・・・


一番大切なところを隠したままで
夫の不安や思いに真正面から答えることができなかったと思うのは
私の力不足の言い訳にすぎないのかもしれませんが・・・


今回も結論のない、支離滅裂な文で申し訳ありません。
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「告知」については、いろいろな (そよかぜ)
2011-10-24 23:29:42
方が語られています。いろいろ関係書籍もあります。ある本に紹介されていたことを綴ると今は「告知をする」「告知をしない」というよりも「告知」を誰が、どういうふうに、どんな状況でするかが大事であるということです。ごんままさん、貴女の場合は伝えようというお気持はあったけれども、どういう状況でか迷われたものと拝察します。病状の進行も速く、「混乱」が続くこともあり、選択は困難を極めたものと思います。でも「告知」という言葉は脇に置くとして、「告知」に類するもの、いやそれ以上のものを貴女はご主人に奉げられたものと思います。ご主人の「不安や思い」に日々真正面から答えられたと思います。
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