日の出の時間が遅くなっても、5時前後に必ず目覚めるのは私の体内時計がまだ働いているからだろう。ところがいつも6時前後に起きる、ふすま一枚隔てた隣に寝ている家内が6時半過ぎても起きてこないと、気になってそっと覗く。
歳を取るとお互いに相手の事が気になる、この気持ちは共に80歳を超えて、行く先短くなったせいか、お互いをいたわる気持ちがますます増して来たからでしょうか。
そして、想うのです
・毎日毎日新型コロナウイルスの感染者数、そして死者数をマスコミは伝える、聞くたびに感染者数よりこの歳だからかもしれないが「死者数」が気になる。淡々と死者数を伝えるアナウンサーの声に、なぜ一言「お亡くなりになられた方に、心からのお悔やみ申し上げます」と一言が付け加えられないのかと聞くたびに思う。
感染者はまだ生きる望みはある、死者は汚染されたモノなのか!、人間だ、亡くなられた方は親子姉弟親しい友人と最後のお別れも出来ず、遺骨になり帰宅する。こんな非情なことが科学の進んだ今の世の中で許されていいのだろうか。
死んでしまえば人間息もしない、せき込むことも、大声で話すこともない。除菌する方法はあるだろう、最後の姿を見送れないとは。死者の数を聴くたびにご親族の悲しみを思う、ときに涙が流れる。これでいいのだろうか、、
今朝も空は雲一つなく晴れた秋の空、でも、きょうも、涙しながら空を見上げている人がいる。 合掌
・秋海棠